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怪物は誰なのか?映画『怪物』を観て

遅ればせながらWOWOで『怪物』を観ました。


「万引き家族」でカンヌ国際映画祭パルムドールを受賞した是枝裕和監督が、映画「花束みたいな恋をした」やテレビドラマ「大豆田とわ子と三人の元夫」などで人気の脚本家・坂元裕二によるオリジナル脚本で描くヒューマンドラマ。音楽は、「ラストエンペラー」で日本人初のアカデミー作曲賞を受賞し、2023年3月に他界した作曲家・坂本龍一が手がけた。

映画.comより

個人的に受賞作品って、深みがある分、モヤモアすることが多い印象があり、どちらかというと鑑賞には消極的です。
実際『万引き家族』でも、なんかモヤモヤする気持ちが湧いた記憶もあったので。

そんな思いを持ちながらも、ついつい観てしまったのが『怪物』。

何せ、WOWOを観ていると頻繁に
「怪物だーれだ」
と気になるコマーシャルが流れていたので。

こう考えると、コマーシャルって効果があるものなのですね。

大きな湖のある郊外の町。息子を愛するシングルマザー、生徒思いの学校教師、そして無邪気な子どもたちが平穏な日常を送っている。そんなある日、学校でケンカが起きる。それはよくある子ども同士のケンカのように見えたが、当人たちの主張は食い違い、それが次第に社会やメディアをも巻き込んだ大事へと発展していく。そしてある嵐の朝、子どもたちがこつ然と姿を消してしまう。

映画.comより

まず結論から。

やっぱりモヤモヤしました(笑)

そして、まんまとしてやられた!!
というのが正直な感想。


人は見たいように物事を見ている

人の解釈だけ事実はある。
と個人的にはわかっているつもりです。

私は教員の立場で、生徒や保護者同士のトラブルの仲裁に入るたびにこの思いを強くしてきました。

と、同時に、一面的に物事を見ないように、自分の中にもう一人の自分を置き、『メタ認知』することを心がけています。

安藤さくら扮する母親が、
「息子がいじめられているのではないか?」
そんな疑問を学校に訴えに行きます。

それに対して、永山瑛太扮する教師や学校の対応が、あり得ないほど『保身』に走りすぎている!!

いくら映画とはいえ、ここまでひどい保身はさすがにひどいな。
どうして、訴えに関して、心を開いて話を聞かないのか!

現場では、心を開いて一生懸命話を聞いても、『教育委員会にいうぞ』的な脅しを入れる保護者もいたりして、暗澹たる思いをすることもあったりします。
また、『教育委員会に指導されないと動かない』と思われていることも悲しくなってしまいます。

子供達のために、生徒とも保護者とも本音でぶつかってきた。
自分にそんな自負がある分、冷静さを欠いて観ていたのかもしれません。


まあ、どっぷりと是枝ワールドにハマってしまったのでしょう。

なんと、同じ出来事を今度は永山瑛太扮する『ダメダメ先生』の視点の描写が始まったのです。

するとどうでしょう。
永山瑛太扮する先生は、新米で経験不足は否めないけど、真剣に子供達と向き合う『熱血先生』ではありませんか!

30年以上前に、熱心さのあまりに、理解を得られず保護者からクレームを受けた自分自身の新卒時代。
ほろ苦い思いとオーバーラップさせながら観ている自分は、このドラマがリアルな日常のように思えてなりません。

自分も同じようなことになった可能性もあったかもしれない。
ただ、自分は同僚(先輩)に恵まれ、たくさんの目で子供達を見守り、学校全体で、子供達と向き合う学校だったことが幸いし、保護者の理解を得ながら成長させてもらうことができた。

そんな思いを持ちながら、永山瑛太扮する先生視点の描写を見終えた時には、安藤サクラ扮する母親の視点で見たいた世界と180度違う見え方に気づかされたのです。


ああ、まんまと是枝監督の『嵌められた』と思いましたね(笑)
思いっきりドラマに感情移入して、冷静さを欠いてました(笑)

でも、映画というフイクションですから、思いっきり感情移入して喜怒哀楽を味わうのも楽しみ方の一つですよね。

さあ、次はどんな展開になるのだ?

期待と不安を持ちながら、次の展開を待つ。

今度は、息子視点の描写のチャプターに。

怪物だーれだ

母親とも、先生とも違う、当事者の視点から描かれる世界。

やはり、少年(息子)の描く世界は違っていたんです。

いじめられっ子の同級生に心を惹かれていく主人公の少年の心の葛藤。

彼の視点が描かれたことで、『教室で暴れた事実』の真実が明らかになります。

『階段から落とされた』のではなく『落ちた』という真実も明らかになります。

と同時に、私の解釈も修正を余儀なくされました。(『教室で暴れた事実』は、長年の教員の経験から、『何かあるな』と思ったし、まずは『どうした?』とじっくりと話を聞くところだよねと思いましたが)

少年が母親と父親のこと、心を寄せる友達(いじめられっ子)の主人公の家庭のこと(父親に虐待されていること)などさまざまなことが心の重しになっていることに、初めて気付かされます。

そんな少年に、『ダメダメ校長』を演じる田中裕子の心の闇を吐露するという関わりも。

誰もが何かを抱えて生きている。

そんな思いが人との関わりで、心の荷物をおろす人生もあるでしょう。

しかし、この映画では、それぞれ抱えている荷物を『怪物』にしてしまう静かな怖さをさらりと描いています。

少年達が、無邪にやりとりしていた『怪物』ゲーム。

ここで、『怪物だーれだ』の例のセリフが繰り返されます。

それは、単なるゲーム。

お互いのおでこに貼り付けている『怪物』を質問しあって当てるという無邪気な連想ゲーム。

しかし、この映画を通じて、思い知らされたのです。

怪物を作り上げているのは、私たちの勝手な妄想なのだと。

しかも、私たちは、自分が妄想しているとは1ミリも感じていない。

それは、永山瑛太演じる先生が、保護者会で体罰の謝罪会見を開いている場面に参加している保護者の姿であり、この映画の母親の視点で永山瑛太演じる先生が『ダメダメ先生』と感じた自分自身の姿でもありました。

『怪物』なんて本当は存在しない。
なのに、『誰かを怪物にしたい』
そうすることで、自分の抱えている荷物を少しでも軽くしたい。

そんな人間の性を浮き彫りにした作品なのではないかと感じています。

この映画のメッセージとは?

この映画を終えた直後、『放火犯』や『土砂災害後の少年たちの安否』など白黒はっきりさせたいこともありました。

最後に、満面の笑みで追いかけっこしあう少年たちはリアルなのか?
それとも、『そうあってほしい』という是枝監督のメッセージなのか?

当初は柵をされていた廃線の鉄橋の柵がなく、思いっきり橋を渡ったシーンに込められた、是枝監督のメッセージは何なのか?

柵が取り払われた→他人との壁がない
他人も自分も地続きにつながっている。
そんな安心できる社会を象徴したのか?
妄想を捨て、ありのままを見よというメッセージなのか?

当初の暗澹としたモヤモヤから、私なりにこの映画を咀嚼できたのは、ららみぃたんさんのこちらの記事に触発されたことが大きかったことも最後に付け加えさせていただきます。(ららみぃたんさんの記事には心を動かされる率が高いのです)




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