側湾症と生きる!ー④大学生になった私と気持ちの変化ー
受験期のお話
高校3年生の夏に病院で
相変わらず手術する気持ちがないことを先生に伝え
経過観察という形で、高校生としての通院は終了しました。
それからの約半年間、私は一般受験のための勉強に励みました。
毎日学校が終わってから予備校に通い、夜まで勉強の日々。
とは言っても、椅子に座って勉強しているふりをしながら
学校生活のことを考えたり、勉強ってどうやってやるんだろう…?なんて
ずっと考え事をしていました。笑
それでも、椅子に長時間座っていることで痛む左腰については
自分なりに対処していました。
自分で椅子とお尻が接触するポジションを決めて、
体重がお尻全体ではなく左尻に乗るように意識しました。
すると腰が伸びて、痛みが少しは緩和され、
なんとか勉強を続けました。
週末は10時間以上予備校で座っていることが普通だったので
少し腰に負担を感じたら、トイレ休憩なり食事なり
一旦立ち上がったり、ストレッチしたり。
それでも、痛む時もありました。
腰がキリキリ痛んで気になって、とてもストレスだったし
他の人はそんなこと気にせず集中して勉強できているような気がして
嫌になるときももちろんありましたが
なんとか、1時間を乗り越え、一日を乗り越え、
受験を乗り越えました。
結果は、私立の大学に進学。
第一志望ではなかったけれど、まあいっか。というくらいの
大学に進学しました。笑
狙った学部に入ることはできたし、とりあえず受験が終わってひと段落。
大学生になってからの病院
中学生の時地元の市立病院のおじさん先生に紹介していただき
高校三年生まで通った大きな病院は、
実は「こども」を中心に見てくださる病院でした。
そのため私よりも若い年齢の患者さんやその親御さんが多くいらっしゃいました。
大学生になり、一度目の診察で
「ここは子どもを中心に診ている病院なので、
年齢と、手術を考えていないことを踏まえて
これからは地元の病院に移って診てもらってはどうか。」
というお話を先生からいただきました。
毎回の経過観察で、レントゲン撮影と先生に診療をしていただき
大学生になった時点で背骨は50度弱の歪みになっていました。
それでも私に手術の意志がないことと、
その病院は車で家から片道1時間ほどかかっていたため
距離的にも少し遠いことを考えて先生はそのように提案してくださいました。
私と両親としてはその提案に賛成だったし、
こども専門の病院で、当時18歳の私が診てもらうことに
タイムリミットを感じていました。
仮に手術をお願いするにしても、手術までの準備や
予約がだいぶ先になることを考えると、
この病院では年齢的にギリギリである、というような趣旨のお話でした。
(もちろん先生は追い出すような言い方ではなかったですよ!)
何より私の気持ち的にも、こども専門の病院で診てもらうことに
申し訳なさ、というか「場違い感」を感じていました。
もちろん側湾症は子どもの患者さんがとても多いので
場違いなんてことはないのですよ!
それでも、手術の意志がないので、
その病院に通い続けることが
この先長くないことは自覚していました。
そしてもう一つ。ラッキーなことに、
私の地元の病院(以前の市立病院とは違う場所です!)に
側湾症手術で超有名な先生がいらっしゃると。
その先生に診てもらうため、全国から側湾症患者さんがいらっしゃるほどの
側湾症手術の第一人者がいらっしゃると。
その先生がいらっしゃる病院は自宅から車で10分。
なんなら、中学生から通った市立病院よりも断然近い!
一度その先生に診ていただき、よければその病院で今後も継続的に
診てもらうよう、(子ども病院の)先生から紹介状をいただきました。
同じ県内ということもあり、先生(子ども病院)はその先生(地元)と
お知り合いで、信頼を置いている先生であると聞いて、
安心しました。
また実績=手術経験は日本でトップクラスに多く、
重度の側湾症手術も多数経験していらっしゃるとのこと。
そのように先生が信頼を置く先生であること。
私に手術をする意志がないまま、これからも経過観察を続けるには、
家が近い方が両親の負担は減ること。
自分の年齢を考慮した上で、
地元の病院に行ってみることにしました。
(大学一年5月ごろ)
大学一年生、サークル活動
高校でダンス部に所属していたことから大学でもダンスサークルに所属しました。
ダンスをしていて、背骨が気になったことはありませんでした。
大学でダンスを始めるこも多い中で、私は経験者であるため
振り付けやチームのリーダーを務めました。
それでも、コロナ禍で活動に制限があることや、
練習するダンススタジオは深夜料金が安いため
活動がいつも深夜に行われたこと、
アルバイト+授業+課題の日々に加え深夜練習、
そしてダンスサークルあるあるのウェイ系の人々。
色々踏まえて、自分はこのサークルを引退まで継続できないと思ってしまったのです。
大学一年の初めの頃、側湾症の手術をすることを
考えてはいませんでしたが、
もし、もし仮に手術したら
ダンスを続けられないことは確実だと、以前から考えていました。
体は柔軟に動かないだろうし、術後は何があるかわからないし。
「ダンスを続けたい」という気持ちも、
ずっと手術を拒み続けていた理由の一つでした。
…が、サークルを退会することを決断。
もちろん個人的にダンスを続ける選択肢もありましたが
割と自分のダンス人生に満足していたので、
その選択はなし。
こうして私が「手術をしない理由」は一つ減ったのでした。
これが大学生の夏。
もちろん、ダンスの存在が手術しない理由の100%だったわけではないので
これを機に手術を決断したのではありません。
次に続きます。
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