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2.草加にいる人たちを知ることに

通っていた高校で禁止されていたアルバイトを始めたのは、もちろんお金が欲しかったということもありますが、もしかしたら「反骨精神」だったのかもしれません。

進学にあたり、少し納得がいかないことがありました。他に行きたい専門学校があったのですが、両親は聞く耳を持たなかったんですよね。渋々、併設の大学に行くことを決めました。その時は、なんだかこれからの人生が面白くなるような気がしなかった。自分の意思で動けないんだ。って思って。

家にもあまり居たくなかったということもあり、アルバイトはお金も入るし、ちょうど良い逃げ場でした。

草加駅前、個人でやっている居酒屋は、店構えからして若い人は入ってこなさそうな雰囲気がありました。

隣のパチンコ屋で勝っても負けても同じような時間にやってくる人。穏やかな口調で話す役所の人。夜の商売をしていそうな女性。会社の重役っぽい雰囲気のある人。裁縫仕事をしているおかまちゃん。いつも端っこに座る怖そうな人たち。

みんな来る時間は重なっていなくても、それぞれ顔見知りのようでした。例えていえば「下町」って感じのノリだったのかな?

それまで、学校や家族以外の人と繋がることがなかったので、アルバイトが社会とつながる最初のタイミングでした。今思えば、随分と濃い人たちと初めから接していたなと思いますが、その時は、社会っていうのはこういう人たちでできているのかー。と割と普通に感じていました。

何よりも、その居酒屋で働く人たちが、みんな家族みたいに扱ってくれたので、なんというか、親戚の家でお手伝いしているみたいな感じでした。

その居酒屋の二階は、当時としては何やら怪しげなバーがありました。聞くと、一階の居酒屋の弟さんがマスターをしているということ。

入り口からは想像できないくらい奥行きのあるバーで、アメリカに来たみたいな雰囲気のある場所でした。当時、まだアメリカに行ったことはなかったんですけどね。一階の下町感覚の居酒屋と、二階のバーとのギャップが凄くて、初めて行った時は、かなり驚きました。

今思うと、当時は、外国に行きたい欲とか、広い世界を見たいという欲があったのかな?と思います。こんな近くに外国みたいなところがあって、たまに外国人も来ているってことで、大学生になってからは、よくそこへ行くようになりました。

一階の居酒屋にいるお客さんのタイプとはまた違ったタイプの面白いお客さんが来ていました。カウンターに一人でくる人は、自分のように、ちょっとひねくれた人が多かったので。笑

一人でお酒を飲みながら店で流れているMTVを見ながら考え事をする。たまに同じように一人で来ているお客さんと、少し話をする。

そうやって、草加に住んでいる人とも少しずつ交流するようになっていきました。

続く











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