見出し画像

エッセイ 強迫性障害のこと

 (2100字程度)

 2021年の五月はパンデミックの只中だった。41回目の誕生日を迎えた私は、ある二つのことに気がつき、それらについて、あらためて考えを巡らせずにはいられなかった。

 大学院を中退してから現在に至るまで、私はどこかに職を得て、フルタイムで働くということを、経験したことがない。
 60歳定年制は、すでに昔の話となっている。
 とはいえ、もし今でもこの制度が続いていたとしたら、41歳となった私にとっては、過去は単なる過去以上の意味を持つことになる。動かしがたい事実として、新たな形でもって、私の内に残ることになるのだ。

 二十歳で年金の支払い義務が発生してから、六十歳までを一つの区切りとして考えてみる。
 ゴールは六十歳までと仮定されている訳だから、40歳から41歳になった時点で、働いて年金も支払えている期間が働いてもいなければ年金も支払えていない期間を上回るという状況が、私には永遠にやってこないことが確定することになる。
 それなら、ということで、次の日から60まで働いたとしても、それでも、働いていない期間の方が長くなってしまうことになるのだ。
 私は溜息をつかずにはいられなかった。
 例えそれが、六十歳定年制を前提とした仮定の話であったとしても、晴れない霧のせいでまるで自分が卑怯者であるがごとく感じたのは、仕方がないと言えば仕方のないことであった。

 もう一つの考えも、根底では繋がっている。
 私が精神科に通い始めたのは、二十歳の誕生日を迎えた頃のことだった。 
 精神科に通い始め、薬を飲むようになって21年が経った。
 強迫性障害と診断されたのが二十歳の時。私の人生の中で、強迫性障害と縁のなかった時期よりも、強迫性障害と診断されてからの方が、長くなってしまったのだ。 
 根治は難しいと知ってはいたし、順調に生きながらえていれば、当然いつかは罹患してからの時期の方が長くなるに決まっている。 
 しかしやはり、いろいろ思いを巡らせずにはいられなかった。うまく付き合っていくのが肝心とはいえ、私も人であり、強迫性障害は病気だ、障害だ。
 いつもいつでも仲良くできるかとなると、そうもいかない。理想はやはり理想でしかない。
 蹴り飛ばしたく感じてしまう日だって、時にはやって来るのだ。

 ところで、最近、すこぶる調子が悪い。
 正直なところ、書く書かないどころの騒ぎではなかった。
 症状と格闘しているうちに、消耗が限界に至った。心の内に潜む敵に自分を奪われない為には、四六時中緊張している必要がある。ある様に感じてしまう。
 傍で見ている家族が言うには、私は常に怖い顔をしているらしい。
 自分でも何となくわかってはいた。自分が、鬼の様な顔をして生活している気がしていた。
 そんな表情でしか生きられない自分を思うと、情けなくてたまらなくなる。申し訳なくて、言葉が出ない。

 少しでも人間らしい生活が送れるように。当たり前のことが当たり前にできる一日になるように。そんな思いを胸に、日々を過ごしている。

 こんなことばかり書いていると、余計な心配をかけてしまうのかもしれない。しかし、もうそろそろ正直なところを吐露した上で、その上で、安心して温かい目で見守っていてほしいと思ったのだ。

 実際のところ、入院もせずに自宅で暮らせているし、睡眠もしっかり取れている。食欲に至っては、もう少し落ち着いてくれないだろうかと考えている程だ。

 それに加えて、心強い安心材料として、私には、二十代の終わりに、今より比べ物にならないほどの症状のひどい時期があった。
 地獄の様な日々だったが、それですら、ニ、三年では何とかなった。
 それからというもの、絶望的な日々というのはいつまで続くかわからないから絶望的なのだ、と考える様になった。
 今、調子が悪くとも、あの時以上にひどくなるということは、まず考えられない。調子が上向くのに、きっと二年もかからないことだろう。
 私にとって重要なのは、きっと待ち続けることなのだと思う。

 書きたいという気持ちというのは、私にとってはおそらく、バロメーターみたいなものなのだと思う。
 症状が邪魔して家から出るのに三時間も四時間もかかるけれど、こんな状態でも、しばらくすると、一つ何か書きたくなってくる。
 こんな状態で何かが書きたいなんて、それはそれで少し自然に反している気もするのだけれど、何にしても、心が落ち着いてきている証拠なのかもしれない。
 そう考えると、救われる気もする。

 いつかは書こうと決めていた私の一面を、今回、書くことにした。こんな形になるとは思っていなかったけれど、もう少しさらっと書けたらよかったのだけれど、今後もこれまでと同じ様に、続けていければと考えている。

 これを機会に、強迫性障害にも関心を持って頂ければ、とても幸いに感じます。

 次の記事がいつになるかはわかりませんが、待っていてくださる方がいたとしたら、それは私にとって、身に余る幸せと言うべきでしょう。

 皆様も、お体にはお気をつけ下さい。それでは、次の記事で。

書いたもので役に立てれば、それは光栄なことです。それに対価が頂けるとなれば、私にとっては至福の時です。そういう瞬間を味わってもいいのかなと、最近考えるようになりました。大きな糧として長く続けていきたいと思います。サポート、よろしくお願いいたします。