自由と代償

 パリから帰ってきて、俺は多分、自由になった…………のだと思う。
普通逆だろうとか言われそうだけど、服装とか含めて色々と生まれ変わった並みに、自由になった気がしていた。
 パリにいる間、紳士服を眺めるのは嫌だった。
 お金がなくて、本当に欲しいものは手に入らないと分かっていたから。それに身体に似合わないものを着ても格好が悪くて、正直ずっとお洒落なんてしたくなかった。
 それが、帰ってきたらどうだ。祖父の形見のスーツやら、礼服やらが並んでいて、恐る恐る袖を通したら、まるで自分の為に誂えたみたいなぴったりさで、これをちゃんと着たいと素直に思った。

 髪も久しぶりにバッサリ短くした。安心して切りに行ける環境になったというのもある。正直幼い頃から一人の人に切ってもらってるせいで、他の人に触れられるのはあまり好きでないからだ。
 そもそも伸ばし始めた理由が「少しでも、女らしくしとかないと」とか、「ちゃんとドレス着れるように…………」とか歌うなら、のイメージがあったからだった。
 何処が好みか色々と実験した結果、ツーブロックになった。高校生までスポーツ刈りだったのだし、別に驚く事はないのだけど。

 なんというか、「女らしく」というか、そんなのを引き摺るのはもうやめよう。もう、ここからは、やりたいようにやってやろう。それもきっと許されるみたいに思ってしまった。
 ある意味、向こうで刺激を受けて帰って来て、いい意味で変わったね。みたいに思ってくれるでしょ? みたいな気持ちもあった。

 そうしてイメチェンをした結果、なんというか…………めっちゃ楽な一年だった。皆割と褒めてくれるし、似合う似合わないは置いといて、着たい物を着てるし。格好良くなれた気がして気分が良かった。
 勿論、トイレで何度見されたか分からないし、噂されてたのも知ってる。出会い頭に、「あっ。間違えました。すみません」と言われて「いや。大丈夫です。有ってます」みたいなやり取りとかもあったけども…………。
 そういえば、幼い頃に坊っちゃんって言われるのは、なんか嫌だった。だけど、自覚を通り越してからこっちはそれを言われたり、男認定されるのはちょっと面白くなった。男と勘違いされるのは何だか胸の奥がスッキリして楽しいものだった。

 楽しかった。ここ最近になるまでは。
 そう、例の法案が審議されるまでは…………。
 フェミニズムを訴えてた知り合い達だけでなく、Twitterにいる中庸な考えだった人達から、「トランス女性は女でない」みたいな言説がリツイートされるようになってきた。それらを、ふぅん。成程なんて呑気に読みながら、いや、待てよ。となった。
 この状態―― 男装を極めて女子トイレに入る状態―― 実は滅茶苦茶不味いのでは? と。
 俺は、FTM だと思ってはいるけども、歌って行く意志がある限り、ホルモン治療をする気はない。そもそも身体に手を加えるのはそれなりにお金もかかるし、メリットがあると確信がない限り怖いので、手術はしないつもりだ。なので(胸と子宮はガンとか病気をしない限りは取れないし、月の物もあるし)脱いでしまえば、まるっきり「女性」だ。だけど彼女がいるし、何だかんだと女性を性的に消費してる自覚はある。
 そんな人間が、しかも男装する事で男かもと思わせてある意味びっくりさせるのが楽しいと思ってしまったり、女性に性的に触れたいと思ってる人間が女子トイレに入って普通に用を足してるのって社会的に許されるんだろうか。なんて考えてしまったのだ(別に嫌らしい事考えた事はないけども)。
 その結果、「え、よっぽど俺のがトランス女性の異性愛者より不味いのでは……?」そう思ったら、急に胸が苦しくなって、公共のトイレに入るのがなんだか怖くなった。
 イヤリングしてみたり、ちゃんと「女性」ですよって感を出したり、人がいない瞬間を見計らったりしてこそこそと入ったりしているが、なんか気まずいものになってしまった。

 別にトランスだから優遇しろとも、差別するなとも思っていない。でもその法案が元でこんな差別を生むくらいなら審議の方向性を変えたら良いのでは? と思う。
 正直、この国の理解度では、まだ理解を進める程度で良いのかもしれない。
 そもそも身の安全を守りたいという声はとても大切だろう。小狡い奴はいくらでも制度を悪用するのだ。そもそも俺だってまだ男子トイレを使う勇気を持てるかと言われたら無理だ。女性としての嫌な思いは絶対にしたくないので、やっぱり尻込みしてしまう(寧ろお前は加害側だという声もあるかもだが…………)
 盗撮をしにくい仕組みや、またその他の性癖が原因で起こる暴力の被害を減らす工夫、そして身体的特徴と、精神的自認、その二つのバランスを取るような「性別」に対しての線引の仕方……そんな工夫をしなければ結局、「男」「女」という身体的特徴のボーダーラインに立とう、それを超えていこうという人達は、恐怖の対象になってしまうのではないだろうか。

 まぁ、トイレに行けなくなったのも、大浴場に行きにくくなったのも、女性の敵扱いされるようになるのも、このどっちつかずという自由の代償として考えたら良いのかもしれない…………しれないけども、それが笑って許して貰える時代になってくれたら少しは楽になれるのだろうか。

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