【随筆】逆張りと内輪ノリ



学校のクラスのような閉じたコミュニティで何か発言権を得ようとするならば、基本的には逆張りすることだ。逆張りすることは、流れを断ち切ることだろう。それは上手くいけば「新しい視点」ということになり、上手くいかなければ「可笑しい人」ということになる。唯一問題があるとすれば、コミュニティを破壊する逆張りをすると、「外部の他人」ということになる。内輪ノリの輪の中心的人物や中心的思想に対して逆張りをすることはリスクであり、問題になる。

社会規模でもそうだろう。新興ものは大体このやり方だ。企業だったり、宗教だったり、政党だったり、人だったり、大体は逆張りだ。無名の者は逆張りをすることで発言力を得る。「新しい視点だ!」と称賛され、「可笑しい人だ」と呆れられ、そして「愚か者」と怒られる。



例えば、ホストなのかインフルエンサーなのか実業家なのかよくわからないけど、ローランドという人の名言(或いは迷言)というのはどちらの性質も持っている。面白いけれど、一理あるような、そんな印象を持つ。それはやはり、どこか普通や常識に反した事を言うからだ。それは内輪ノリを惑わすことだけど、それが輪の中心でなければ、中心から遠ければ、問題はない。内輪を乱しても壊さなければ怒られない。


ここで言う問題になるとか怒られるというのは犯罪であるということではない。法的に犯罪かどうかよりも、内輪ノリで罪と認識されるものに人は反応する。つまり炎上するということだ。


無修正ポルノを販売していたら、それは普通や常識に反した行為といえる。犯罪である。しかし、この逆張りは犯罪行為でありながら一定の味方が生まれるのではないだろうか。つまり、法が間違っている(から罪ではない)可能性が内輪ノリの中にある程度共有されている。一方で人が反応するのは何日もニュースになるようなものだ。派閥の裏金の問題は、単なる申告漏れであり犯罪行為でないとされた。けれどもこれは犯罪行為でないけれど逆張りである。普通や常識に反している。内輪ノリで罪と認識しているということだ。つまり、法が間違っている(から罪である)可能性が内輪ノリの中に共有されている。

そういうものに対して人は反応し、母数が大きいと炎上する。



という、逆張りと内輪ノリの関係について、サンドイッチマンのゼロカロリー理論を聴き流し考えていた。


お笑いは逆張りだが、逆張りが笑えるかどうかは内輪ノリを理解してなくてはならない。



『新幹線内で食べれば、カロリーはスピードについてこれないからゼロカロリーである。』

『カロリーは色がついているため、白いものはすべてゼロカロリーである。』



面白すぎるwww。

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