【読書メモ】夜と霧

ユダヤ人強制収容所に収容されて生還した精神科医フランクルの、その体験談を綴った一冊です。

世界中で読まれ、日本では大学の教材になるほどの本になった理由は、体験を通して得た人間の性質が記されているからです。

今、人生にモヤモヤを抱えているのであれば、間違いなくこの本をきっかけに人生への捉え方を変えることができると断言できます。

本書は収容、収容所生活、収容所から解放されて、の三遍から成ります。

いずれもフランクル自身が体験した壮絶な体験が延々と記述されますが、その中に彼が得た示唆が記されている箇所もあります。

以下はその示唆のピックアップです。

所内で仲間内に食料と物々交換することができる煙煙草を楽しみ始めた人は、生き延びることを捨て、楽しむということを選んでおり、事実そういう人は生き続けられなかった。

死ぬのなら最後に一服したいと考えている時点で、生きることを放棄している行動になるのです。

被収容者はショックの一段階から、第二段階である感動の消滅段階へと移行した。内面がじわじわと死死んでいったのだ。

被収容者は初日はその凄惨さに打ちひしがれ、周囲の痛ましさを見て目を逸らしたり絶望したりするが、数週間も継続して極限の状態に置かれると、感情が消え去るとのこと。

フランクルはこの強制収容所におけるありようを、無期限の暫定的存在と定義できる、としました。

この状態に陥ると、未来を見据えて存在することができません。

人は必ず未来を生きるために思考する生き物なので、この状態が続くと、精神が崩壊します。いわゆる、生きる屍と化します。

未来を挫くということは、人の生きる機能を失わせるのに効果テキメンで、実際にフランクルは、「X月X日に解放されるという夢を見た」と言い、それを夢のお告げだと信じた同僚が、実際にその日に解放されることはなく、信じた未来が打ち砕かれ、生きる気力を失い、その翌日に死んだのを見ました。

楽観し、未来へ希望を持ったものも、それが打ち砕かれた時に死へと向かうのです。

では、どう考えればいいのでしょうか。フランクルは幾つかの示唆を残しました。

脆弱な人間とは、内的なよりどころをもたない人間だ。
愛により、愛の中へと救われること!人は、この世にもはや何も残されていなくても、心の奥底で愛する人の面影に思いをこらせば、ほんのいっときにせよ至福の境地になれるということを、わたしは理解したのだ。
愛する妻が生きているのか死んでいるのかは、わからなくてもまったくどうでもいい。それはいっこうに、私の愛の、愛する妻への思いの、愛する妻の姿を心の中に見ることの妨げにはならなかった。

物質的、物理的、現実的な状況に一切関わらず、想像によって人は救われるのです。

精神と肉体は極めて連動するということも記載されていましたが、精神が救われることで、肉体もそれに呼応します。

ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ。

ユーモアも精神を救うためのツールで、自分を見失わないことで結果として生き延びることができる、ということです。

しかし、おおかたの被収容者の心を悩ませていたのは、収容所を生き凌ぐことができるかという問いでした。

夢に見る未来のために、どうしたら生きられるのか、そもそも生きることができるのか。

しかし、フランクルは逆の問いをしていました。

私たちを取り巻くこのすべての苦しみや死には意味があるのか、という問いです。

もしも無意味だとしたら、収容所を生き凌ぐことに意味などない。
抜け出せるかどうかに意味がある生など、その意味は偶然の僥倖に左右されるわけで、そんな生はもともと生きるに値しないのだから。

生きることはどんな苦しみや辛さがあろうとも、必ず意味のあることで、その意味を問うことこそ今するべきことだ、としています。

偶然に無意味かどうかを左右されてしまう問いなどクソ喰らえというわけです。

自分の持っている仕事や愛する人間に対する責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分がなぜ存在するかを知っているので、ほとんどあらゆるどのようににも耐えられるのだ。
自分が苦しみ、死ぬなら、代わりに愛する人間には苦しみに満ちた死を免れさせてほしい、と願ったのだ。
この男にとって、苦しむことも死ぬことも意味のないものではなく、犠牲としてのこよなく深い意味に満たされていた。

生きるか死ぬかではなく、今、ここにこうして存在することの意味を問うた人間のなんと強いことか。

そういった事例を圧倒的な説得力で述べています。

私は何のために生きるのか、ではなく、生きることで自分に期待していることは何かを問うべきだ。自分が生かされているのは、私にしかできないことがあるのではないか、を問うべきなのです。

あなたが経験したことは、この世のどんな力も奪えない。

持っている金品、身ぐるみ、身体的および精神的な自由、感情、人としての尊厳、、
ありとあらゆるものが奪われる強制収容所でさえ、経験したことは奪えなかったのです。

あなたが存在し、経験していることこそが、何より有意味なのです。

フランクルがその存在を通して伝えたことを有効に捉え、生ある限り、その意味を、問い続けませんか。

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