見出し画像

●共通の思い出作り

2000年の年末の舞台を最後に、もう芝居をすることはないなと思っていたし(映像は1本やったか)、実際そのすぐ後に、結婚・出産となり専業主婦で母親業に一生懸命だった。

人前で何かやることからは遠ざかり、舞台を観に行くこともなくなり、このまま毎日が過ぎていくんだなぁと思っていた。

器用ではないので、日々の家事や育児でいっぱいいっぱいだったしね。


娘ふたりが幼稚園、長女が年長で次女が年少の時、次女のクラス委員を引き受けた(3名体制)

クラスの保護者会などで、司会進行をしたり人前で話す機会が何度かあった。これがね、緊張したのを覚えている。やってないと出来なくなるんだと実感した、大きな声の出し方とか身体が忘れてて。

でも、これがきっかけで、私こういうこと好きだったよねって思い出した。


年長の長女の謝恩会では、司会を引き受け、進行台本の原稿を作って練習して。本当に楽しかった。

次女の謝恩会は、震災の影響で中止になってしまったけど、園のおゆうぎ室で簡単なお別れ会みたいなものを開催した。合唱とかダンスとか、お母さんたちが一生懸命練習してたからね。

私はその時、昔やっていたクラウンの衣装を引っぱり出してきて、賑やかしにグリーティングとか、"ぼよよん行進曲"に合わせて踊ったりした。


昔取った杵柄、というかまあ、何でも経験したことは役に立つもんだな~と思いながら、娘たちの幼稚園生活に、私の思い出もポチっと付けられて良かった。


次女が小学校に入学したのを機に、PTAのおまつり専用の役員になった。年1回のおまつりの比重が大きくて、PTA役員がすべての業務を担うのは大変だということで、その年からスタートしたおまつりに特化した役員。

任期は3年。毎週火曜日の午前中に集まって、企画や調達やらいろいろと決めていった。同期は私含めて5人。通常のPTA役員を2年終了した先輩ママが4人。会計や機材管理など、引継ぎを先輩に直接教わる人たちはそれなりに仕事があって、私はというと、あれ?今何の時間?ってなるような、私何もしてない?となることが数回あった。これは、なんとかしなくてはと考えたのは・・・。

お昼の放送ジャック(言い方がよくない)


おまつりがリニューアルするということだったので(おまつりの名前も変わるし)生徒のみんなに知ってもらいたいし、開催日までのワクワクを楽しんで欲しいという、表向きの理由はこんな感じだったかな。

ぶっちゃけ、私に出来ることってなんだろって考えてたときに、閃いただけなんだけど。

おまつりの当日はいつも、役員が放送を入れてたので(開催の司会とか、売り切れ情報とか、ポスター描いてくれた生徒の名前を紹介したり)大丈夫なんじゃないかなとも思ったし。


企画書を作り、先輩ママたちにもプレゼンして、副校長先生にもお願いして。結果、毎週火曜日のお昼の放送時、5分間だけ放送する時間をもらいました。たしか、おまつり開催前に10数回とおまつりが終了した後に1回。

出店を担当するクラスの代表のお母さんに来てもらって、お店の紹介を3分くらい話していただくこともして。これ、生徒たちがすごく喜んでくれてた。自分のお母さんが放送で喋ってるって、嬉しいよね。


放送中も、静かに聞いてくれたり、盛り上がって聴いてくれたりしていたので、本当にやって良かったなと、今でもあれはいい思い出です(私の)

任期の3年間は私が担当した企画だったけど、そのあとそれを引き継ぐ人はいなかった、それはそうかもね。


それと同時進行でやってたのが、娘ふたりが所属していたチアダンスのお手伝い。

学校に簡単な学童みたいなシステムがあって、放課後や土曜日にその教室に行って宿題したり遊んだり、校庭で遊ぶ時も見守りをしてくれたりするスクール。年間(保険料のみ)で登録して、いつ利用しても良いという、テレビで取り上げられたこともある区のシステム。

そこにそのチアダンスのクラブがあって、毎週土曜日に体育館で練習して、地域のおまつりや運動会に参加するという、なかなかアクティブなクラブ。先生も熱心で、お母さんたちも協力しながら運営していた。


で、先生の呼びかけで、お母さんたちもいっしょに練習して催しに参加しましょうとなっていた。もちろん自由参加。実際、そういった催しに出るお母さんはいつも決まっていて、なかなかみなさんそこまでは。

あ、私はもちろん参加してました(笑)


娘たちが幼稚園の頃から、区の施設のピラティスに通ったりしてたので、身体を動かせるチャンス!と思ったし、昔はダンス(ジャズだけど)を習いに行ってたので、喜んで参加!

なにより、娘たちとの共通の思い出作りができる。いっしょに振りを練習したり、楽しかった。


あと、朝の読み聞かせにも行ってた。月に1回くらいだったけど本を選んで、練習して。上の学年と下の学年では、反応も違うからこっちも楽しかった。昔話の雪女とか、意外と興味津々で聴いてくれた。


幼稚園や小学校の行事って、ちょっと面倒だなって思うけど、私は『共通の思い出作り』だと思ってけっこう積極的に参加しました。

これは、何かの番組で菊池桃子さんが言っていた言葉で、多分それを視たのは娘たちがまだ赤ちゃんの頃だと思うんだけど、そういう考え方があるんだって感銘を受けたんだよね。


たしかに、中学校に入ると途端に親が関わることが減って、共通の思い出作りは家族でだけになってくる。


すごい勢いで10年以上も前のことを思い出したから、ちょっと脳ミソがショートしそうだけど、なんだかんだやってたんだな私、よくやってたな私、っていい振り返りになりました。


実は、この頃同時にやっていたことがもうひとつあります。それはまた次回にでも。

サポートしていただけたら嬉しいです。