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(小説)池畔のダーザイン14 最終話

 本格的な秋というにはまだ早いが、少し気温が下がってきたその日の午後、多栄子はふっとおでんをつくろうという気になった。久しぶりに作ったせいか、作りすぎてしまったおでんの鍋をしばらく見つめていた多栄子は、あることを思いつき、すぐに行動に移した。
 さっと薄化粧をして、二階のクローゼットから蛍光黄緑色のロングスカートを出し、身につけた。スカートはすんなりと脚に馴染み、いつもは気になる不快な纏わりつきが、今日はなぜか心地いいと感じる。
 おでんを詰めたタッパを入れたポリ袋を持ち、つば広の帽子をかぶり、玄関を出た。多栄子の足は、迷うことなく小倉さんの家へ向かう。
 玄関ドアを開けた小倉さんは、そこに立つ多栄子を見て、一瞬驚いた様子だったが、すぐに言葉を吐き出した。
「今日は一張羅じゃなあ」
「これ、おでんです。よかったらどうぞ。冬には雪かきを手伝ってもらったり、お世話になってるから。ほんのお礼です。確か、大根とごぼう天がお好きと聞いたことがあったので……」
 言っている側から口を滑らせたと気付いたけれど、もう遅い。多栄子はろくに小倉さんの顔も見ずに、ポリ袋を投げるように玄関の床に置くと、身を翻し、外へ出た。スカートの裾越しに玄関の埃が舞い上がるのがわかった。
 冬に何度かある大雪の時、多栄子の家の玄関から道路までの雪かきを、小倉さんがボランティアで手伝ってくれるのは、本当に助かっている。いつも何かお礼をしたいと思っていた。
 どうして彼が手伝ってくれるのかはわからない。一方で多栄子には、彼が本当に雪かきをしたいのは、あの老婦人の家だとわかっている。けれどそれを老婦人が、というより老婦人の夫が許すはずもない。
 気付くと、池の近くまで歩いてきていた。鴨の声も聞こえる。多栄子は広場を抜け、池の畔に立った。正面には深い森の木々を越え、それを従えるようにして大山の頂きが見える。
 聞こえてくるのは、複数の鳥の声、流れるような風の音と木々が揺れざわめく音。池に流れ込む水流は、どうどうと響き迫力がある。車も通らず、犬の散歩にも早い時間なら、人工音はこの世界から消えてしまったと錯覚するかもしれない。
 そういえば、以前ここに立っていて、池に近づきすぎたせいか、勘違いされて、急に腕を引っ張られたことがあった。
 飛び込むわけがないではないか。こんな浅い池に。ずぶ濡れになったあげく、一張羅のスカートを泥まみれにするだけだ。
 彼女はどうして勘違いしたのだろう? 助けようとしてくれた。彼女が営むアンティークショップに初めて行った時、多栄子の蛍光黄緑色のスカートに、彼女は明らかに奇異の目を向けていた。奇人変人か、頭のおかしい婆さんとしか思わなかっただろう。そんな婆さんをどうして助けてくれたのだろう?
 小倉さんにしても、雪かきだけとはいえ、多栄子を助けてくれる。彼の手助けがなければ、多栄子は間違いなく酷い腰痛になり、冬は外出もままならなくなるだろう。
 人に交わらない、変わり者の多栄子を助けてくれる人がいるという事実は、多栄子を厳粛な気持ちにさせる。たった二人でも、人数の問題ではない。夫の死後、それほど寂しい思いをしていない多栄子とはいえ、心のどこかに不思議な安心感が宿る。
 日が少し陰り、池の水面の色味が濃くなっていった。日没にはまだ十分間がある。
 久しぶりに彼女の店に行ってみようか、と多栄子は思い立った。閉店時間まで三十分ぐらいはあるだろう。多栄子を見たら、彼女はどんな顔をするだろうか?
 歩き始めてすぐ、「あっ、忘れた」と多栄子は口に出した。マスクをしていない。マスクなしでは、彼女は入店を拒むだろうか? 今から家まで取りに戻れば、閉店時間に間に合わない。
 立ち止まってしばらく思案した後、多栄子は再び歩き出した。とにかく店まで行ってみよう。彼女がどう対応するか見てみたい、という悪戯まじりの好奇心もある。入店できようが、拒まれようが、多栄子はどちらでもいい。
                             (了)

 「池畔のダーザイン」をやっと完結させることができました。長かった。コロナ禍一年目に感じたあれこれを小説として書き留められないものかと、四苦八苦しながら辿り着きました。まだまだ足りていませんが……。
 コロナ禍関連で、プロの作家が書いたものを読みたいと思っても、少ないのが残念です。川上未映子「春のこわいもの」、絲山秋子「まっとうな人生」を読み、笙野頼子の「引きこもりてコロナ書く」をこれから読もうとしているところです。

 夏は暑すぎて頭も身体も働かないので、例によって夏の間はしばらくお休みします。秋に復活を目指しますが、未定です。
                          みちくさ創人
 
                                

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