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京都学生演劇祭2019Dブロック 劇団ストロベリーフレーバー『コドポリーとレムレル』観劇感想

劇団ストロベリーフレーバー 

 『コドポリーとレムレル』

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王国を救うため地上へ派遣された、黒い天使コドポリーと白い悪魔レムレル。
そこで出会った王女リタをきっかけに、二人の秘密と本懐は揺らぎだす。
その時二人の取った行動とは…?
                      演劇祭当日パンフより引用

観劇ステージ:2ステ

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ファンタジーとは生まれて初めて出会う世界であり、
ファンタジーとは皆が憧れるスーパースターであり、
ファンタジーとは私を酷くフッた初恋の相手であり、
ファンタジーとはお高くとまりやがった×××××であり、
ファンタジーとはそれでもなお心に居座り続ける悪魔である。

…信じてもらえないかもしれないがこれは今を生きる創作者にとってファンタジーとは何かを自分なりに考え表現した(怪)文章である。我ながら例えが下手過ぎて涙が出てくる。
つまり何を言いたいのかというと「ファンタジーって皆憧れるけど難しいよね(超意訳)」ってことである。語彙力が欲しい。


あらすじ

むかしむかし
女神様の導きで天使と悪魔が王国に遣わされました。
そこの王様は王妃がいなくなってからというもの仕事を放棄して酒に溺れる自堕落な王様でした。
そんな王様には一人の娘がいました。王女です。
天使は王女に一目ぼれしました。
悪魔はそんな天使に対し愛の価値を否定しましたが、
天使はそんな悪魔に対し愛の大切さを訴えたのでした。
ある時、王様は突然威厳を取り戻して国を再び治めました
それを時を同じくして王女はぱったりと笑わなくなってしまいました。
天使とメイドは王女の笑顔を取り戻そうとしますがうまくいきません。
彼らはこれは悪魔の仕業ではないかと気づきました。
王様は国を治めるのに相応しい王に戻るために、この世で一番大事な王女の笑顔を代償に悪魔と契約を交わしていたのです。
天使とメイドは悪魔と王様に対して、契約を破棄して王女の笑顔を取り戻すよう求めますが悪魔と王様は応じません。
お互いに譲らない話し合いの中で中で彼らは気づきました。
天使と悪魔をこの国に遣わした女神様は、元はこの国の王妃だったのです。
女神様となった王妃は彼らの前に現れ優しく語りかけました。
王妃様の声を受けて王様は悪魔に対して契約ではなく自分自身の心で再び王としての責任を果たすことに目覚めました。
しかし悪魔との契約を解くのは非常に困難なことなのです。
天使は悪魔の反対を押し切って自らを犠牲にして契約を打ち消し、王女の笑顔を取り戻しました。
そんな天使の最期に心を打たれた悪魔は、国が救われすべてが終わった後に自らの命を絶ちました。
生まれ変わったら、自分も愛されることを願い…
おしまい

間違ってたらごめんなさいだけど大筋はこんな感じか。

Tento príbeh je tradičným slovenským folklórom.
Deti a dospelí vyrastali a počúvali tento príbeh.
(訳:この物語はスロバキアの伝統的な民話です。
子供も大人もこの物語を聞いて育ちました。)
とかなんかそれっぽい適当ぶっこかれたら信じてしまいそうなくらいに民話チックで分かりやすい筋書きだ。おやすみ前の読み聞かせとかでありそう。
ちょっと絵本で欲しくなる。

ただ、その骨組みに対しての肉付けがどうにもアンバランスに感じてしまう。かっこいいはずのライオンなのに、おなか周りは弛んでて、何故か背に骨のないふにゃふにゃの翼が生えてる感じ。ライオンなのにもったいない。
一番の要因は物語と設定のアンバランスさだろう。

桃太郎で例えてみよう。
・お供の犬「彼の前世は猿神討伐の英雄として名を馳せ、来世では飼い主の老人のために金銀財宝の位置を示した忠犬であり、さらに平行世界においては人間との間に子を成した後に国の現状を憂いて出馬をし…(以下略」
・お供の猿「かつては暴れ回って仏の怒りを買って封印され償いとして坊主と各地を回り、輪廻転生の果てに戦闘民族の末裔となり何の因果か故郷の星を滅ぼした全宇宙の帝王と…(以下略」
・お供の雉「(以下略」
って設定があっても桃太郎の物語を楽しみたい人にとっては正直邪魔だ。
いや、設定はあってもいいけど「桃太郎」という物語を見せたいのであれば、不用意に匂わせたりするべきではない。
「仲間を集めて鬼退治」というシナリオから脱線して作品のテンポをぶっ壊すし、読者や見ている人達が話を理解する妨げになってしまう。
人によっては本筋の「桃太郎」よりも設定で示唆された「ド〇ゴンボール」の方が読みたくなってしまう。

上の桃太郎の例えはだいぶオーバーになってしまった感じはあるが、この作品にも似たようなことが起こってしまっている。
シンプルなシナリオと45分の尺には不釣り合いな設定の量(というよりも濃さ?)は確実に観ている側の理解を妨げる。
分かりやすく伝えるべき重要な部分がまどろっこしかったり、もっと掘り下げてほしい部分があるのにそこの秘密に時間割くの!?と思わされる場面もあった。
また、俺としては本編の内容以上にコドポリーとレムレルの過去の方が気になった。
未だ卒業できてない(するつもりのない)中二ハートの琴線にはガンガンに触れるというのもあるけど、言っちゃ悪いけど本編の内容だけでは黒い天使と白い悪魔な理由がビジュアル的に映えるくらいにしか必要性を感じなかったし…

もちろん世の中にはあえて本編では明言しない膨大な裏設定そのものを魅力とする作品も存在する。
だがこの作品の場合は出された情報が中途半端で「自由に考察する」「踏み込んで考察する」というよりも「既存のパターンに当てはめる」ってなっちゃうのが惜しかった。


冒頭で触れたようにやっぱりファンタジーは作るのが難しい。
そしてファンタジーを見る人の目は厳しくなりがちなんだなと思う。
過去の京都学生演劇祭でもファンタジーで勝負してきた団体はあったが、少なくとも自分が参加していたここ数年間でこの手のファンタジーが高い評価を受けたとかそういうのはあまりなかったように感じる。
演劇祭のシステム上舞台美術で凝るのは無理があるし、持ち込める小道具装置類その他諸々も限られてる以上、ジャンルが持つ本領を発揮しにくい部分もあるが、一部講評でも言われてたようにこの手の作品類に対して「冷ややかな目線」をおくる人は一定数存在する。
正直に白状するけど俺もそういう人種なんだと思うよ。
例えば、ファンタジーやエンタメってだけで冷たい目線を注ぐ抽象劇至上主義みたいな奴。
例えば、ただ単に高二病を拗らせた奴。
例えば、自分の中のファンタジー感確立しすぎて他人の作るファンタジーを見る目が厳しくなっちゃった奴。
俺の場合は3つ目だ。ついでに巻き込むとDブロック終わった後に一緒に話した○○○○も3つ目だ(と俺は勝手に思います。ごめんなさい。)


続きましては役者さんたちの云々

全体的に役者さんたちの姿勢がよかったなと感じた。
全員が作品を大事にして、自分たちの仕事を全うしているのだ。
「自分はここに納得してないんだ!」って不満とか
「ここは50%に収めるとこだけど自分ならもっとやれる(120%)」
等といった作品以上に自分の欲を優先する不誠実さって案外演技に出る。
これが吉と出るか凶と出るかは作品にもよるが、特にこういう作品だとそういう奴が混じれば一気に崩壊する。
「出演者全員が作品を大切にして、各々の役割をきちんと遂行する。」
いやいや、そんなの当たり前じゃん!って思うでしょ?
世の中にはそれすらやらない奴がいるんです。
例えば俺。

その仕事ぶりを支える下地が「メンバー達の仲の良さ」ではないだろうか?
ブログとかSNSから伝わってくるメンバー達の仲の良さがこの団体1番の魅力であると俺は思う。
「仲が良いこと」とはとても素晴らしいことだ。
逆説的にとはいえ俺の大学生活4年ちょいで学んだ一番のことだと言っても過言ではない。
世の中の学生劇団を見てみなさい!
魑魅魍魎悪霊跋扈之地獄絵図だ!(※あくまで個人の見解です)
土の味だのゲロの味だの石鹸の味だのな百味ビーンズの外れフレーバー共と比べりゃ彼らのイチゴ味がどれほど素晴らしいことか!

だいぶ脱線しましたが(今更)、気になった役者さんたちについて書いていきますね。はい。

仲保樹 さん(レムレル役):実行委員でもあったから会う機会はあったけどあまりお話しする機会無かったな…。クールな人やなと思ってましたが、舞台上でもクールキャラが徹底してあったので、コッテコテのギャグキャラをやってる姿がすごく見たい。動機としては俺はクールぶっても30秒も持たない人種なので嫉妬の対象だからですね。けっ!

ポーゼ さん(王様役):雰囲気が友達の役者に似てた。恵まれたガタイによく通る声はすごく良い武器だろうなと思う。実際今回の王様役にはすごくマッチしていた。だが脇に目が行く…

志賀びわ子 さん(メイド役):名前のセンスが素敵。ギャグもシリアスもきちんとこなせてて、ドラフト指名も納得。ドンキーコングは卑怯。


もう新規公演に向かって動き出しているとのことで行動の早さにびっくりだ。というか俺が感想上げるの遅いだけか?そうだな。俺が感想上げるのが遅いだけだな。ごめんなさい。

何はともあれ次があるということほど喜ばしいことはない。
「今回が最後です」な人もいるし「次があるかどうかはわからない。」な人だっている。
お前あんだけ舞台でノリノリやったやん?辞める素振り一つも無かったやん?って奴がいきなり辞めることだってあるあるだ。
いや、辞める辞めないは個人の自由だし、演劇なんて不安定極まりないことやってんだから当然のことであるんだけども…
それでも誰かが演劇を辞めていくことに寂しさを感じる人間としては、次があるだけで万々歳なのだ。

というわけで今後も頑張ってください。
以上、ありがとうございました。



追記…

本番終わった後のほぼ初対面の相手に「脇ツルツルっすね」はないぞ俺!絶対にない!出来ればあの瞬間にタイムスリップしてもっと気の利いた言葉を掛けたい!ファーストコンタクトで脇がツルツルなことに触れる奴がどこにいるんだよ畜生ぁぁぁぁぁああああああ!!!

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