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私の守り人

「私」を守ってくれる人って、一体どこにいるのだろう。

「人に優しく、自分に厳しく、私に一番優しく」
この言葉をこれからの生きる指針にしようと思う。

こいつまたおかしなことを言ってやがる。自分と私は同じだろう。
大抵の人はそう思う。
そんなあなたも、「私」と「自分」を持っているはず。
私がわざわざこういう書き方をしているので、察してくれた人もいるかもしれない。

「自分」とは、対外的な己のことで、「私」とは、対内的な己のことです。
人によって一人称は違うので必ずしも「自分」と「私」ではないけれど、
つまりは外的な己と内的な己がいるよねって言う話。

「自分」を守りたいがために「私」が傷ついたことが何度あっただろうか。
内にいる「私」に蓋をして、外の「自分」を必死に守っていた。
"他人用"の己である「自分」と、己だけの「私」
この先を生きていくうえでも大切なのは明らかに後者だ。
「自分」は接する相手によってある程度変えているだろう。
「人」というのも環境が変われば変わっていく。
「私」はいつ何時でも変えることができない。
「私」とは、一生離れられないのだから。

己のうちにいる誰にも知られない「私」を守れるのは「自分」しかいない。
誰が、って「自分」が、大事にしてあげるしかないのだ。

話すのが苦手な私は、「自分」を気にしすぎているのだと気づいた。
「私はあなたの言動で傷ついた」「あなたとは一緒に居たいけれど、こういう所を治して欲しい」と言うことは、
たとえ「私」が辛くとも、「自分」にとって良いことではないと思っていた。
人に優しく。人のことを思えば慎むべき考えや思いだと。
周りは、相手は、どう思うだろうか、
周りや相手に合わせて「私」を隠していることは確かに楽だった。
「私」を説明する、という「私」が一番苦手なことをしなくてもよかったから。

この前こんなことがあった。
友人が、「恋人と別れたんだ」と報告してきた。
「秋は別れが多くて嫌だね」と返した。
「紅葉とか見に行きたかったのに、寂しいな」と返ってきた。
「紅葉は一人でも見に行けるのでは」と返した。
「一人で行くのは寂しすぎるでしょ」と返ってきた。
そういう時こそぼーっと景色を見ながら自分を振り返ったりする時間を持ってもいいのではと思ったし、そもそも一人で紅葉を見に行くことに寂しさを感じないから、「全然」と返した。
そうしたら、「俺より男だね」と返ってきた。

寂しがりな男もいれば、一人でどこでも行ける女もいる。
個人の性格に性別なんてもうこの時代、全く関係ないでしょと思ったし、
この言い方が全然受け入れられなかった。

いつもなら、「自分」なら、「うるせー」とでも返していただろう。
この日は「自分」のことなんて考えずに、「私」が思うままに返してみた。
そういう考え方は個人の自由だけど、私は好きじゃないから、私にはそういう風には言わないで、と。

この友人というのが、私からは連絡しないし私としてはいてもいなくてもいいというか、全く大きな存在ではないので、「自分」を気にせずにいられただけかもしれない。
どう思われてもいいし、それでウザがられて無視されても別にいいや、と素直に言ってみた。
しかしどうだろうか、こんなに今まで恐れていた、見られている「自分」を気にせずに『「私」を出すこと』、をして起こったことは。

何もなかったのである。友人はそっか~と言いながら今からタコパなんだと自慢してきた。
そして生地を流したてのまっ平で真っ白な画像を送ってきた。


嗚呼こうやって「私」に素直なって人と接すると、「私」にとって心地よい人だけが残っていくのか、と思った。
「自分」なんてものはただの「私」の一部でしかなくて、「私」を代行しているだけなのだ。
「自分」には意思なんて必要なかったのだ。

なんとなく思うところがあっても、今までどれだけ何事もないように相手に合わせて生きてきたのだろう。
「自分」の印象が悪くなってしまうことを恐れて何も言わなかった。
無駄に仲良くなって、無駄に気を遣いながら時間を過ごして、無駄に大切な存在になって、結局は限界が来て、大きな傷を残すような別れにならずに済むのだ。

「私」というのは、「自分」が守るべき大切な人なのだ。
「自分」は「私」のご機嫌を取る、大切にする、守る、「私」のことを考える。
「私」のために行動する。

「自分」がやりたくないことを避ける、「自分」が楽な方を選ぶ。
そうではなくて。
「自分」の大切な人である「私」が恐れていることが起こらないように、
「私」が安心して気楽に生きていけるように。

外から見られている「自分」というのは確かに大切だ。
誰も「私」を見ることはできないから。
清潔感や身だしなみはもちろん、発言や人への配慮、自分磨き。
そういうところには厳しく。そこは今まで通りに。

人のことを気にしない、自分勝手に生きる、そういうことではなくて。
「私」が辛くならないように、「私」を守るために、
言うべきこと、伝えるべきことから逃げない。
「自分」とは、「私の守り人」なのだ。
「私を守ってくれる人」こそ、「自分」なのだ。

「自分に厳しく、私に優しく」

最後に、この世で一番大好きな作家さんの作品タイトルを借りてきて
こんな文章を書いて申し訳なかったです。

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