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キャッチボール。遠い思い出。【連続小説2日目】

晴れた月曜。裕之は有休消化日のため朝からゴロゴロしていた。妻も仕事に向かい、子供たちは午後まで帰ってこない。家に1人なんて何年振りだろう。

裕之のマンションは少し街外れに出来た再開発エリア。学校も少し離れているし、飲食店もない。不便だが、日中は本当に静かで気に入ってる。裕之はあまりテレビや音楽をかけることが好きじゃない。うるさいのが苦手だし、なんとなく見る・なんとなく聞く、という行為が苦手だ。音楽ならがっつりライブに行くか、レコードを使って聴きたいし、ドラマなら部屋を暗くしてスマホも離してみたい。

あいにく今はそんな気分じゃないので、ベランダに出てぼんやり過ごす。我ながら面倒な性格だ。

ふと思い立ち、スマホを取り出す。

「そういえば昨日、野球やりたいって言ってたな」

小学校3年生の息子、慎二はどちらかというと大人しく、読書が好きな子だ。自分からこれがしたいとか、あれが欲しいとか、あまり言ってきたことがない。決して裕福ではないが貧乏でもない家庭。慎二の性格は親として助かる反面、心配だった。いや、物足りないというか。欲しかったら買ってあげるよ、と言っても「使わなくなるからいいよ」と言っちゃう子。

そんな慎二から初めて「したい」と言われた。野球だった。

「友達とボール投げてたら『才能あるよ』って言われてさ」
嬉しそうだった。


他愛もない会話。たぶん友達もなんとなく言ったんだろう。ちょっと球が速かったとか、グローブ構えてるとこにきたとか。そんなことだったんだと思う。

慎二には友達の言葉がたまらなく嬉しかったんだろう。
そして裕之も息子の言葉がたまらなく嬉しかった。

スマホでキャッチボールのやり方を見ながら、11時を待つことにした。隣町スポーツ店がオープンしたらグローブを買いに行こう。そのまま近くの中華で飯でも食おう。
「そうだ。俺のグローブってあったっけ?」
「昔使ってたのを実家から持って帰ってきたよな」
「バットはないな。流石にすぐ本格的なものはな、、ビニールバットでいいか、、、」

グローブを探し当てて、汚いボールを右手に。左手にはめた汚いグローブに叩きつける。
パンパン。

心地よい音が響く。

帰ってきたら野球のことをはもう忘れているかもしれない。サッカーがやりたいとかゲームが欲しいとか。やっぱりいらないとか。
それでもやっぱり裕之は嬉しかった。早く帰ってこい。キャッチボールするぞ。

そろそろ11時だ。玄関に荷物をまとめ、車のキーを持つ。
扉を開けたところで、財布を忘れたことに気づいた。後ろを振り返る。
ボロボロのグローブが目に入る。


「親父もそうだったんだろうな」

子供の頃を思い出す。裕之は別に野球が好きじゃなかったけど。やっぱり親父との思い出はグローブとボールだった。

30代サラリーマン2児の子持ち。某メディアで勤続10年あまり。写真と本と日々思いついたことを書いていきます。カメラはa7iii。下手の横好き。贔屓チームはヤクルト。