映画『夕陽のあと』を観て思ったことメモ ※ネタバレはしてないはず。。

いま僕が住んでいる鹿児島県長島町を舞台にした映画『夕陽のあと』を観ました!
https://youtu.be/xLATp_iEIsY
それを観たあとのメモです。
ちなみに、全親(ぜんおや)に見てほしいと思ったので11月に東京に戻りがてら前売りチケット(400円引き!)持って行きます。欲しい方いたらコメントください!渡しに行くので!

¡¡メモ!!
◯タテとヨコの人間関係しかなかったおれの幼少期
◯響いたセリフ
◯おれの「お母さん」は1人だけなのか
◯「子育てがしやすい」とはどういうことか 「つながる」支援

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◯垂直と水平の人間関係しかなかったおれの幼少期

親とか兄弟とか、親戚とか、タテの関係はあり、同級生にも友達はいたからヨコの関係もあったけれど、年上・年下の友達とか、友達のお母さんとか、親の友達とか、遊んでくれる地域の大人とかとの「ナナメの関係」はあんまりなかったな。
でも今思うのは、ナナメにいる人って、タテとかヨコにいる人よりも、自分とバックグラウンドが違う→だから価値観や考え方が違う人が多いなと思っていて、そういうナナマー(nanameの人)と小さいうちから関わることで「違い」を乗り越えるコミュニケーション能力を鍛えられるんじゃないかな。
最近、自分は「相手を思いやる」とか「相手の気持ちを想像する」力がぽっかーんと欠落しているなということに気づいて、なおさらそう思った。

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◯響いたセリフ

「一度失敗を犯した人間にはもうチャンスは与えられないの?」
「みんななんでも持ってるじゃない! 夫、家族、仕事… 私が持ってないものを。」

これ抽象化したら毎日じぶんが思っていることだなと思った
うらやましかったんだなぁ、みんなが。

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◯おれの「お母さん」は1人だけなのか

子どもを産むことができなかった母
子どもを育てられなかった母
「ブリはみんなで子どもを育てるんだよ!」
いまの自分をつくってくれた人を「お母さん」と呼ぶとしたら、
今まで僕の周りにいてくれていた人、見守ってくれていた人、怒ってくれた人、優しい言葉をかけてくれた人はみんな「お母さん」なんだよなぁ

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◯「子育てがしやすい」とはどういうことか

家族/母親/父親/シングルマザー・ファザーが子育てをしやすいような支援をする、というのがふつうの考え方で、「子育ての第一義的責任は親にある」って「子ども・子育て支援法」にも書かれているわけだけど
子育てもやっぱり親と子だけの1対1の関係性だけじゃなくて、親戚、おとなりさん、子供会の人、通学路の見守りのおじさん、地域のスポーツクラブの友達のお母さん、、、みたいな人たち
たくさんの「保護者」との多方向的なつながりのなかで育つんだよな。
だから、子育て支援っていうのは子の親に対して狙い撃ちでするだけではなくて、その子を中心として何本もの矢印がうまれるようにしたほうが、社会的存在である人間にとっては、より「らしい」んじゃないかなぁ。
支援を提供する国や地方自治体はそういう矢印パラダイスのフィールドとなるために何ができるかを考えてもいいと思うし、保育所や学校やクラブチームはその矢印をの起点となる結びめを目指してもいいのかも。
個々人の「つながり」をいかに触媒するか、みたいな。
そうすることで、個人の「親力」を上げるんじゃなくて、地域全体としての「親力」を上げる、みたいな。

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