ある日の考えごと 木 ki

  なぜ子どもは木に登るのだろう、と考えた。

  お彼岸シーズンである。三連休ということもあって、家族で連れ立って墓参りに出かけた。空は青く澄み、シジュウカラの声が聞こえる。かなり大きな霊園(東京の、とつければ、ある程度は想像がついてしまうだろうか)であるため、霊園の中には道が幾本も通っており、その脇には大きな木がどっしりと立っている。
  墓石をこすったタワシを備え付けの水場で洗いながらふと顔を上げると、すぐ上に枝がしゃなりと垂れ下がっていた。
若い黄緑の新芽にと紅しょうがのようなピンクの蕾が散らされている。春だなあ。
ところで君は一体なんの木なんだい。
そんなふうに話しかけながら木の幹に近づくと、どうにも登りやすそうな節が目について、足がムズムズした。
  結局その木には登らなかったのだけれど(手にはタワシを持っていたし、そばの車では両親が待っていたし、私はもう20歳を過ぎたいい図体のつまらない大人になってしまっていたので)、車に乗り込んで流れていく景色を区切る木々を見ているうちに冒頭の疑問が浮かんだ。

  子どもは木登りが好きな気がする。
  公園の登りやすい木は人気だったし、かくれ家は良い木のある辺りにつくった。私も小学生の時分に、公園の木に登って、落ち着く枝に腰かけてパンを食べていて人に驚かれた覚えがある。

  木に登る時、子どもの私はどんな気持ちだったのだろうか。朧気な記憶だが、私にとって木登りは「冒険」「ごっこ遊び」だったように思う。
  木の上に登ると視点が高くなって違う景色が見えるからなのか、あるいは自分を取り巻く環境が変わってしまうからなのか。とにかく、私にとって木の上は異世界だった。

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