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ヒーローになりたかった少年の唄2021㉑

ナマケモノが地球を救う

うちの母方の婆さまは、本を売るほどたくさん持っていて、その内容は今思えば非常に偏っていた。

普通の小説や随筆のような本もたくさんあったが、なぜか飛び抜けて充実していたのは宗教関連の本。

釈迦やキリスト、マホメットから、サイババや南米のシャーマン、ひふみ神示に大本教、統一教会からオウムまでと、かなりの守備範囲であった。

本好きな僕はガキの頃から暇があれば、この婆さまの蔵書を勝手に読みまくっていたので、かなり普通とは違う宗教観を持つようになってしまったのではないかと思う。

色々な本を読んできたが、その結果どの宗教がいいとかそういうのは今の僕には全くない。

それぞれの宗派の教義が、今の自分の魂の求めるものと合っているかどうかということなのだと思っている。

ある人にとって素晴らしい教えが、他の人にとっては恐ろしい悪の教えだということはよくあることだ。

しかし、どちらにせよ「信仰心」というものが、非常に人間にとって大切なものであるということは、どの本にも確実に書いてあることであって、それは僕も間違いのない事実だと思う。

日本には他の国と違って八百万の神の文化が根付いている。

今の日本では、国教は「なし」ということになってはいるものの、ほとんどの人は仏教、神道系だ。

キリスト教などの人もいるが、仏教、神道系の家系とはちがって、教えに対して敬虔な家系が多いから結構たくさんいるように見えるけど、実は数としてはそんなに多いわけではない。


仏教や神道には昔から亜流な新興宗教も含め、極めて多数の宗派があって、それぞれに教義も全く違うので、同じ集落に全く違う宗教観の人が混在して住むのが日本のデフォルトであって、市民のかなりの割合が同じ信仰を持つ天理市のような感じの街はかなり少ない。

極端に言えば昔から日本は「イワシの頭も信心」文化であって、何かの宗教を熱心にしているということはもうその時点で美徳であるという、世界ではかなり変わった国でもあるのだ。

統一教会やオウムの事件などをきっかけに、「新興宗教は怖い」というイメージは人々のアタマにこびり付いた。

しかしそれでも昔からある日蓮宗やら浄土宗やら真言宗やらを熱心に信心している人を、宗派が違うからと言って悪く言う人はあまりいないのが「日本」だ。

もちろんどの宗派でも上のほうの人間は、ちがう教義など絶対ダメという人が多いのだろうが、一般民衆の立ち位置では、それぞれがうまく共存し、そのことで喧嘩になったりすることはまず稀だといえるだろう。

大昔は神道をずっと守ってきた日本だが、仏教が中国から入ってきた時に、仏教を敵とみなして排除する方法を取らず、異国の宗教である仏教を大きな度量で受け入れ、元々の神道との融合を果たすという、これまた世界で類のない宗教進化を進めたのがこの「日本」という実に珍しい国なのだ。

しかし世界を見渡してみれば、かなり強権的に一つの宗教を守らせるスタンスの国は多く、それはイスラム教ばかりでは全然なくて、ホントに村単位で違う宗派を迫害したり、下手をすれば虐殺したりなどということが頻繁におきている。
宗教の名を借りた経済戦争や政治闘争なども当たり前に色々な国でおきている。

そう思うと日本はホントに平和で豊かな国なんだとつくづく思う。

そしてその大きな理由は、日本人が宗教をあまりに熱心には信心せず、「人生の指針」「いざというときのお守り」くらいの気持ちで軽~く信じていることなのではないかと思うのだ。

修行僧のような感じで日々を生きていたら、だらしのない他の人を見て憤りを感じたり、教義どおりでない組織や社会に対して大きな不満をいつも持つだろう。

しかし、自分もまだまだ坊さんのようには生きられない。
欲に目がくらんで失敗し、苦しい時だけは神頼み。
お賽銭をケチって願い事はしこたまする。
葬式の時だけなんとなくしおらしくなって、喉元過ぎたらまた熱さを忘れ煩悩ライフ。

ということで、教えに敬虔でない周りの人を見ても、責めるどころかまるで鏡で自分を見ているようなのだ。
喧嘩になりようがない。

国教として熱心に一神教を信じるような国の場合、例えば今のようなコロナワクチンなどについての考え方というのも、その宗派の考えに従って無理やり統合されていく場合が多い。

ある意味「法律」よりも「宗教的な圧力」のほうが力を持っている社会は少なくないのだ。



お金がちゃんと回っていない貧民が国の法律を破ることはある程度仕方ないが、宗派の掟を破ることだけは人間として絶対ダメという感じだ。
しかも下手すると石打ちの刑とかになるわけで、怖くて従わないわけにはいかない。

その点日本人はそれぞれの人間の考え方を尊重し、ワクチン推進派も、ワクチン否定派も、よほど偏ったタイプの人間以外は「考え方は違ってもみんなでうまく仲良くやっていこう」という基本理念の中にいる。

スピリチュアルの本によく「末法の世では日本が世界を救うことになる」という予言が書かれているが、それはきっと間違いないだろうと僕は思っている。

それは、日本人の多くが宗教に対して「ナマケモノの信者」であるから故なのではないかと思うのだ。












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