灰の山

文芸サークル「デスゲーム同好会」6月〆分
テーマ「きょうだい」の原稿です。
読んでいただき、ありがとうございます。

 ごーん。
 母が「おりん」を鳴らした。あの土釜みたいなやつ。
「あんたも手くらい合わせなさいよ」
「おあ」箸を置いて、大してでかくもない仏壇に手を合わせる。
 そこには、兄がいる。
 今日は兄の三回忌だ。

 俺が中3の冬に兄は死んだ。大学生活を機に一人暮らしをしていた兄の遺体は、父が確認しに行った。真っ青な顔をして帰ってきた父を見て、母は呆然としていた。俺は受験期だったけど、父の車で兄の家まで行って、葬式にも出た。
「一人で帰るから」と、母に無理を言って、その日は兄の家に泊まった。引っ越したばかりの当時の兄が「綺麗にしてるだろ!」と大きな声で笑いかけた、ご自慢の「丁寧な暮らし」が鬱陶しかった。でも兄が楽しそうに笑うから、年に3、4回くらいは訪れていた。
 けど、今日のこの、家主不在の部屋は静かで、それでも確かに、服とか、風呂とかキッチンとか、そこには兄の痕跡があって、兄ちゃんがもうこの世にいないなんて、まるでそんな気がしなかった。
 両親は俺を心配してか、あるいは自分たちも突然のことに疲れたのか、近くのビジネスホテルに泊まったらしい。でも、兄の家には一切近寄らなかった。気分的に近付けなかったのだろうか、と翌朝コンビニのパンを食べながら思った。どうせ、後で片付けにまた来るのに。
 後でまた来る時は、片付けの時なんだ。俺はぼーっとした。
 ──兄の骨は、母が俺に「持っていて」と頼んだから、道中ずっと俺の膝の上にあった。
 車中はずっと無言だったのに、外の景色は晴れ渡っている。俺は、なんだかなあと思った。

 時は水曜日午後7時。兄の死から2年が経ち、俺は今、何故か美術予備校で、ひたすらひたすらデッサンをさせられている。"している"のではない、"させられている"のだ。
どうやって貯めたのか、またどういう意図なのか分からないが、兄の引き出しから「これで美大いけよ!」という文言とともに、100万円が出てきたからだ。
 兄ちゃんも俺も、絵を描くのが好きだった。でもそれはお互いが小中学生の時とかの話だ。
 兄は美大に行きたかったのだろうか。
 美大なんて、きっと京大に看板立てる奴らみたいなのしかいない場所だ。それならまだこんなことしてないで、勉強した方がいい。こんな正解のない世界に飛び込むのは愚か者ではないか?
 折れてみろよ、と思いながら鉛筆をきつく握った。無論そんな俺を置いて、みんな黙々と絵を描いている。
 集中を欠いている。
 美大? と首を捻っていた両親に、「美大、行きたい?」と聞かれ、俺も俺でなぜか反射的に「うん」と答えてしまった。両親は絵のことなど何も知らないなりに、とりあえず有名な美術予備校に入れてくれた。
 けど、俺は、予備校の奴らみたいに真面目に絵にを書いたことなんて無いし、というか人生で何かに真面目に取り組んだものなんてない。なのに、ひたすら木炭と6Bの鉛筆を握って、なんかこんな、汚れて、狂気の沙汰以外のなんでもない。6Bってなんだよ、小学生以来でこんなの使ったぞ。しかもあの時は絵じゃなくて書写だったし……第一、そんな、ところに、反射光なんて、ねえっつってんだろ。
「……」
 講評が意識の上滑りをする。最悪だ。
 ていうかよく見たら誰も6B使ってない。俺は、買えって言われたから、探して買ったのに……
 絵を描くのは確かに好きだった。でも美大の、美術予備校の「絵」は、俺たちの絵じゃない。高校だって、美術部とイラスト部が分かれてるだろ、兄ちゃん。
カービィの絵が、印象派や野獣派や、キュビズム以前、圧倒的デッサン力と超かっけえ陰影で誰の目にも「上手い」って分かる新古典派の横に並ぶわけ、ないじゃんか。

 夢に兄ちゃんが出てきた。それが当たり前の日常じゃなくて、夢であることに気付いたから、目覚ましを止めて少し泣いた。
 なんやかんや、あのとき俺はバチゴリ受験生だったので、兄の家の片付けはほぼ両親がやったのだが、片付けというかほぼただの移転で、俺の隣の兄の部屋に押し込められた。だから、兄のものはほとんど何も捨てられていないし、スマホの中には兄ちゃんの動画や写真がなんの気なく残っていて、いつでもそこにある。
 いつでもそこにあるから、一層兄がもう居ないことが、とりわけ事実としてかなり目立ってくる。いて当たり前だから、こうして夢にも出てくる。
 けれど、もう夢以外で会うこともない。
 夢では、己の記憶が歪んで、過剰に増幅される。かと思えば、兄の声を忘れかけては、動画の中の兄の声におどろく。
 本当の兄が消えていくのがおそろしい。

 カラスが大きな音を立てて飛び立った。夕日が川向うのビルを焼き尽くしている。
やる気なんてないのに、律動的に放課後の足が予備校に向かっているのが分かって、ちょっとウケた。
 パート帰りのおばちゃんが品のない噂話をしながら通り過ぎていく。
そういえば母も父も、兄の死因を言ったことがない。
自殺だったのだろうか、と思った。
 引いていた自転車に乗り込む。土手を犬が散歩している。女子高生たちが座って談笑しているのも見えた。急ぐ用事なんてないが、息が上がるくらいペダルを漕いでゆく。
家族だから、兄に対して死ねと思ったことは何度もある。
 けんど不可思議なことに、兄がいなくなってからは、楽しかったことばかり、美しいものばかりを思い出す。
 兄がまるごと、黒黒い感情を持ち去ってしまったみたいに。
 …………
 額の汗を、風がさらっていく。俺は止まって、水筒を一口飲んだ。
 ぼんやりしている場合ではない。
 早く予備校に行かなくては。
 絵を、描かなければならない。

 くしゃみが出た。
 光を描くことは、影を描くことだった。
 光を光そのもので描くことはできない。ものを漂白し、あるいはその光路があって始めて、絵の中に光が生まれる。
 まずは基調をしなければならないのだ。
 なんでそんなことを知らなかったんだろう。周りの絵が上手い奴らは、最初からそれを知った状態で、ここに来ているんだろう。同じ学費を払っているのに、不平等だ。死ね。死ねはうそ。
 木炭粉は非常に細かくて、知らず知らずのうちに吸い込んでいる。鼻をかむとティッシュが煤ける。絵を描いている人間は、基本的に汚い。
カンバスも俺の体も真っ黒に塗り潰す。でも恐れないで、そこに光が──MONOをぐいっと滑らせる。
 ああ麗しきは、稜線から出づる朝日の如きコントラスト。日の本に照らされて、反対に山々は影になっておもちゃのように昏くなる。されどそれはただの黒ではない。やや青白い明るさを纏っている。一度その事実がわかったら、そうにしか見えなくなる。真実は盲目だ。
 手が体が汚れていくにつれて、心はどんどん透明になる。
 絵画とは小さな嘘をいくつも重ねて大きな真実を作ることである。
 美術は、もちろん専門知識や技術はあるが、本質的には哲学や科学なのだ。自分の内側にあるものが何であるか、とか、社会問題とか、それを微分したり積分したりして自分で導き出した答えを提示する。
 こう言うと、ご高尚なことですね、となるかもしれないが、「自分の好きなことをやる」ことでさえ、自らを探求することなのだ。問題はそのアプローチが上手く行くか行かないか、上手くなくても意義的であるかどうかなのだ。
技術があっても、それが欠けてはいけない。
 もうすぐ学年が上がる。高校三年生になり、いよいよ「本気で美大受験なんかする気なのか」という問いの答えを、俺は出さなくてはいけない。たぶん、予備校の教室はもっと殺伐とするだろう。俺はやる気勢じゃないからそんな感じが全くしない。ていうか今でもピリピリしてる人たまにいるけど、何をそんなにイラつくことがあるんだろう。絵なんてものを真面目に教えてくれる所は多くはない。何より、それにまともに取り組んでる奴らが集まっているという環境は希少だ。
 絵が描けるのに、なにをあせることがあるんだよ。本人に聞いたらガチで怒られそうだけど。でも、焦燥と退屈というのも人間の永遠の課題なんだろう。
 良い作品というのは、必ずしも技術だけで評価されているわけではない。作品を見る時、一定の人達は作者を見る。その人生を、人生を形作る哲学を、苦悶を、命題を作品に見出し、共感し、あるいは議論する。
 だから作品は、必ずしも「答え」である必要はない。
 俺には、命題を探せと言われても、そんな難しいことは考えられない。けれど囚われているものがある。
 それは、兄の死だ。
 そして、兄の屍の上に成り立っている、俺の生活。
 俺の絵は、兄ちゃんの死から生まれた。
 俺の主題は、生と死。生とは、かくこと。死とは、……身のうちの空洞のこと。
その空洞から、涙が出てくる。それを塞ごうとすると、そこに元々あったもの──兄ごと忘れかけてしまう。
 多分、悲しみを埋葬することも悪い方法ではないはずだ。けれど俺は、そんなことってないよ、と思う。だって俺にとっての兄ちゃんは一人しかいないし、兄ちゃんとの時間だってたったの一度きりしかないんだ。
 俺は、この空洞を、埋めるのでもなく、見ないことにするのでもなく、ただ居心地のいい空間にしたい。
 祈りとはこういう事なのだろう。
 俺は別に、絵が上手い人間ではない。
 けれど、描き続けたい。絵の中に、俺に取っての死を描き出す。その上に、きっと俺の人生があるのだ。
 多分それは、灰の山に線香を突き立てることと同じだ。
 そうしていつか、積み上げてそっちに行ったら、また兄は褒めてくれるのだろうか。
 俺はまた一つ、くしゃみをした。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?