銀行を辞めてSoJuiceを開いた話

初めまして。SoJuiceオーナーのコバヤシです。

1984年2月生まれ、先月で僕は37歳になりました。

SoJuceをオープンさせたのは2017年4月、33歳の時です。
それまでの僕は大学院を卒業してずっと銀行で働いていました。

(大学では農学を専攻して野菜と果物の研究をしていました。専門は温州みかんでした。)

このnoteでは、安定した銀行員の時の生活を捨てて、0から飲食店を開いた時の話やその時の心境、今後のSoJuiceの経営で実現したいことなどを書いています。

銀行員時代

銀行で働いていたとはいえ、僕は部門別採用で入行しており、
ずっとマーケット部門で働いていました。
いわゆるトレーダーという職種で、たまにニュースなんかでパソコンのモニターが何枚も置かれたデスクでカチカチとキーボードを叩いている映像なんかが流れますが、まさにあの風景が僕の仕事でした。

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なぜみかんを研究していた人が銀行のトレーダーに?とよく聞かれるのですが、真面目な回答とかなり真面目な回答があるので、興味があればいつか声をかけて質問してください。

金融マーケットは今でも好きだけど、20代の頃は今よりももっとマーケットに夢中になっていました。
起きてる時間はもちろん、寝てる時も2時間おきに目を覚ましNYのマーケットを見て取引をしていました。
そのためか、今でも夜は2時間おきに目が覚めてしまいます。

(今も昔も金融マーケットの中心はニューヨークです。)

20代後半まではまさにマーケット漬けの日々でしたが、このマーケット漬けの日々から変化が生じ始めたのが20代後半から30歳にかけてです。

主な理由は2つあります。

トライアスロンとの出会い

1つは、趣味で始めたトライアスロンに猛烈にハマったことです。
いつしか仕事よりも何よりもトライアスロンを優先してやるようになっていました。

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褒められた話ではないですが、まさにトライアスロン中心の生活で、
通勤はもちろん自転車、昼休みは会社近くのジムでトレーニング、仕事は定時に上がり夜はトレーニング、週末は練習かレース、夏場(トライアスロンは夏がシーズン)は長崎県の五島列島でのレースに出たかと思えば、その2週間後には仙台のレースに出るなんて生活をしていました。

トライアスロンが楽しくて、40になっても50になっても60になっても
ずっとトライアスロンをやっていたいと思うようになりました。
これは今でも思っています。

30歳の時に「60歳になってもトライアスロンを続けていきたい」という思いが強くなり、この夢を実現するために生きていこうと決心しました。

その時僕はまだ独身でしたが、今後結婚をして子供も生まれるかもしれない、そうなるとサラリーマンを続けていては時間の自由が効かなくて好きなことを諦めなくてはいけなくなるかもしれない、と思うようになりました。

もともと独立心があっただけに、こう思い始めると、日に日にサラリーマンを辞めて独立したいという気持ちが強くなってきました。

結婚直後に仕事を辞め静岡へ帰省

2つ目の変化、それは32歳で結婚したことです。

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