擦れ違った認識

「処女貰ってあげるよ。って誘われたの」
彼女から言われたそれは衝撃的な一言だった。
「男の身体は知らないからちょっとだけ、興味持っちゃった」
やっぱり気持ち悪いし、断ったんだけど、なんか、ごめんね。と告白されたとき、俺が彼女にとって『男』だと思われていなかった事に凄くショックを受けた。
 そしてその相手が共通の知り合いだと察した瞬間に激しい怒りと失望と孤独感を抱いた。
 そいつも俺を『男』とは見てくれないんだと。


 確かに冷静に考えれば考えるほど身体が女性なんだからそう言われることに不思議はないし、彼らの言動は何もおかしくないのだ。おかしいのは俺の性認識と、何故かある男としてのプライドだ。
 もし俺が後天的に性器を失った人間だったら、身体をきちんと手術して性別を変えた人間ならこんな事を言われなかったんだろうなと思いながら、そういえば昔お付き合いした人も男と俺を比較し、FtoM をそういう性別と分類していたなと思い出して、死にたくなった。
 そんなショックを引き摺りながら、折悪く予定通りの生理が来てしまい、自分の身体が気持ち悪すぎて、本気で性転換手術の費用と過程を調べて、そのリスクの大きさに更に落ち込んだ。正直、子供が産める産めないは置いておいたとしても、理想のモノとは違い過ぎる。
 勿論、胸と生理がないのはいいが、やはり無理矢理ホルモンをぶちこんで違う身体にするというのは身体に大きな負担が掛かるのだ。と言うことと、歌をやる上で変声するのは流石に怖いのだ。
 いや、もう正直歌も辞めちゃおうかって若干思った。もう何もかも、死ぬ気で変えてしまえば良いかとも思いつつ、それで得られるものが理想とかけ離れてたらしょうがないと諦める。
 実際、性転換手術の過程には自殺者や病む人間が多いそうだ。ホルモン剤の投与に理想と違う身体が苦になるのが原因だとかあって、最初から与えられなかった運命を呪った。
 生まれた時に十全に男として生まれた奴らの優位が憎くて、本人達は男に抱かれた事もないくせに無責任に男に抱かれる幸せを女に説く身勝手さ、それから、こう言う悩みの解決法をネットで調べると、男の身体を知らない男もどきを嘲笑うように、一度抱かれて男を勉強しようとか言うサイトが割と引っ掛かる事にも本気で腹を立てつつ、その心理の裏にあるものと同じ感情を持ち合わせていることを自覚して虚しくなる。
 そういう感情を男から向けられるのは嫌な癖に女には向けてしまうのだから、俺のが質が悪いのかもしれない。


 なんとなくどちらの性にも寄り付けずに、独特のどうしようもない孤独感を引き摺りながら、理解されないと無駄に嘆く。
 他人が他人を理解するなんて不可能なのに、それが自分の性別のせいで、余計にそうなってるような気がして酷く惨めになりながら、俺は俺の身体を呪い続けて、他人から憐れみを貰おうとしてしまうのだろう。
 愚かしいな。本当に。
 



追記
 この文章をここで上げるに当たって、まず彼女に読ませた所、なんで彼に興味を持ったのかと言うと、俺が全然女として扱ってくれてなかったからだと、ここの所、彼女から逃げてた事を指摘された。
 実は彼女を女として扱うと俺は自分の無いものに酷く矛盾を感じて、どうしようもない切なさを感じてしまって、そういうのから逃げるように遠ざかってたので、これは自業自得なのだなと思う。
 自分からはちゃんと与えない癖に、彼女には本物の男を知らないで欲しいなんて我儘さもいけないなと反省した。


 認識が上手くいかなかった故の擦れ違いだっただけの話だが、でもきっとこれバイセクシャルと性同一性障害者との関係には割と有り得るんじゃないかなと思った。
 正直、本当の男と比べられてしまったら、勝てるなんて自信がないというのも、この絶望感には含まれてたんだなぁと思いつつ、それでも、何だかんだ俺を選んでくれた彼女の優しさに感謝している。

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