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「尻と汗と缶コーヒー」

# 2 テンギョー・クラ(ヴァガボンド、ストーリーテラー)

東京の繁華街の大きな交差点に面した公園に続く階段の登り口辺りの路上で、半分尻を出しながら横になっている男性がいた。
東京は10月だというのにここ数日は夏のような暑さが続き、道ゆく人たちの服装は軽やかだった。
男性が寝ている交差点に面した一角では、週末の夜になると小柄な女性がギターの弾き語りで人気を博し路上に人だかりができていた。
そのシンガーは夜の10時になると決まって「なごり雪」を歌ってライブを終えた。
そして「おじさんお休みなさい」と横になっている男性に声をかけて帰るのが常だった。
男性も彼女のなごり雪を聞き終えてから眠りにつくのが週末の慣しになっていた。
その日の夜、彼女が立ち去ったあと、通りに背を向けて横になっていた男性の耳に「すみません。」という声が聞こえてきた。
気にせず目をつぶっているともう一度「すみません。」と声がかかった。
訝しげに目を開けて上を見やると、坊主頭の精悍な顔つきの男性が立っていた。
「何?なんですか?」驚いて警戒しながら聞くと「今からここでしばらく踊らせてもらってもいいですか?」と坊主頭の男性は柔和な声で言った。
「え?踊り?」
「はい、うるさくしないようにします。」
首にタオルを巻き短パンにサンダル姿だった。
男性はちょっと安心して答えた。
「あ、どうぞ。俺は見ないけど、ご勝手に。」そう言って彼は再び目を閉じた。
しかし眠ろうと思うのだが、なかなか眠くならない。
坊主頭の男性には踊りは見ないと言ったけれど、妙に頭の後ろが気になった。
少し注意して耳を傾けると、ステップを踏むような足音が交差点を通る車の音に混じって微かに響いてきた。
しばらくすると足音と共に踊っている男性の息遣いも聞こえてきた。
ハッハッと一定の調子で聞こえる時もあれば、スーッ、シューッと長く息を吐き出している時もある。
横になっていた男性は、誰か足を止めて踊りを見ている人がいるのだろうかと思い、やおら首をもたげて振り返ってみた。
そこには誰一人足を止める者がいない中、うっすらと額に汗を浮かべながら、一心に身体を動かしている坊主頭の男性がいるだけだった。
彼が裸足で踊っていることに、路上で横になっている男性はすぐに気がついた。
サンダルは階段の登り口に無造作に脱ぎ捨てられていた。
そうしているうちに、踊っている男性の目と横になっている男性の目が一瞬合った。
横になっている男性はハッとして慌てて背を向けて目をしっかりとつぶった。
踊っている男性の真っ直ぐな眼差しがまぶたの裏に焼き付いてしまった気がした。
そしてその残像を振り払うかのように違うことを考えようとしたが、どうしてもその場の空気に気持ちが引っ張られてしまった。
彼は何のためにわざわざここで踊っているのだ?
自分に声をかけてきたのはなぜなんだ?
頭の中がグルグルするような感じで、すっかり眠気がどこかへ行ってしまった。
「えーい、しゃーねーな。」そうひとりごちて男性はムクっと半身を起こして思い切って踊っている男性の方を向いた。
坊主頭の男性は黙々と踊っていた。
吹き出した汗は彼のグレーのTシャツを濡らしていた。
相変わらず見物人は一人もいなかった。
起き上がった男性は踊る男性をじっと見つめていた。
もう目が合うことはなかったが、なぜか二人の心の目がお互いを見つめ合っているような気分だった。
踊りを見つめていた男性は喉の渇きを感じ、昼間に飲もうと買っていた缶コーヒーがあったことを思い出して、枕がわりに置いていたカバンを漁った。
缶コーヒーを引っ張り出して振り向いた時、坊主頭の男性は気をつけのポーズで直立し目をつぶっていた。
真一文字に結んだ口から息が吹き出しそうになるのをこらえるように鼻と肩で大きく呼吸をする男性の姿が、交差点の赤信号の群光を背景にクッキリと浮かび上がって見えた。
やがて坊主頭の男性は目を開いて、あぐらをかいて缶コーヒーを持っている男性に静かに微笑んだ。
それが合図であったかのように「あなた、何でここで踊ってるんですか?」と缶コーヒーを握ったままの男性は踊り終えたばかりの坊主頭の男性に聞いた。
「この階段の上には大きな公園もあるし、そっちの方が見てくれる人も多いんじゃないですか?」
缶コーヒーを持った男性はなぜ自分がそんなことを聞くのか自分でもわからなかったが、言葉が思わず口をついて出てきてしまった。
汗だくで立っていた坊主頭の男性は首に巻いたタオルを外して顔を吹いてから、はっきりとした口調で答えた。
「僕はあなたに見てもらいたかったんです。」
「へ?」
路上にあぐらをかいて聞いていた男性はキョトンとした。
「俺に?この俺?また一体なんで?」そう聞き返すのがやっとだった。
吹き出す上半身の汗を拭きながら、困惑する男性と目線を合わせるように坊主頭の男性は路上に座り込んだ。
「僕、時々ここで路上ライブやってる女性の歌聞いてたんです。彼女、ライブが終わると必ずあなたに声かけてましたよね、おやすみなさいって。あなたもいつも彼女にお疲れさん、また頑張ってねって返事してました。」
あぐらをかいている男性の表情から徐々に困惑の色が消えていくと同時に驚きの表情が生まれた。
坊主頭の男性は続けた。
「人は色々なやり方で世界と出会えるんだなって、僕はあなたたちのやりとりを見て思ったんです。そして僕自身はどうやって世界と出会いたいんだろうって考えました。」
そう言ってから、坊主頭の男性は少し夜空を見上げた。
あぐらをかいて缶コーヒーを持って聞いていた男性は、黙って坊主頭の男性の次の言葉を待っていた。
真横の交差点を何台ものバイクがエンジン音を響かせながら走り抜けていった。
「僕はこの世界とダンスを通して出会いたい、そう思ったんです。世界っていうのは、世界の全てでもあるし、目の前のたった一人でも、っていう意味です。」
しばらく二人の間に沈黙が流れた。
その沈黙を破ったのは缶コーヒーを持った男性だった。
「なんかよく分からないけど、あなたが踊ってるのを見たら眠くなくなっちゃったよ。」
そう言って少しだけ愉快そうに笑った。
そして「良かったらこれ、持ってって。」と男性は持っていた缶コーヒーを差し出した。
「あんまり冷えてないけどね。」
そう付け足した男性から缶コーヒーを受け取った坊主頭の男性は「いただきます。またいつかここで出会えたら踊っていいですか?」と聞いた。
「あぁ、でももっと早い時間がいいかな。眠気が吹っ飛んじゃうから。」
路上に敷いた段ボールの上に横になりながら男性は今度は本当に愉快そうに笑った。
再び交差点に背を向けて横になった男性のズボンから少しはみ出した尻が、一斉に青信号になった交差点の光を反射してブルーに輝いた。
坊主頭の男性は尻を向けて寝ている男性にしっかりと会釈をして、サンダルをつっかけると公園へと続く階段を登り始めた。
空には半月が浮かび、手の中の缶コーヒーはぼんやりと冷たかった。

(テンギョー・クラ)

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彼に似ている人間は会った事がなく、とても強い眼差しで言葉をかけてくる。居場所を変え続け出会いを繰り返し、行く先々で誰かに肩を貸す。もし僕らが困ったら必ず全力で力を貸してくれるだろう。彼のお母さんに会ったとき、「テンギョー・クラが・・」と息子の話していたのが良かった。テンギョー・クラは紛れもなくテンギョー・クラという唯一無二の存在である。

(アオキ裕キ)

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(ヘッダー写真:岡本千尋)



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