見出し画像

「無」と「空」

おはようございます。
先日マインドフルネス瞑想のお話をさせていただいたところ、「瞑想するということは心を「無」にするということですか?」という大変良い質問を頂きましたので、ここでお答えさせていただきます。

座禅を組んだり、瞑想するときに、「心を無にする」ということをよく聞きます。心を「無」にするとはどういうことでしょう?無ですから何も考えない、何も心に上らない状態でしょうか。たしかに一瞬なら何も考えていない状態はできるかもしれません。でもそれを何分も続けられるでしょうか?実はマインドフルネス瞑想で到達したいのは「無」の境地ではありません。

「無」と似た言葉に「空」があります。みなさん、「無」と「空」は何が違うかわかりますか?「無」というのは何も無いということですね。では「空」も空っぽだから何も無いと言うことでしょうか?実は「空」というのはちょっとニュアンスが違います。仏教における「空」というのは、何も無いという意味ではありません。そうではなくて、いまここにあるものは諸々の条件が重なったためにたまたまここにそのようにあるのであって、その条件が崩れたらなくなるかもしれない、という意味です。未来永劫変わらずに存在し続けるものなんてないのです。そういうことがわかった上で目の前のものを見ている、というのが「空」の境地です。

心の中ではいろいろな思い、特に欲望や過去への執着などが湧き上がってきます。こうしたいろいろな思いも未来永劫続くわけではありません。たまたまいろいろな状況が重なって、自分の中にいまそのような思いが生じているのです。心もまた「空」なのです。私たちは心の中に思い浮かんだものは絶対的なもののように感じてしまいます。しかし実際にはそうではなくて、たまたまいまそういう思いが湧き上がっただけであって、ちょっと状況が違っていたら全く違うことを思っていたかもしれない。そのように自分の心から一歩間をおくことが大事なわけです。それを冷静に見つめるのが、マインドフルネスです。

瞑想でクリアになった境地で、自分の心に湧いてくるものをひとまず認めてあげましょう。「寛・容・許」の精神です。寛く容れて許す、です。欲望であったり執着心であったりを一旦認めて、それから手放すわけです。いろいろな思いはたまたま湧き上がってきたわけであって、自分の中心を成しているわけではありません。そのことに気づくことが大切です。このとき自分を否定してはいけません。あくまで肯定的に受け止めて下さい。寛容許です。そうか、自分の中にはこんな欲望があったのか、それが自分を苦しめていたのだね、では一度それを手放してみようか、という風に。

もし心や身体に不調を感じたら、瞑想を行って、自分のことを優しく受け容れてあげて下さい。自分を苦しめている欲望が見つかったなら、そこから一度離れてみましょう。それは未来永劫消えないものではないのです。

本日は最後までお聞きいただき、どうもありがとうございました。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?