【随筆】思考と指向と志向と嗜好、それと創造。

思考

考えることを思考という。考えるとは何か。



指向

指向性思考。

僕らの思考は大抵の場合、指向性思考である。

指向性がある、とはどういうことだろうか。抽象的な話を抽象的に進めることは、話をより抽象化するだけであるので、具体例を考える。


コインを1,000回投げた時、表が400回、裏が600回出た。
次にこのコインを投げた場合、出る面は表か裏か。


この時あらゆる思考が生まれる。

  1. 「このコインは60%の確率で裏が出るコインであるので、裏の方が出やすいコインである。したがって、次に出るのは裏である。」

  2. 「表と裏が出る確率は二分の一であるので、確率は二分の一に収束していく筈である。1,000回で、裏に偏っているため、次は表が出る確率の方が高いのではないだろうか。」

など、ほかにもいろんな思考が生まれるだろう。大数の法則だったり、条件付き確率だったり、色々な知識を使って思考する。どんな思考が生まれたとしても、とにかく、次に出る面を予想する。

つまり、どんな思考であっても、「次に出る面を予想する」という目的を持つのだ。この目的こそ指向性であり、思考には「目的」を伴っていることが殆どである。




志向

志向性指向性思考。

僕らの指向性思考は大抵の場合、志向性指向性思考である。

志向性がある、とはどういうことだろうか。例えば、

「このコインは60%の確率で裏が出るコインであるので、裏の方が出やすいコインである。したがって、次に出るのは裏である。」
「表と裏が出る確率は二分の一であるので、確率は二分の一に収束していく筈である。1,000回で、裏に偏っているため、次は表が出る確率の方が高いのではないだろうか。」

この2つの思考は、どちらも同じ目的であるが、そのプロセスは異なる。これは思考する者自身が、プロセスを組み立てるためである。思考の目的は「客観」であるのに対して、思考の方法は「主観」なのである。


つまり、どんな思考であっても、目的を持つと同時に、方法を持つのである。この方法こそ志向性であり、指向性思考には「方法」を伴っていることが殆どである。




嗜好

嗜好性志向性指向性思考。

僕らの志向性指向性思考は大抵の場合、嗜好性志向性指向性思考である。

嗜好性がある、とはどういうことだろうか。例えば、先ほど

抽象的な話を抽象的に進めることは、話をより抽象化するだけであるので、具体例を考える。

という記述を読むとき、具体例を想像する”構え”になったのではないだろうか。もっと言えば、「抽象的」という言葉が3回繰り返された時に「具体」という言葉を、無意識的に結び付けたりもするのではないだろうか。

人は、言語的処理の共通認識を前提として思考している。言語的処理の共通認識とは、例えば「具体⇔抽象」といった対義語の組であったり、もっと主観的な言語ネットワークの場合もある。例えば、SNSという単語を読んで、イメージされるサービスは何であるだろうか。

「Twitter」「Facebook」「Youtube」「LINE」「Instagram」「TikTok」「WeChat」「Reddit」「note」…

どのサービスであったとしても、最初に出てきたものは、その人の持つSNSのイメージに近いものといえるのではないだろうか。つまり、言語処理の共通認識という前提は、特定の文化に置ける共通認識という意味であり、さらに言えば、主観的に「共通認識である」と認識している前提。酷く言えば、独断と偏見である。


言いたいことはつまり、「言語的意識による思考」には「常識」が伴うということであり、「”常識”=”独断と偏見”」ということである。この「独断と偏見」こそ嗜好性であり、志向性指向性思考には「独断と偏見」が伴うのである。



創造

創造性・クリエイティビティとは、新しいモノを生み出すことである。


創造

嗜好性志向性指向性思考からは、創造は生まれない。それは主観の塊と言える意識による「思考」というプロセスが「言語」という他者との交流を目的とした道具によって支えられてしまっているためであろう。

ここで、指向性を「脱嗜好性」として嗜好性志向性指向性思考を行うと…

言語的に破綻していそうなモノを対比させてみると良いのではないか。まず、適当な単語のセットを羅列する。

  • 「音楽」と「文化」

  • 「黒人」と「白人」と「黄色人種」

  • 「差別」と「区別」

  • 「デジタル」と「アナログ」

  • 「利己」と「利他」

  • 「愛」と「憎悪」

  • 「世界」と「宇宙」

  • 「時間」と「空間」

  • 「椅子」と「机」

  • 「おにぎり」と「サンドウィッチ」

  • 「綿棒」と「爪切り」

  • 「夏」と「冬」

  • 「タンポポ」と「朝顔」と「バラ」と「桜」

  • 「バナナ」と「リンゴ」

  • 「カオマンガイ」と「ガパオライス」

  • 「デンマーク」と「ベルマーク」

次に、そのセットをバラシ、違和感のあるものを敢えて組み合わせる。

「タンポポ」と「憎悪」
「ベルマーク」と「空間」
「サンドウィッチ」と「愛」と「椅子」

この意味不明な”単語の組”。これを作り出した時点で「創造」なのではないだろうか。

「タンポポ」と「憎悪」をテーマに絵を描く。
「ベルマーク」と「空間」をテーマに物語を描く。
「サンドウィッチ」と「愛」と「椅子」をテーマに音楽を作る。


そうやって思考を止めないで、作っていけば、新しいモノを生み出すことになるのではないか。





なんてね。





【追記】

この文章を書くという創造は、全く異なる方法である。
「思考」の同音異義語を先に考えた。
思考・嗜好・試行・指向・志向・歯垢・至高…

これらのいくつかを同音異義を組み合わせようと思ったのだ。そこで嗜好性志向性指向性思考なんて言葉を造って議論を進めたのだ。

そしてこの記事には「#試行錯誤」と付けた。これも駄洒落だが、試行錯誤の面白いところは「思考」の意味合いを「錯誤」の側が担っているところだろう。

結局何が言いたいかというとこの記事の「創造」の項目はマジで適当に書いたということ。




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