愛を振りまいて
愛を振りまいてというお話。
今日のお話は愛を振りまいて生きていくことが、いかに人として素晴らしいのかということをお話ししたいと思います。
もちろん道徳的に素晴らしいということでもあるんですが、
まぁ利己的な考え・視点で見てもですね、自分の健康であったり、境遇、環境人間関係といった視点、つまり快適に生きるということを総合的に見ても、
最も優れた答えは、自他ともに愛を振りまいて生きると言うことに行き着きます。
もちろんこれは私が今の結論でもありますが、ここに自分の力で到達したわけではなく、
古くはインド哲学が5000年以上前からその境地を見出しています。記録にないところではもっと昔からかもしれません。
そのインド哲学の流れを受けた仏教も、禅も、あるいはキリスト教など、
およそ人類史に残る聖人・賢人と言う方々も皆、一様に同じ結論を教えてくださっています。
そして現代科学においても同様の結論が出て来始めています。
慈悲の心、愛情、感謝の心、こういったこれまで道徳的に美しい素晴らしいとされてきた心を持つことが、
人間の心身にとって最も健康的な状態であるように導いてくれる感情でありますし、
また社会生活を営む上においても、少し想像してもらえばわかるとは思いますが、
周囲に見返りを期待せず、常に明るく朗らかで、愛情と感謝を振りまく人間が、
周りの人たちからどのような扱いを受けるかということを考えてみると、そういった感情できることがあぁどれほど本人の境遇上の整備というか、もちろん幸福にもつながるのかということははっきりわかると思います。
また、自分自身が周囲に時々いらっしゃるそういった尊い方々に対して、どれほど尊敬や敬愛の念を抱くということに思いを巡らせてみても、
そういった心持ちで生きることが周囲からの扱いをどのようなものにするのかということもすぐわかると思います。
しかしながら、そういったところを目的にするのではなく、(そういったものを目的に持ってしまうと、純粋な愛情や感謝の念と言う気持ちではなくなってしまうため)
ただひたすらに思いやりを持ち、周りに愛を向け、人に喜びをもたらす振る舞いを考えて実行して生きていくということは、
自分にとって最も心地良い喜びをもたらしてくれます。
報酬を求めては台無しです。
周りのことを純粋に思いやったとき、その時の体が心で感じる自分自身の”心の尊さ””暖かさ””心地よさ”が、それこそ既に充分すぎるほどの報酬だと言えるのです。
私も完璧にこの境地で毎日を生きているわけでは、もちろんまだありませんが、
ことあるごとに座禅をし心を落ち着け、無私の心で持って、周りを愛し、そして自分のことももちろん大切にし、自他共に調和のとれた生活、愛と思いやりを持って人に触れ合う生活というのを目指して、また実際に実行して、立派な人生が来ていきたいものです。
そしてこれを読んでくださったあなたにもそういった聞かさ事は、何千年代の人類における、最高の生き方であり、また最新の生き方を哲学でもあると言うことなので、
ぜひ一緒に皆でこの愛を振りまく生き方を今日から少しずつからでいいので、初めて行きましょう。
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