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「堂塔の建立には木を買わず山を買え」

突然ですがこの言葉皆さん聞いたことがあるでしょうか❓


この言葉は宮大工に代々伝わる口伝の1つです。

宮大工‥主に神社や仏閣などの伝統建築を手掛ける職人のこと。神社や仏閣を 「お宮さん」と呼んでいたことに由来した呼称。

僕は木材を扱う仕事に携わっており、木について勉強しようと宮大工の西岡常一さんが書かれた「木のいのち 木のこころ」という本を読みこの言葉に出会いました。

木は伐採され、製材されることにより建築や家具の材料として使用されます。
ただ、木材になっても木として生長する際の環境の影響を受けてそれぞれが個性を持っています。

例えば、山の頂上などの強い風あたりのところに生えた木は、風に対抗するため捻れて癖があるものの材質が丈夫な木になります。一方で、過酷な環境に晒されずに生長した木は素直でおとなしく材質は柔らかくなります。

そのものの個性を生かす

冒頭の口伝の意味するところは、単に木材を組み合わせていくだけではなくて、山に生えている木々それぞれの個性を考えた上で組み合わせなければならないということです。

どんな個性も活かそうとする適材適所の精神が素晴らしいなと思います‼︎
木々の個性を考えて建てているからこそ法隆寺の様に1000年以上の風雪に耐え得る建築が可能になるというわけです。

木を人に置き換えてみると、人の集合体である組織も多様な個性をもつ人々で構成されていれば環境に対する適応力が高いものになるなんてことが言えるのではないでしょうか(^ ^)

聖書における個性の調和

聖書にも個性の調和に関する記述があります。

イザヤ書11章6〜9節
「おおかみは小羊と共にやどり、 ひょうは子やぎと共に伏し、 子牛、若じし、肥えたる家畜は共にいて、 小さいわらべに導かれ、雌牛と熊とは食い物を共にし、 牛の子と熊の子と共に伏し、 ししは牛のようにわらを食い、乳のみ子は毒蛇のほらに戯れ、 乳離れの子は手をまむしの穴に入れる。彼らはわが聖なる山のどこにおいても、 そこなうことなく、やぶることがない。 水が海をおおっているように、 主を知る知識が地に満ちるからである。」

常人では考えられない生き物の組み合わせですよね( ・∇・)笑

個人的な話になりますが、僕は好き嫌いが激しいタイプの人間です。
仮に自分がオオカミだったら羊=食べ物としか認識できないと思います。

でも人間の立場で考えれば、羊の様々な個性を見出すことが出来ます。例えば、毛を刈って布を織ったり、ミルクを搾ったり、可愛いから抱きしめてみたり❤️

イザヤ書に書かれている動物を人に置き換えると、一見相性が悪い人同士だとしても、主を知る知識=神様の考え方では調和するものであるという考えが学べます!


事実、教会では自分が苦手とするタイプの人達に出会うこともしばしばです笑
しかしながら自分が知らなかった人達との交流を通して多くの学びがあります。


元来の僕は、教会=同じような考え方の人の集まりだという偏見をもっていたので、実際に教会に通うようになって教会に対する認識が180°変わりました。

多様な個性の人達が集まる教会も、時代を経ても廃れることのない堅固な共同体であると今なら自信をもって言えます!

今回はここまでです!
長文になりましたが、お読み頂きありがとうございました😊











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