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働いて何を手に入れる?

パラレルワークと自分にとっての報酬の話。といっても、本業以外で暮らしていけるほどの金銭収入はまだ得られていないし、副業で稼ぐという話ではありません。

「我慢して稼ぐか」「好きなことだけやって稼げないか」どちらかしか取れないような気がして、でもどちらかだけじゃ嫌で、覚悟ができないままその時々で呼ばれた方向に流されていたら、いつしか履歴書の行数が足りない人になってしまった。

「将来のためになるなら、お金を払ってでも働かせてもらえ」というのは、大企業から脱サラし、お店を開くために丁稚奉公をして起業した父の言葉。(丁稚奉公:現物支給とか今で言うところのインターンみたいなこと)
起業から30年以上を経ても、お店の仕事が楽しいと仰る。天職だと。私から見てもまだまだ夢は尽きないようだし、ありがたいことにつぶれない程度にはお客さんも来ていただいているし、うらやましいことだ。
そんな父と、その夢を八面六臂の活躍で支える母を見て育ったので、自分もいつか天職を見つけて起業するもんだと思っていた。

天職になかなか出会わないもんだから、限りなくブラックに近いグレーな時代の広告代理店や超ホワイト大企業の広報まで色んなカラーの会社で働いたり、他にも業界バラバラでフロント側の仕事も裏部隊の仕事も様々経験させてもらったりしたけれど、やりたいことも報酬も満たされる「それ」は結局見つからなかった。

だけど、ここ2年くらいプロボノとして他社の仕事にプロジェクト参加する機会を得たことが転機になった。給与収入をもらっている本業とは違って、ほぼタダ働きがゆえに「私は何のためにこんなに一所懸命ここで働いているのか」という命題を真面目に考えることになり、そもそも私の報酬は金銭だけじゃなかったんだ。と気づくことができた。

私にとっての「働く」は、

・自分にできることや自分の感覚を生かして何かを社会に生み出すこと
・「仕事」という枠組み・メディア(媒介)を通じて自分がやりたいこと、楽しい面白いと思えることを実現すること

というのがコアの価値で、働く=稼ぐこと=報酬、というのはちょっと違うんだろうなと。それに、時間×労力=対価としての金銭的報酬、という掛け算的な数式も自分の中では少し違うのかもしれないと思うきっかけになった。

それがわかってからは、少しずつ自分にとっての報酬を求めることもできるようにもなり、本業も合わせた全部のバランスで、初めて自分が欲しかったもの全てが満たされながら働けていると思う。天職という何か一つは無いけれど、天職を得たら感じられるのであろう満足は得られた。確かめようがないけど今はそう思える。

最近、パラレルワーク界隈の交流会やセミナーでよく聞く「グラデーションのある働き方」が副業解禁やら老後2000万円問題やら、色んな外からの事情で一般認知されてきて、世の中の空気を含めたちょこっと働くためのプラットフォームは整ってきていると感じる。

あとはそういった道具の使い方と、それぞれの働く人が「何が欲しくて働くか」を認識したら、みんなもっと完璧なバランスが見つかって、うつ大国自殺大国ニッポンみたいなのももう少しマシになるんじゃないかと。

履歴書なんて行数が足りなくても大丈夫。ワードで作ったら行足せるから。その頃には免許や資格もきっと増えてるからどうせ右側も足すし。ついでにちょっと美人に見える加工も覚えると便利。いや、加工してないけどね!

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