プリファードエンド⑦

未来


官邸の門を通り抜け、エントランスの前に停車する。後ろを走っていた黒い車は公邸の方に向かった。サングラスの男の案内で、官邸内の一室に通される。ここですべての荷物を預けて行くらしい。とにかくすべてだった。ペンも何も全て置いていけとのことだ。

「これで全部です。」
「それでは、隣の部屋へお入りください。」
「あ、一人でですか?」
「はい。」

ドアを開ける。そこにはこの国の事実上のトップ、内閣総理大臣が居た。

「初めまして、仲本君。私は谷川琢人タニガワタクト。」
「ええ、存じております。」
「ここには君と私しか居ない。敬語も必要ない。気軽に話してくれ。君は客人だ。」
「あ、ありがとうございます。」
「よろしくな。」

客人という扱いでも無い気がするが、口にできる筈もなかった。

「今日来てもらったのは他でもない。Dループのことだ。あの計画についてどの程度知っている。」
「昨日見学に行ったので、大体の仕組みと設備、料金形態とかも聞いてます。それと…ご令嬢が乗られることですかね。」
「おお、そうだ。私の娘も乗る。そのことで、君についてお願いがあってね。」
「お願いですか?僕なんかよりもマックス夫妻の方が適しているよ。何より、僕は数か月前までは一般の高校生です。資産だって、つい先日莫大な金額あることが分かったんですから。何も力になれないと思います。」
本心だった。正直面倒くさいことを頼まれるのは確定していたから断りたいというのもあったが、この国のトップに出来なくて僕に出来ることなんか無いと思った。
「君のことは知っている。参加が確定する前からね。竹中君から君の存在を聞いたあとすぐに調べさせた。君の学校での成績も全て知っている。君の行動の大体は把握している。その程度のことはすぐにやる、この国は私の掌の上にあるのだよ。」
「それは、普通に怖いっす。」
「ま、必要な情報だからね。」
「それで、お願いって何ですか。」
「あぁ、娘の…栞那カンナの家庭教師をしてくれないか?Dループの1年間の。」
「は?」
「天応大学工学部に進学するんだろう。学力は申し分ない。」
「推薦ですよ。」
「君の偏差値なら一般入試でも受かるだろう。」
「ご令嬢がどこの学校に通っているか知りませんが、恐らく名門でしょう。高度な勉強を教えられる程の勉強はしてきてません。」
「娘は小学校から公立だ。中学校も公立に通ってもらった。もうすぐ卒業式だが、私は仕事で行けそうにないな。」
「そうなんですか。でもなんで公立に?」
「なんでって、そりゃそうだろう。私はこの国の政治家だ。国の教育を信用しないでどうするというのだ。もちろん、実際通わせてみて分かったが、問題だらけだった。10年かけて改善させることになっている。文科省も経産省も連携して貰わなければ、競争相手は国の外なのだ。」
「何か、思っていた政治家のイメージと大分違いました。」
「まぁ、政治家もたくさんいるからな。それで、家庭教師の話は受けてくれるだろうか。」
「え。まぁ、はい。良いですよ。学力の保証は出来ませんが。」
「ああ、構わない。それに基本的な学習は映像授業で出来る。君にはアドバイザーとしていて欲しい。」
「そうですよね。その程度のことでしたら協力します。」
家庭教師と言うから、ゼロから全て教えるのかと思ったら、ただのアドバイザーだった。正直、人にモノを教えるのは得意じゃないからゼロから教える事になっていたらどうしようかと思ったが、膨大な映像コンテンツがあるから心配無用だった。

「ところで、娘の病気については知っているか?」
「いいえ、難病ということは聞いています。今は治療法が確立されていないとか。」
「ああ、まだ臨床研究に入れる段階に無いのだ。早くてあと2年。遅くて5年ってところだ。」
「…」
「…だからこそ、Dループにかけているんだ。この国のトップになった時に私情は捨てるべきだと思ったが、無理だった。」
「…」
「未来は希望なんだ。」
父の顔を見せた総理は、少し辛そうだった。

総理との会話を終えて、荷物を取りに戻るとサングラス男が居た。サングラス男は、次は公邸に行くと言った。少し砕けた表情になった気がしたが、気のせいかもしれない。

サングラス男の案内で公邸まで歩く。いくつかのドアを抜けると少し天井の高さが低くなった。すると突然、ずっと寡黙だったサングラス男が話かけてくる。
「仲本さんは本当にDループに乗るのですか?」
「ええ、まぁ。今はかなり乗るつもりで居ます。」
「そうですか。」
「えっと…」
「?」
「お名前は?」
そう聞くとサングラス男は立ち止まりサングラスを外した。
「あぁ、これは失礼。私は、谷川の使用人の東一郎アズマイチロウと申します。」
「よろしくお願いします。僕は…知ってますか?」
「ええ、仲本京さん。サトシ・ナカモトのご子息でいらっしゃると伺っております。」
「まぁ、どうやらそうらしいです。」
「何で、急に話を聞いてくれるようになったんですか?」
「公邸内では私個人の仕事となり、マニュアルが異なるのですよ。官邸内での業務は準公人として扱われます。さっきまでは総理の秘書だったってことですかね。」
「そうですか。何だか良く分かりませんが色々あるんですね。」
「色々は無いですよ。秘書と使用人とプライベートの3つだけです。」
「ははっ。」
愛想笑いは得意な方だと自負していたが乾いた笑いをしてしまった。こういう日本語が微妙にすれ違うコミュニケーションには高校の同級生を思い出し、少しイラっと来る。


公邸内の一室に通されるとそこで座って待つ様に支持された。部屋中に何なのか良く分からない。歴史があることだけは分かる物が沢山置かれている。住まなくても維持費が2億ほど掛かるそうだが、おそらく建物だけではないのだろう。建具の1つ1つが代替不可能な代物なのだろう。

ドアがノックされ、谷川さんの声がした。
「失礼します。」

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