普通に縛られて

 俺の身体は女性のそれだ。女性のふりをしつつ頑張って生きて、そして歌うことを仕事にしたいなと勉強している。
 ほんとは男の身体になるように手を加えて変えてしまえたら楽だろうなと思いつつ、ピアスを開けることすら、親に何か申し訳ない気がして出来ないし、そもそも歌う事とホルモン剤の関係はどうなんだろうと思うし、気にしなければ気にしないということも出来なくない。
 化粧をしたくないとか、スカートは嫌だとか思いつつも誤魔化して、「普通」の女の子になりたいという気持ちもあって女子校にも通えた。でも鏡に映る自分の姿はコレジャナイ感あるし、着たい服を着るとちぐはぐで、それがなんとも気持ち悪いからファッションに興味を持つことに嫌悪感があったり、そもそも身体を意識するのも気持ち悪いからダイエットとかも頑張る前にそこで躓いたりするそういうタイプのトランス? ジェンダーなんだと思う。
 まぁ恋愛をするにあたって「普通」に男性を好きになれたら良かったのだけど、幼い頃の憧れならまだしも、思春期を過ぎた時から恋しく思うのは女性だった。男性に性の対象と思われるのが嫌だったし、そう見られた途端に逃げてしまう程度には同性愛的な感情は持ってないと思っている。
 身体的には同性愛、でも異性愛としての感情を持ってるつもりなので、所謂、同性愛に対する批判を見るとその感情が分かるような、そして分かった上で、その人達から自分はどう見られてるか認識して、なんとも言えないやるせなさを感じるのだ。
 勿論、言い訳に生産性なんて言葉を持ってくるのは人間が機械みたいな扱いをされるのはどうかと思うし、女性蔑視や男性蔑視の文脈で語られるとそれぞれの性別の裏にある言い分もなんだかなぁと思う。科学的に根拠のない論述をしているのも共通しているだろう。
 でも、それを否定したい気持ち、分からないから理解したくない、目にしたくないという拒絶感も分からなくないのだ。そして、自分の中でも自分が普通じゃないと、どっかで思っているからこそ、それに対しておかしいなんて強くは言えなくて、生きる価値ないよなぁ。みたいな気持ちになってしまう時もあるのだ。
 自分が曖昧で、立ち位置がはっきりしてない、生まれつきそうだっただろうけど、そんな自覚もなく、無理しちゃえば無理出来ちゃうみたいな人がどれだけいるのか分からない。
 付き合ってる彼女だってバイセクシャルらしいから、男性と付き合って「普通」の幸せを手にする事は出来るだろう。
 女のふりしてどっち付かずのいいところを取りながら、覚悟もなく付き合ってる自分が得られるちっぽけな幸せは、「普通」の幸せと、どっちがよきものなのだろう。


 でも、なんとなく今の自分のある立ち位置では「普通」を選べたら、それだけで幸せなような気がするのだ。

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