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現実から脱走してみた。

ここ数日、得体の知れない何かと戦っていたのだけれど、どうしてもけりがつかないのでたまには逃げてみることにする。

比べちゃう生き物だってことは重々わかってたつもりなんだけど、やっぱり些細なことに感情を振り乱されちゃう自分がいて。受験とは関係ないことなんだけれど。
こういうのは何度となく過ぎてきた出来事のはずなんだけど、今回の場合嫉妬と結びついちゃったのがたち悪かった。
誰も悪くないのに憎むしかなくなる。そんな自分がさらに憎くなっていく、みたいな。自分というより、自分がこのからだのこの人生に割り当てられたことを憎んでるってほうが近いのかも。


いったんスマホのメモに思ってることを書き出してみた。

「どこで差がついたの?あの人ともこの人とも」

「同じような時期に生まれたはずなのに手が届かないのはどうして」

「欠点がない人生ならどんなに想像も膨らんだだろう、自分の世界の一部分が閉ざされたみたいで辛い」

こんなことをしてるうちに、なんとなく今の自分は自分に巣食う劣等感と戦ってるんだなぁ、ってことがわかってきた。
自分が書いたはずなんだけど、見返して感銘を受けたフレーズがあって、

「『憧れられる人』と『神』のどこが違うのかわからない、現実的に考えて」

自分と比べて何もかもが長けてる手の届かない存在っていう点では一緒だし、どちらもたくさんの人から崇め奉られて、あるいは敬われてる。

自分も神みたいな人を崇拝する側にすんなりとまわれれば楽なのだろうけど、そうもいかなくて。
神に「近づく」ことはできるのかもしれない。自分の価値を上げたくて、欠損を埋めたくて、筋トレとかしてみるけれど、いくら頑張っても神と「一緒になる」ことはできない。そこに漠然ともどかしさを抱えてるのかなと思う。

フロイトの防衛機制とかもそうなんだろうけど、劣等感を感じた時の私たちって「この際どうでもいい」の正当化に必死なんだと思うんですよ。でもそれが難しいから困ってる。
だから、現実からの脱走。


手短な現実は微妙にクーラーの効いた部屋だと思うから、とりあえず家から出てみる。

家の近くに本屋がある。言うほど近くはないのだけれど。
まず学参コーナーに吸い込まれた。見慣れた場所だけど、今日は脱走してみる。
まずは地歴の青本をめくってみた。もちろん書いてあることはまったくわからないけど、それでも感覚としては新鮮だった。いつも読んでる青本が別世界みたいに感じられて、なんかよかった。
京大の赤本とかも立ち読みした。そういえば昔は京大志望だったなぁ、とか考えてた。

なぜかまた虚しくなったので哲学の棚に移動。
たまに来る場所だけど、今日の目的は違う。いつもはすごい思想家の御教えに与りに来るけど、今日は仲間を探しに来た。
だから今日はニーチェとかには目もくれない。苦しみを共有できる相手が欲しかった。

急に家を飛び出てきたものだから時間とか気にしてなかったけど、30分は経たないうちに帰ろう。そう思ってたら急に雷。あわてて天気予報を確認してみたら、向こう1時間は雨がやまないらしい。思いがけない延長。
雨が降ると自分の周りに壁ができてるみたいに感じる。ちょうど今感じてる孤独が上塗りされていくようなんだけど、今日はそれがどこか心地よかった。隔絶された私、隔絶されたnote。

運命の相手を見つけた。
シモーヌ・ヴェーユ『神を待ちのぞむ』。
「わたくしは何か自分よりも強いものに強いられて、生まれてはじめてひざまずきました」だってよ。意味はわからないけど。
他とは違う惹き込まれ方があったので買おうか迷う。
いつもは1分経てば我に返って、財布をしまってしまう。でも今日は衝動を飼う日だ。
「世界を充たす恩寵のことば」、いま一番必要なもの。2400円なら安いもんだよね。

濡れるのは趣味じゃないんだけど、そういうとこにすら反抗していきたくてしっかり目に濡れながら帰った。本だけは大事に守ったけど。

つけっぱなしのクーラーも切って、しばらく扇風機で過ごすことにした。もちろん日常からずれたいのもそうなんだけど、楽しみを勉強後まで取っておくため。


夜。お風呂上がり、極限まで涼しくした部屋、結露まみれのタンブラー。最高の環境。

率直にすごい、と思った。
この本の内容はある女性が神父に出した手紙の訳文なんだけど、「どうやって神の意思に一致するか」から始まったもんだからびっくりしてしまった。自分と同じこと考えてる人がいたなんて。

まず、神の意思にはどうしようもない愛するべき部分と義務的に従うべき部分があるらしい。従うべき部分まで従い続けて、ある地点でぴたっと止まって、あとは神頼み。んー、腑に落ちない。

怒られた。社会的な感情と宗教的な感情は確かに似ているけど、やっぱり別のものらしい。でもやっぱり重ねて考えてしまう。
奇跡にあずかれるのは一定水準の霊性を持ってる人だけ。うーん。

謙虚さが痛い。
劣等感を自覚して遜るっていう自分が逃げてきたことをまざまざと見せつけられていて、自分がいたたまれなくなる。
自己愛は与えられるのを待つ以外に仕方がないらしかった。やりきれねえや。

読み進めれば心境の変化があるかもしれないけど、夜も遅いので第1章まででやめておいた。

クーラーの効いた部屋で天井を見上げてると、去年の夏を思い出す。友達と遊びに行ったわけでもないのに、特別楽しかった夏。


去年の今頃はGarageBandに熱中していた。今し方打った「確か」を消すくらいには確実にハマっていた。
音ゲーを遊ぶ身として昔から作曲家には憧れがあって、6年くらい挫折を繰り返してきてやっと去年オリジナル曲を4小節だけ作ることができた。端的に言えば才能がない。

同じ時期に出会った小説がある。名前は伏せておくけどネット小説。アプリの検索で偶然見つけた。
漫画、アニメとかそういう物語に乏しい人生を送ってきた私にとって特別な小説。
特別人気なわけでもない。人気の作品が数万ポイント稼いでいるのに対して、その小説は40ポイント。
その小説の主人公は他人思いが行き過ぎたような性格で、それが原因で落ちぶれたりもするんだけれども、やっぱり愛されてるみたいな存在。
そこになんとなく憧れを持っていたんだと思う。
そんなわけで去年の夏は、GarageBandで音をいじっては小説を読み、アートコアを聴いて溶けるように眠る日々を送ったものだった。

その小説がつい1か月前くらいに終わった。ここ1年の生活はその小説に支えられてるも同然だったので、ここ最近はまあ身の入らない日々が続いている。
ファンレター的なDMを送ってみたら嬉しいことに返信が来た。小説を書くのも楽しいですよ、と。
小説っていう形ではないけれども、ずっと創作欲みたいなものはあって、このnoteもその端くれ。
文章も書きたいし、曲も作りたい。絵の才能はない。
ただ中途半端に神童(笑)をやってきたせいか「将来の夢はクリエイターです!」なんて言えなくて。夢を聞かれたらはぐらかして、まあ漠然と理系です、とか言ってきた。
やっと明確な夢ができた。私、音ゲーを作りたい。その仲間を探すために東大に行くんだ。


そんなわけで、部屋の中だけれども何かと楽しかった去年の夏。人生であんなに楽しい時間、さらさらないだろうな。
17年生きてきて一番楽しかった瞬間、いつだろう?小学校の友達で集まってリズム天国した日?違う。
きっと高校の修学旅行だ。行き先が海外っていうのもあって、まさしく日常からの脱出。食事は口に合わなかったけど。
アクティビティやらミュージアムやらはあるんだけど、夜風に吹かれて星を眺めてる時が不思議と一番楽しかった。

虚しい。
一番楽しかったのが修学旅行って実はすごく虚しいことなんじゃないの?
あの人たちが友達やら恋人やらと海外楽しんでる間、私は何やってるの??
人生のピーク、軽く超えられちゃってるよ???

修学旅行の写真集、私一個も映ってなかったな。あの子は10枚くらい撮られてるのに。
そういう人と形だけ対等な立場でも、内面では比べちゃってまた自分が虚しくなる。余念なく楽しめる、そんな状況にない。満たされない。辛い。

そういう意味で中学の修学旅行は満ち足りてた。
中高一貫だから単に行き先が違うだけだけど、感触が全く違う。
たぶん、中途半端な恋心とか覚える前だったから。友達が少ないクラスだったっていうのもあって純粋に楽しめたのかも。
賭けみたいな気持ちで嵐山の奥に進んでみたら絶景が広がってた。野暮ったい言葉だけど。
秘密の茶屋みたいな場所もあってなんだか凄かった。あの景色を知ってるのは自分だけなんだろうな。

そう考えると、海外の修学旅行ももう少しいい思い出になるかもしれない。
わけあって、帰りの飛行機に乗ってるときは今みたいな落ち目の感情だった。みんな寝てる時に一人モニターでアニメを見続けてたせいで、寝起きも最悪。
ふと窓の外を見たら一面の雲。朝日でほんのりと
赤い。なんかこの景色いいなぁ。
あの雲を一番美しく感じていたのは自分だったと思う。

旅程通りに楽しめる人間ではなかったけれど、この際それでもいいような気分がしていた。
私にとってそこが「この際どうでもいい」の妥協点だった。


本質的な解決にはならなかった。
劣等感と戦っていく上で、その気分は何ら役に立たない。
盾として弱すぎた。
彼らが楽しそうにしてるのを見ると目が眩む。
それなのに、私は澄んだ物語さえ持っていればいいっていうものか。

私が歌詞のない曲を聴く理由。
どうしてもおこがましい気がしてしまう。言葉が。
不条理と戦っていくみたいな歌詞を見てもどうにもならない。私の中に渦巻く感情が、大して長くない歌詞に説明されるはずない。されてしまったならどんなに寂しいことか。

でもここまで自分の気持ちを言語化してみて、どうして負け続けてきたかようやくわかった気がする。
戦うからだ。
きらびやかな勢力と戦うのはやめよう。
自分の足りない部分を比べて、さらに落ち込む。だから負けるんだ。
じゃあやめてしまえ。
彼らのフィールドで争う理由はないから。
圧倒的な力の前には、どんな癇癪も歯が立たない。

憧れられる人。それってつまり機関なのかもしれない。省庁みたいな。
細部まで完璧に動く。彼らは夢を与える機能をもっていて、抜け穴の一つも見せない。それ自体の論理で動いている機関。
私が目をかける理由が見当たらない。羨ましがる理由も特にないはず。私は彼らとは別軸で動いてる人間だ。

現実からの脱走とは言ったけど、そもそも脱走する義理はないはず。私なりにまっとうに生きてきたのに、どうして道を外れる理由があるだろうか。
ただ、現実の捉え方が少し変わっただけだ。
三人称の人生を送るのにはもう飽きた。

劣等感さん、こんにちは!
いやぁ、お強いですね(笑)
参りました!私の負けです!^_^
さようなら!👋

これでよし。
もう他人と比べるのはやめにしよう。自分の人生を生きていたい。でもそれって、周りを気にしないってことではないはず。
恥も外聞もある私だけど、私は私だからこそ私なのであって。もうよくわからん。

気軽にどつき合える友達を大切にして、不用意な青春を捨てよう。
殿上人みたいな人と話す時には、礼節をわきまえつつ内容に淡々と返す。それでいいはず。
格差とかそういうのをまるっきり受け入れて、とにかく目の前にある人生をまっすぐに生きてやればいいんだ。そうすれば自然とついてくるものがあるって信じてる。もう二度と、強大な力に絆されてたまるか。


勢いで書いてたら収拾つかなくなってきたので、そろそろやめておきます。
自己紹介的なnoteを書いてこなかったんですが、これが代わりです。考え続ける日々。世捨て人みたいに生きていたい。
思うところがあったら加筆します。読んでくれてありがとう

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