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糸を紡ぐ《創作短編》

 《蜘蛛》、俺の名前だ。同じ虫がこの世界にはいるらしい。しかし、俺は今までこの虫を見たことがなかった。主に地上に生息する蜘蛛とやらは、俺の住む地下深い世界に姿を見せたことはなかったのである。

 その虫を初めて見たのは地上の土を踏んだ時のことだ。

 俺の住む《コバルティア》は地下深くに存在する都市という名に相応しくない小さな集落。俺たちは皆地下で生まれ、地下で育ち、地下で命を終える。即ち太陽の明るさを知らぬまま死にゆく儚い一族だ。そのためか、肌は白磁、髪も限りなく白に近い灰のそれ。生まれつき魔力の強い者には、体のどこかに刺青が発現するという特殊な生まれであった。しかし、強すぎる魔力のせいなのか、俺たちの寿命は極端に短く二十年も生きられぬ体であった。
 開祖が使ったという地上への出入口は集落からかなり離れたところにある。途中にはさまざまな罠があるために辿り着けるものはほとんどいない。結果ここは永らく人の訪れもなくほとんど使われないままになっており、俺が初めて来たときにはこの虫が好き放題に巣を張っていたのであった。初めて蜘蛛を見た俺はこ時間も忘れ、この不思議な虫の営みをずっと眺めていた。造網、捕食、引越、張替、修復、交尾、子育…。中でも造網は飽くことなく何時間でも見ていられた。同じ名を持つこの虫に、俺は愛おしさを感じていたのだった。



 ある日、こんなことを言われた。

 「お前は糸の使い方が粗雑すぎる」

 仕事で初めて組んだ相方の男に言われたとき、俺は思わずカチンと来てこいつに噛みついた。
 「どういう意味だよ」
 その男は《幻糸線》と呼ばれる極東由来の呪術を使い、人形を操る魔法を独自に産み出した魔導師であった。
 俺は地上に来てからとある魔導師ギルドに身を寄せていた。魔法が身近に存在し生活の基盤となっていた故郷とは異なり、地上の魔導師は全て国の管理下にある。国に仕えていない魔導師は野良と称され、追われる立場であった。俺も追っ手から逃れ潜伏生活を送っていた折にこの魔導師ギルド《白烏》と出会い、保護を条件に仕事を受けるようになったのである。
 この魔導師の男と組むことを決めたのはギルドの幹部だった。何となく、だとか、同じ糸を使う魔導師だから、とかいう適当でそれっぽい理由を付けられたものだからたまらない。こんな鉄面皮の性悪男とよろしくなどできるわけがないと、俺は無視を決め込んだ。男もその気を知ってか俺相手には必要最低限の会話しかなかった。
 そんな彼がたまに話しかけてきたと思ったらこれである。
 「言ったままの意味だ。お前は蜘蛛を名乗っているわりにまともな巣の一つも張れないのか」
 こちらを見つめる双眸には冷ややかな色が宿っている。俺は眉間にシワを寄せ彼を真っ向から睨み返した。
 「は?あんた、ケンカ売って…」
 「先刻、私がいなければ依頼人もお前の命もなかったぞ。あんな脆弱な巣で身を守れるとでも思っているのか?」
 「……」




 そう、その日の任務は依頼人の治療と護衛。刺客に狙われた依頼人を安全な場所まで護衛し、その後俺が治療をおこなう運びになっていた。俺の魔法は全て治療に役立つようなものに特化していた。故に今までは兄貴分に戦闘を任せ、自分は後方支援に徹していたのである。
 だが、今回は俺とこの男の二人での仕事。危険があればこちらも戦うことが求められた。ほとんど戦えないことを告げても、努力しろ、という一言で片付けられ、内心は苛立ちを覚えていたことも事実だ。
 護衛開始後こちらの動きを読んでいたかのように刺客が襲撃してきた。この時依頼人を守るために張りめぐらせた俺の糸はたちまちに破られた。俺はすかさず護身用に忍ばせていたナイフで応戦したが、近接戦闘の経験がない俺はたちまち振り払われる。
 「呆けるな!構えろ!」
 鋭い声と共に俺のすぐ横を風が吹き抜ける。次の瞬間には男の操る人形が刺客の刃を受け止め、蹴り一つで遠くへと吹き飛ばしていた。すかさず追撃をかける人形を横目に見ながら、立て!と男は言う。
 「今のうちに距離をとる。さっさと行くぞ」   

 男の行動は早かった。すぐに路地裏に飛び込むと複雑に入り組んだ小道を迷わずに疾走していく。俺は依頼人を背負って男についていくことがやっとの思い、なぜこの男は初めて通るはずの道をこんなにも迷いなく駆けられるのか不思議だった。
 最後の曲がり角を折れると、そこには先ほど応戦したものとは別の人形がいた。
 「どこだ」
 「緑の窓の店です」
 人形はそう応えてすぐに姿を消した。男は目の前にある店の扉に手をかけると、俺を手招き中へ入るように促した。
 「あんたは?」
 「見張る。5分ですませろ」
 「はっ!?」
 俺が言うが早いか、男は俺を店に押し込んで扉を閉めた。
 中には店らしい調度品は一つもなく殺風景だった。部屋の真ん中には高い寝台があり、その近くには包帯やら薬やらの置いてある机が見える。なるほど、簡易診療室というわけだ。
 俺は依頼人を寝台に下ろした。小柄な少年を包んだ布を解くと、人ならざる耳と角、小さな体にキラキラ光る鱗が数枚見えた。少年の姿をしてはいるが、彼は見ての通り人間ではない。幻獣、それも稀少価値の高い龍の子供だった。
 「ごめんね、たいした怪我じゃないんだけど」
 「人間にとってはたいした怪我だよ、これは。あーあ、結構ざっくりやられてるね」
 無理矢理鱗を剥ぎ取られたらしい右上腕部の傷がい痛々しい。表皮一枚めくられたぐらいだよ、と少年は言うがじわりと染みだす血がことの重大さを物語っていた。
 「とりあえず、表面を保護するからじっとしててね」
 左手の親指の腹と人差し指のそれとを重ね、魔力をこねるように練り上げ。ゆっくりと指を開くとその間に青白い細い糸が伸び、中から爪ほどの大きさの小さな蜘蛛が現れた。蜘蛛は少年の右上腕に降り立つと、そろそろと傷口の上を歩きだす。不思議と痛みはないようで、少年は不思議そうにその姿を見つめていた。
 「この子は何をしているの?」
 「目に見えない薄い魔力の糸を張って、表皮を保護しているんだ。……ごめんね、気持ち悪いよね?」
 地上では蜘蛛は益虫だが、見た目がよくないために嫌われている虫であった。今までの依頼人のほとんどが気味悪がったが、この少年は一言なんで?と問い返す。
 「全然気持ち悪くないよ。ボクのためにありがとね、蜘蛛さん」
 「……そっか」
 安堵の息をつく。少年はそれを見てにっこりと笑いながら、丁寧な仕事だね、と感心した様子で口にした。見れば蜘蛛は処置を終えたようで、傷口から姿を消している。
 「どうして怪我したの?」
 傷口の保護のために包帯を巻きながら訊ねてみると、少年は今度少し困った様子で目をそらす。
 「一緒にいた人間の子が、たちの悪い奴らに絡まれて。庇おうとした時に変化の魔法が解けて今に至る、かな」
 幻獣は個体数が少なく、裏の世界では例え体の一部であろうと非常に高額で取引をされていた。少年の鱗一枚あれば一年間は遊んで暮らせるほどに。
 少年は常に角や鱗を隠す変化の魔法を唱えていたが、たちの悪い連中の突然の来襲を受け、とっさにリミッターを解除してしまったらしい。その後、少年にターゲットを切り替えた連中を撒こうとした時にしくじって腕の鱗をとられたが、何とか逃げおおせたのだという。
 その鱗が裏ルートに乗ったのだろう。少年の鱗を狙った刺客が現れた。チンピラ程度なら難なくあしらえるが、コレクターが雇ったらしい刺客はそうはいかない。だからこうして助力を請うてきたという。
 「人間嫌いの種族が人間と遊ぶなんて珍しいね」
 「皆が皆嫌ってるわけじゃないよ。ボクは子供と遊ぶの好きだし」
 少年は言った。俺はそれを聞きながら仕上げとして巻き終わった包帯に治療促進の魔法文字を書く。少年はそれを見ながらさらに口を開いた。
 「君がロコの言っていた蜘蛛の糸使う子?」
 ロコとは相方の男の名前だ。そうだよ、と素っ気ない返事をすると、少年は嬉しそうに笑みを浮かべた。
 「あの子、ここのところずっと無気力で、人に興味持つことなかったんだよね。それが最近は口を開けば君の話ばかりだ」
 「何?悪口でも言ってた?」
 「違うよ。……心配してた。危なっかしいやつだって」
 俺は驚き言葉を失った。だってそんな素振り、俺の目の前では一度も見せなかったではないか。一緒にいても会話は必要最低限のもので、任務をこなす時も特別作戦なども立てずにどんどん先を歩いて行ってしまう。
 俺が恨みがましく言うと、少年はさも不思議そうに瞬きを繰り返した。
 「それがあの子なりの心配の仕方なんだよ。人間嫌いな彼が仕事以外でも君の近くにいるのはそういうことさ」
 そういうものなのか?魔法文字を書き終えてふぅとひと息つきながら天井を振り仰ぐ。
 「どうかね。口を開けば仕事か文句ばかりだよ?」
 「それそれ!あの子が文句言う方が珍しいんだよ。前に組んでた相方さんなんて、一言もしゃべってもらえなかったうえに、戦場のど真ん中に置いてけぼり食らったんだから」
 「それはなんでまた…」
 「たしか、使えないから捨ててきたって言ってたかな」
 「うわぁ……、あの人でなしジジイめ」
 さすがにこれほどひどいことはされたことがない。ということは少しは彼に気に入られているのだろうか。そういえば彼はどうなった?話に夢中で気にかけていなかったため、約束の5分もとっくに過ぎていた。
 「何にも聞こえない。あいつ生きてるかな……」
 「杞憂だよ、大丈夫。……昔、あの子がなんて呼ばれてたか教えてあげよっか」
 《狂った人形劇》。曰く、彼と彼の操る人形が踊れば、周囲の呼吸も鼓動も彼らの思うまま。哀れな俳優たちはたちまちに息を止めて眠りにつくのだと。
 「君が人形劇に巻き込まれてないのが証拠だよ。あの子は君をちゃんと認めているさ。ほら、噂をすれば……」
 ガタリと扉が開いてあの男が現れた。
 「まだ終わらないのか?こちらはもう片付いたぞ」
 「え、あの人数をもうさばいたの!?」
 信じられない。一人一人はかなりの手練れのはずだ。それもこの男は無傷な上、息一つ乱すことなくやってのけたというのか。
 「さっすがロコ、お仕事早いね~」
 「あの程度の輩に時間をかけてどうする」
 「そうでした。ねぇ蜘蛛さん、ボクはもう動いていいの?」
 「……痛みがなければ」
 それじゃあ、と少年が立ち上がった。軽い足取りで歩く姿をしばらく観察したが、体の動きに違和感はない。処置はひとまず上手く行ったようだ。
 「すっごーい!全然痛くない!ロコの縫合とは大違いだ!」
 「当たり前だろ。私は医者じゃない」
 苦い顔をする男に少年は悪びれることもなく、あ、そっか、と軽く言ってのけた。
 「でも、ルードのお薬みたくしみないし、ヤカクの苦い薬湯みたいに飲みにくいものもないし。蜘蛛さん、すごいや。ありがとう」
 「うん、お大事に」
 「そこまでしゃべれるなら上等だ。ここからギルドまで戻るぞ」


 



 任務終了を報告してから一日経った。俺は報告後に男に言われた糸の使い方の件で未だにモヤモヤした気分でいた。
 「ずいぶん不機嫌だな、ジズ。なんかあったのか?」
 「別に何にも」
 「おいおい、そんな顔してないぞ。ほら、お兄さんになんでも話しなさい」
 「構わないでヤカク。すごくうざい」
 ギルド本部の建物一階は喫茶室となっており、メンバーたちの憩いの場となっていた。カウンターで薬草茶を飲んでいた俺に話しかけてきたのは店主のヤカク。こう見えて凄腕の隠密である。
 「すねてるんだよ、ヤカクさん。そうからかわないであげて」
 同じく仕事を終えてひと息ついている自分の兄貴分ヴェーチェルが苦笑気味に言った。すねてないよ、と唇をとがらせてみるが、それがすねてるって言うの、ってイタズラっぽい笑みを返してくる。
 「それにしても気に食わねぇな。なんで俺たちをバラバラの任務につかせるんだ?」
 こちらも仕事終わりの兄貴分エレオス、昼間から酒を飲みながら煙草をふかしている。口をついで出たのは仕事の振り方に関する文句だ。
 ヤカクはしれっと言い返した。
 「そりゃ、お前さん適材適所って言葉があるだろ?お前らばっか固まって仕事してると、こっちの仕事が滞るのさ」
 ここはお前らの故郷じゃないんだ。ここではこっちの規則にしたがってもらうからな。
 エレオスは実に気に食わなさそうにヤカクをにらみつけた。
 「てめぇ、やっぱムカツク」
 「お?やる?やるのか?俺は別に構わないぞ」
 いつもの光景だ。俺はため息をついて立ち上がるとそのまま外へ出た。
 外には相方の男がいた。涼しげな顔で木の枝に腰かけて空を見ている。俺に気がついたようでチラリと視線を向けてくるがすぐにそらされた。
 「あんた、何してるの」
 「蜘蛛を見ている」
 「蜘蛛?」
 怪訝な顔をすると、男は細い指で枝の間を指差した。よく見ると、一匹の小さな蜘蛛がせっせと巣作りに励んでいる姿が見えた。
 「この蜘蛛は毎朝巣をたたむ習性がある。そして夕方近くなると新しい巣を張るんだ。できばえはもちろんだが、ものの30分ぐらいで完成させる速さがすごくてな」
 お前も見てみるといい。なかなか見事なものだぞ。
 そう誘われたので俺は彼の座る枝の近くに立ち、その蜘蛛をまじまじと観察してみた。
 「縦の糸から張ってる」
 「柱みたいなものだな。丈夫にするために太い縦糸から張る」
 「横の糸は?」
 「縦糸が済んだら張る。縦糸は粘り気がなく、そこを足がかりに横糸を張るんだ」
 「なんで?」
 「自分の巣に絡まりたくはないだろう」
 俺の疑問に簡潔な説明が返ってくる。まるで、巣の張り方を教えるかのように。
 「俺たちが住んでいた所に蜘蛛はいなかった」
 返事はない。だが、身動きせずにそこにいるということは耳を貸してくれているということ。
 「蜘蛛の巣を張る姿を実際に見たのは、地上にきてから初めてだった。…でも、今一度っきり見ただけじゃ、張り方をちゃんと理解できない。だから、えっと、その、教えて、くれる?」
 「一つ条件がある」
 矢継ぎ早に言われたので少し驚いた。教えてくれるつもりはあるらしい、無言で次の言葉を待つ。
 「任務中に不慮の事故が起きることを考えてな。今作っている人形に治療技術を叩き込もうと思っている。そいつにお前の縫合技術を教えろ」
 「何それ、俺がミスするって言いたいの?」
 「違う。お前が怪我したり倒れた時を考えてだ」
 は?とすっとんきょうな声を出す。なんだそれ、相方を戦場に置き去りにしたこの男の口からこんな言葉が飛び出すことがありえるのか?俺は少し混乱していた。男は面白そう俺を見てくる。
 「まあお前が怪我をしないと言うなら、お前の助手をできるように技術を叩き込めば言い話だ」
  「ちょっと待って。あんた、どういう風の吹き回しだい?」
 「ほう、もしやフリーヤから何か聞いたか?」
 フリーヤとは龍の少年の名前だ。
 「違うけど」
 「そうか」
 男は枝から軽々と飛び降りた。そしてまだ枝に座る俺を見上げて言った。
 「お前は見ていて面白い。しばらくはお前と組んでやってもいいぞ」
 「は!?偉そうに言うなよ性悪ジジイ!!」


 これはまだ二人が相棒になってから一月頃のお話である。




 
 
 
 
 


 

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