闇医者【創作掌編】


 僕がそのお医者様と初めて出会ったのはマシェという山奥の自治区だった。

 その日、山菜採りに山に入っていた僕は木に絡みついていたイバラで足首を深く切ってしまった。その場では何ともなかったが、家に帰って見てみると傷口は化膿して何倍も膨れ上がり、その痛みで一歩も歩けなくなってしまったのだ。
 僕はエルフと呼ばれる種族で、レナウン皇国では人間以下の扱いを受けている。幸いここマシェは多種族の暮らす自治区のため、そのような扱いをされることはない。だが、山奥では生活に必要な物を揃えることは難しく、何か入り用のものがあれば山を降りて麓の町まで行かなければならなかった。
 さらに、マシェには現在医者が一人もいなかった。人間ならば麓の町の診療所に行けばいいが、僕たちエルフを診てくれるような人間の医者はこの町には誰もいない。だから怪我をしてしまったら、ただじっとこらえなければならないのだった。
 運が良ければ治るが、運が悪ければ後遺症が残ったり、死ぬことだってある。僕たちが怪我することは生死に関わる問題にもなるのだ。



 そんなマシェに、風変わりな青年が現れた。
 「《白烏》の紹介で来た。区長のとこに案内しとくれ」
 僕はその人物を家の窓から見た。その姿は旅慣れた風合いの長いマントに包まれている。フードを目深にかぶっていたので顔はよく見えないが、こぼれた灰色の髪を見て息を飲んだ。
 以前、町から回ってきた手配書を偶然目にしたことがあった。そこに書かれていた特徴が脳裏によみがえる。

 《白いマント、灰の髪と、蜘蛛の刺青を持つ医者》

 間違いない、あの手配書に書かれていた特徴と一致する。なぜそのような人物がマシェに?
 僕が見ていると視線に気がついたのか、青年の顔がこちらに向けられた。金色に輝く目が僕を射抜く。その瞬間、僕の身体は動かなくなった。
 「お待たせしました。……魔導師殿?どうされました?」
 「いや、なんでもないよ」
 自治区の衛兵を勤める男が青年を促す。青年は僕から目を離すと衛兵について区内へと足を進めた。青年が視界から消えると僕は安心して肩の力を抜いた。その時、足首に鋭い痛みが駆け抜ける。僕はひゅっと喉を鳴らしその場に倒れ込んだ。

 この自治区を治める区長はエルフだ。ここのところ、体調を崩し長らく高熱に悩まされているという。薬さえあれば治るはずの病も、彼がエルフであるために何も打つ手はない。運が良ければ回復、悪ければ命を落とす、そんな状況だ。
 ――だからといって、手配書に載るような医者に頼むなんて。
 痛みが落ち着いてきた僕はベッドに横になりながら思った。
 手配書に載る者は国が追っている人物であるぐらいは子供の僕も理解している。罪状などは知らないが追われるほどのことをしたのだろう。そんな人物に頼まなくてもこれ程広い世界だ、探せばエルフを診てくれる医者の一人や二人見つかるだろうに……。
 コンコン、と戸を叩く音がした。ややあって入ってきた母の姿を見た僕は、その後ろにいた人物を見て肩を震わせた。
 「具合はどう?今日、区長様の病を診にお医者さまが来てくださってね。早めに済んだから区内の家を回ってくれてるの。よかったわ。あなたの足、診てくださるって」
 母の言葉は僕の耳をほとんど通過していった。母の言う医者はまさに先ほど窓越しに目があった青年だった。返事もせずに怯えた様子で固まる僕を見て母はどうしたの?と少し焦ったように聞いてくる。すると、青年は困ったように笑いながら口を開いた。
 「そりゃ警戒するよね、突然押しかけたようなもんだしさ。はじめまして、俺は魔導師ギルドのジズ、一応医者だ」
 そう言ってジズさんはフードを外した。額から首筋にかけて刻まれた蜘蛛の刺青が言い様のない気味の悪さをもたらす。血の気のない白い肌はとても不気味に見えた。
 「お母さんに話は聴いたよ。傷口、見せてもらえる?」
 固まる僕に優しく問いかけてくる。僕は言い知れぬ不安で口をパクパクしながら言葉にならない声をあげていた。ジズさんは苦笑しながら僕のベッドの横にしゃがみこんで僕の顔を覗き込んだ。
 「ごめんよ、怖がらせたね。突然現れて傷見せろだなんてさ。でも、君のお母さん本当に心配してるんだよ。区長の治療が済んだ時すぐに飛んできたんだもの」
 母は頷く。僕はまだ不安でいっぱいだったが、母にこれ以上心配をかけたくない一心で、強張った手をやっとの思いで動かす。ジズさんはゆっくりまくりあげた布団の方に視線を移し目を細めた。
 「これはひどいや…。痛かったろ?よく堪えたね」
 ジズさんは母に僕の手を握っているように言ってから僕の足元の方に移動する。
 「怪我したのはいつ?」
 「き、きのうのお昼頃…。ラルージュベリーのイバラで切っちゃって」
 「あぁ、あれのトゲは大きいからね。結構派手に切れてる。傷口は洗った?」
 「えっと…すぐには洗えなくて、その、家に帰ってきてから」
 「わかった。ちょっと触るよ、痛いけど少し我慢して」
 僕が頷くと直後あの鋭い痛みが走る。たまらず母の手を強く握りしめると、母も僕の手を握り返してくれた。
 「んん……、傷口にトゲが残ってるね。これは深いなぁ」
 ジズさんは傷口から手を離すと、はめていた薄い手袋を外し代わりに珍しい形の手袋をはめ直す。それから腰のポーチに手をやり、小さな缶ケースを取り出した。中にはハチミツのような液体が入っていて、ジズさんはそれを指ですくいとると軽く練りながら言った。
 「突然だけど、ここ切るよ。トゲをとらないといけない」
 その時、不安と恐怖が一気に押し寄せてきて僕は泣いてしまった。それもそのはずだ。傷口を切るなんて、転んだよりも、トゲで切ってしまったことよりも、もっともっと痛いに違いない。経験したことのない処置方法を聞いた僕はとにかく怖くて怖くて……。
 傷口にひんやりとしたものが当たった。すぐにジズさんの指だとわかる。そう思うと同時に痛みが嘘のように消えていった。そっと傷口に視線を移すと、ジズさんが先ほど練っていたあの液体を丁寧に擦り込んでいた。不思議そうに見つめる視線に気がついたのか、痛み止めだよ、と優しく笑いかけてくれる。
 「怖かったら目を閉じておいで。大丈夫、すぐに終わらせるから」
 ジズさんは僕が目を閉じてからもずっと傷口を撫でるように指を滑らせていた。その優しい手つきは僕の心から不安や恐怖を取り除いていった。
 僕は自分を恥じていた。ジズさんは僕が想像していたような人物ではない。手配書に載っていたというだけで、僕はなんという思い違いをしていたのだろうと。同時に思った。なぜジズさんは手配書に載るようなことになったのだろうか、と。


 「はい、おしまい。もう目開けてもいいよ」
 ジズさんの声がしたので僕は目を開けた。足には包帯が丁寧に巻かれていた。
 「とりあえず三日は様子見かな」
 言いつつ、ジズさんは僕に3つの約束事を示してきた。まず、山菜採りはしばらく控えること。次に、一日一回患部の確認と薬を飲むこと。最後に、安静にして傷口に負荷をかけないこと。そう言って紙に包んだ粉末状の薬とあのハチミツのような塗り薬を枕元に置いた。
 「俺、しばらく区長の屋敷に滞在する予定だからさ、毎日一回様子を見に来るよ。気になることあったらすぐに言って」
 お大事に、と続けてジズさんは部屋を出ていった。外から母が何度もお礼を言う声が聞こえてくる。そのやり取りの最後には金もいらないという言葉も聞こえてきた。
 僕はますますわからなくなった。どうしてあの人が手配書に?
 

 気になった僕は次の日、やって来たジズさんに聞いてみた。
 「手配書?ああ、まだ載ってるのか。うーん、なんて説明したらいいんだろな……」
 例えばの話だけど、とジズさんは続けて言った。
 「ある日、すっごく偉い人が病にかかったとする。医者たちは原因不明の症状を前に皆匙を投げた。そこで風の噂で聞いた一人の医者を何とか探しだし治療を依頼したところ、誰も治せなかった病をすんなり治しちゃったとしよう。君だったら、そのお医者さんをどうする?」
 「え、えっと……側にいてほしい、かな?」
 「そうだよね。でもお医者さんはその申し出を突っぱねたとする。偉い人はそのお医者さんをどうしても自分の専属にしたがった。それもお医者さんは断り続けて旅に出た。偉い人はお医者さんを何としても探し出したい。そんな出来事がお医者さんの行く先々で何度も続いた。するとどうなるか」
 「うーん……」
 「いいものがあるんだよ。これを使えば色んな人がお医者さんを探してくれる。そんな便利なアイテムがさ」
 「……手配書?」
 「そういうこと」
 ジズさんは困ったように笑いながら頷く。曰く、その偉い人の中には貴族や皇族たちも含まれていたらしい。断り続けて逃げ回るように旅をしていたら、いつの間にか国際手配されていたのだと。
 「どうしてそういう人にお仕えしなかったの?」
 「探し物があるから。まあ、そうでなくても金だけ積んで言いなりにさせようとする輩に仕えるなんてごめんでしょ」
 そんな人ばかりじゃないのも知ってるけどね。そうジズさんは苦笑しながら言った。
 「俺をお抱えにするために大金を積んだお偉方は、皆俺の評判を利用しようと企む人ばかりでね。彼らは自分に都合のいい診断をしてくれる凄腕の医者が欲しかったのさ」
 「……よくわからないよ、ジズさんは何も悪いことしてないのに、どうしてそれだけの理由で追われなければいけないの?」
 僕の言葉にジズさんは黙って微笑みながら、足首の包帯に手を伸ばした。スルリとほどけたその下にはすっかり腫れの引いた足首が現れる。大分良くなったね、とつむがれる声はどこまでも優しい。
 「心配しないでよ。確かに不便なことの方が多いけど、それなりに楽しく自由に生きてるんだ。俺は蜘蛛だ、巣を張る所は自分で決めるさ」
 

 その後、ジズさんは僕の怪我が治る頃にマシェを旅立った。また来ると言ってくれたので、僕はラルージュベリーの実をたっぷり採ってお礼をしようと思う。僕がジズさんに出会うきっかけになったそれを……。



  

 


 

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?