【随筆】ラスボス


よくある御伽噺では、魔王とか魔女とか、そういうラスボス的な存在が居て、それが本当に悪いやつで、「諸悪の根源」みたいに扱われてて、そういうやつをぶっとばして、めでたしめでたしってなる。そういうストーリーは構造的に分かりやすいしスカッとする気持ちの良い終わり方だ。そういう物語が増えるのは自然なことだと思う。

だけど、そんな上手い話は非現実的だ。諸悪は諸悪であって、それぞれの因果が点在している。根源なんていう悪そのものを象徴するような存在は現実的には考えられない。

「実は…」みたいな物語もよくある。ラスボスにも悲しい過去があったとか、後から分かる。でも、責任問題だとそんな話は聞いてもらえないだろう。現実とは責任問題の連続だ。

だから、誰かを憎むことは正しいことであっても虚しいこととなる。逆に誰かに憎まれることも、実はそんなに大したことではないのかもしれない。

ラスボスは居ないし主人公も居ない、現実とは社会そのものだ。全ては時間が解決する。

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