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ヒーローになりたかった少年の唄2021③

ファンファーレよ永遠に


小学生の時、学校のブラスバンドにトランペットで参加していた。
「ボギー大佐」とか「ロッキーのテーマ」なんかを演奏した思い出がある。

どういう経緯でこのバンドに参加することになったのかは、よく憶えていない。
男の子のメンバーはほとんどいなかったから、女の子たちに近づきたくて参加したんだっけかな?

まぁ、こまっしゃくれたマセガキだったから、そんなことだったかも知れない。

トランペットという楽器にもそんなに思い入れはなかったし、演奏曲目も僕の好きなタイプの音楽ではなかった。

ぶっちゃけその頃からかなりの悪ガキだった僕は、先生たちからのおぼえが非常に悪く、顧問の女性教師からも、アイツがまた何か変なことをやらかさないかといつも警戒されていた。

一年に一度、静岡まつりという大きなお祭りで街中を練り歩きながらマーチングするのがこのバンドの数少ない本番であり、普段は地道に練習ばかりしている感じだった。

多動症の気のある僕はすぐに悪ふざけするので、真面目にやってる子達からも冷めた目で見られていたかもしれない。

合奏のパート分けをする時には、上手い子がAパートにつき、まぁまぁの子はBパート、下手くそがCパートにつくのが普通だった。

僕は意外と技術的にはそこそこできちゃうほうだったから、当然かっこいいAパートをやりたくて仕方ないわけだが、先生は必ず僕をCパートにした。

今思えば教育の一環として、我慢する力を養うために、敢えて悪ガキを裏方にまわしたのかもしれないが、当時の僕にとっては不当な扱いを受けたように感じて、いきおいイタズラもエスカレートした。

その度に、練習後一人残されて説教を食らう。

そんな時はいつも謝りもせず、ずっと不貞腐れた顔で先生を睨みつけていたので、先生としても手に負えない嫌な子供だったろう。

静岡まつりのステージが近づき、バンドのアンサンブルもまあまあ形になってきた。

Cパートの演奏は長い音符が多くて、簡単におぼえられるアレンジになっているので、僕は自分のパートをすぐ覚えてしまい、つまらないのでAパートの子に楽譜を借りて、Aパートの演奏もあらかた覚えてしまった。

練習の時には、先生がこちらを見てない時を見計らって内緒でAパートを吹いてみたりしていたが、これが意外にバレない。
第二次ベビーブーム世代なので、メンバーはたくさんいて、一人二人違うことをやっても、明らかに違う音を出さなければアンサンブルはそんなに崩れないのだ。

そのうち、それにも飽きてきた僕はいいことを思いついた。

メロディーとメロディーの間を縫って、カウンターメロディーを入れるとすごくカッコイイのだ。
いわゆるオブリガートというやつだ。

この練習は、みんなと合奏の時にやるとすぐバレる。
あきらかに楽譜にないメロディーを勝手に作って吹くわけで、先生にバレたらまたこっぴどく怒られるにちがいない。
でも、その演奏はめちゃくちゃ楽しいのだ。

僕は河原に行って一人で練習した。

カウンターメロディーも、色々考えてなんとなくサマになるやつを編み出した。

俺、かなりカッコイイやんか!

そして静岡まつりの本番当日、僕はマーチング演奏の最中にそれを決行した。

ロッキーのテーマの途中から、好き勝手にカウンターメロディーを大音量で吹き出したのだ。

先生はちょっと離れたところから行列についてきていた。

僕はまるでスタープレーヤーになった気で、気持ちよく楽譜にない自作のメロを吹きまくる。

そのうち、先生もおかしな音が混ざっていることに気が付いて、目を剥いたような顔をしながら行列の中に走り込んできて、僕は演奏の途中でサザエさんに出てくるカツオみたいに、首根っこを掴まれて退場させられた。

その後はやっぱり「和を乱すな!」と大説教の嵐。

しかし、怒られながらも僕は満足していた。
「音を楽しむことが音楽なのだ」という、僕の思想どおりに演奏したのだ。

そのステージがそのバンドでの僕の最後のステージになった。

今、色々な人にギターを教えていると「アドリブプレイが苦手なんです」という声が多い。
どうしたら伸び伸びとした演奏になるのかと聞かれるたびに、あの日のことを思い出す。

あの経験のおかげで僕はアドリブの得意なミュージシャンになったのだ。





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