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ヒーローになりたかった少年の唄2021⑫


日本の恐怖と世界の恐怖


例えば、「ドラキュラ」と「フランケンシュタイン」

これと、

番町皿屋敷の「お岩さん」と、髪の伸びる「お菊人形」

(若い子は知らんかもね…)

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なかなかピッタリくる対比対象の知識がないので、この例えはおかしいと思う方も多いとは思うけど、上の二つと、下の二つ。

この印象の差はすごいと思う。

もちろん、上が「西洋の恐怖」で、下が「日本の恐怖」だ。

同じ恐怖でも、なんというか質が全く違う。

ドラキュラは生き血を吸い、フランケンシュタインは怪力で人を捻り潰す。

これが「西洋の恐怖」であり、

「いちま~い…にま~い……~……。いちまい足りないわ……」

とか、

亡くなった娘の部屋の押入れの中で、そっと髪の毛を伸ばす「お菊人形」

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こういうのが「日本の恐怖」なんである。

西洋の恐怖はものすごく「肉体」に根付いていて、日本の恐怖は「精神」に深く根付いているのがわかる。

もちろん例外もたくさんあるだろうけど、ホラー映画なんかのストーリーを見てもよく分かる。

「悪魔のいけにえ」と「貞子」の差である。

「西洋の恐怖」っていうのを化け物じゃなく人間に例えれば「マフィア」みたいな感じだったりするのに対し「日本の恐怖」のほうは絶対的に「岸田今日子」ということになる(笑)

(これも若いヤツにはわかんねーだろなぁ。。)

どちらも怖い(笑)

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僕的にはこの2つの恐怖というのは、実は全く別々のものだと考えていて、西洋のホラーによくありがちな、ヤバいシーンでいきなり「グワァァァァン!!」と爆音の不協和音が鳴ったり、首をチョン切られて画面に血しぶきが飛んだり、振り向くと内臓が垂れ下がったゾンビが追っかけてきたりするような、ハードコアなアクションの怖さっていうのは、実は案外たいしたことのない怖さだと思っている。

確かにセンセーショナルな画面や大音量の効果音がいきなり来るとビクッとはするが、その怖さは一瞬であり、「あぁ、びっくりしたぁ…」って感じ。

その後すぐにポップコーンを口に入れコーラが飲める。

それに引き換え、白塗りの岸田今日子さんが仏壇の前で着物姿で「ニタリ」と笑うような怖さってのは、格別だ。

(そんなシーンが実際あったかは知らんが、雰囲気で)

もう、意味もわからず内蔵がズーンと重い怖さ。

こういうのは下手をすると、家に帰っても食事が喉を通らないほどの精神ダメージを喰らう場合がある。

こういった「妙味」のある恐怖への感受性ってのは、きっと日本人独特のものなんではないかと思う。

岸田さんのそのシーンを、南米の人やアフリカの人に見せてもあまり怖がらない気がする。髪の伸びるお菊人形なんか見せても「これのどこが怖いの?髪が伸びて得したじゃない」と笑うかもしれない。

殆どの国では、怖さはあくまでも「死」との直結であり、それは「直接的な暴力」であって「雰囲気」とかそんな生やさしい希薄なものではないのだ。

だから、西洋ホラーの主人公たちは武器をとって化け物と血まみれのバトルを繰り広げる。

しかし日本の怪談では化け物を相手に剣や銃を取るという感覚はあまりない。

桃太郎や、ヤマタノオロチ、陰陽師みたいな化け物退治の話は、日本では「ホラー」ではなく「神話やおとぎ話」なのだ。


夕日に染まった日本家屋の仏間の雰囲気(BGMは、とおりゃんせ)、仏壇と線香の煙と着物を着た岸田今日子さんとの取り合わせ、あの手の顔の人がニヤリと笑った時のなんとも言えない虚ろな空気感。

ひゃぁぁぁぁ!!
怖い。。

そういうのは長い歴史が作り上げた日本文化の上に立たねば味わうことのできない「精妙なスリル」なのだと思う。僕ら日本人の意識の原風景の中には、DNA的にそれがしっかり根付いているのだ。

「日本は八百万の神に守られた霊的に安全な国である」ということを、みんながどこかで信じていることもあるのかもしれない。

暴力団は出るにしても、人々を殺しまくる悪霊が跋扈するような、霊の人間に対する派手な大虐殺などは、神々によってすでに封印されていて、幽霊なんかせいぜい一人か二人を呪い殺すか、「末代まで祟ってやる」ってなくらいのもので、化け物がチェンソーを持って直接関係のない多人数の首を斬りまくるとかいうようなスプラッターホラーなどはついぞ思い浮かばないのではないか。

これも僕の勝手な推測だが、日本人がこの手の怖さを感じる原因というのは結局「武家」の教育の名残であるような気がする。

戦国の武士たちは人殺しを生業として生きていくしかなかった。
しかし敵とはいえ、女、子供や、無抵抗な老人などを殺しまくって金品を強奪することは恨みを買うばかりで支配層から見てもよろしくない。

そこで武家ではこれから武士になる子供たちに、わかりやすく八百万の神の話や幽霊の話を用いて、敵をただ殲滅するだけでなく、

「武士には情けも必要」という教育をほどこして来たのではないか。

情けを捨てて自分本位に生きれば、神仏に見放され悪霊にとりつかれることになるから、肉体と精神を鍛錬し世のため人のため、なにより「お家のため」に真っ当な道を行けと。

そういう緻密な策略をし、未来永劫に渡って教育で子孫の遺伝子に深い恐怖が染み付くような品種改良を行ってきた「武家の支配層」こそ、お化けなんぞより結局は一番恐ろしいということなのかもしれない。

しかし、クソ暑い毎日。
少しは涼しくなったかな?

ならんか(笑)











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