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なぜUXという言葉は広まったのか

2001年にデザイナーを目指すために会社を辞めるといったとき、ある先輩からは「その仕事儲かるの?」と言われ、上司には後悔しないかと何度も確認されました。でもそれは当然のことで、確かにその頃の多くの人の認識は「デザインはビジネスとは少し距離がある世界」でした。デザインは自分たちの仕事の延長上にあるものではなかったのです。

それと比べると、昨今のビジネスシーンにおけるデザインへの関心の高さには隔世の感を覚えます。事業課題としてデザインが議題にあがることは日常茶飯事です。経営者や事業責任者の口からデザインやUXという言葉が出ることは珍しくありません。先日拝見したある大規模システムのロードマップには「デザイン」というフェーズがしっかりと書き込まれていました。

もちろん人によってデザインの定義が違っていたり、広義のデザインと狭義のデザインが混在していたり、デザインに対する過剰な期待や誤解が含まれていたりすることはあります。それでも、ビジネスシーンにおける所謂デザインの地位はここ10年で確実に向上したといえるでしょう。それを後押しした要因の一つに、UXという言葉の存在があるのではないでしょうか。

新しい言葉を学ぶ際、辞書的な意味を知るだけでは十分ではないことも多いです。新しく広まった言葉をバズワードとして一刀両断に切り捨てることは気持ちいいことかもしれませんが、その言葉から学びを得る機会を失いもします。ある言葉が広まる時、その背景には必ず社会ニーズがあります。そして言葉には解釈の幅があり、肯定的意見と否定的意見が存在し、いずれの立場にも一理あったりします。このレベルまで突き詰めて考えると、その言葉を知る価値が生まれてきたりします。

UXもまさにそういった類の言葉です。社会ニーズ、解釈の幅、肯定的見解と否定的見解、それらすべてを知るところまで深堀すると、物事の見方が変わり、言葉を知る意義が生まれてきます。UXという言葉の存在理由、UXを学ぶことの価値、UXとUIと明確に区別することの必然性が見えてきます。

ビジネスシーンにおける「Experience」の存在は、90年代末の時点でそれなりに注目されていました。スティーブ・ジョブズは1997年のスピーチでCustomer Experienceについて言及しています。IDEOは1999年の高速鉄道プロジェクトでCustomer Journey Mapを披露しています。体験の経済的価値を改めて世に知ら占めたB.J.パインとJ.H.ギルモアのベストセラー『Experience Economy(邦題:経験経済)』の発売は1999年です。有名なUXの5階層モデルを提唱したJ.J.ギャレットの『The Element Of User Experience(邦題:ウェブ戦略としてのユーザーエクスペリエンス)』の原著は2000年刊行です。

しかし、ExperienceがUser ExperienceからUXへ表記変化し、デザイナーのみならずビジネスパーソンの間でも注目されるようになるのは、もう少し後のことです。例えばGoogle Trendsで「UX Design」の検索数の推移を調べてみると、2009年ごろから増えていることが分かります。

※「UX」という検索ワードはUser Experience以外の意味でも使われているようで、グラフの変化がハッキリしません。ここではデザイン文脈としてのUXがいつ頃からよく使われるようになったかを知りたいので「UX Design」での推移の変化に着目しています。

2010年前後からUXという言葉が加速的に普及しはじめたとすると、UXという言葉が広がった理由として、2010年当時の時代背景があると推察されます。その理由は単純明解なものではないでしょうが、様々な方の発言などをまとめると、以下の3つに集約されると私は考えています。

・市場の変化
・技術の変化
・失敗の反省

それぞれについて、もう少し突っ込んで考えてみます。

理由1:市場の変化

多くの学者やマーケターが様々な切り口で21世紀に入ってからの市場特性の変化に言及しています。中でも「モノ消費」と「コト消費」の話は、経済産業省の調査報告書を始め、頻繁に引用されている切り口です。

モノが未熟で十分に行き渡っていなかった時代は、競合よりも高機能な新製品を発売すれば人々の関心を惹くことができました。しかしモノが成熟してある程度行き渡った時代になると、人々は高機能なだけでは注目しなくなり、特別な体験にこそお金を出すようになりました。このような市場の変化があるから、プロダクトの内側(機能やUI)だけを考えていてはダメで、そのプロダクトの外側にあるUX全体を考えなくてはならなくなりました。

UXが求められる背景の説明としては、とても分かりやすいロジックです。

確かに近年はコト消費の側面が強い現象を多く見かけます。例えば「インスタ映え」と称し、友人に自慢するために何を買ったり参加したりする消費行動は、まさにコト消費の象徴と言えます。

実のところ、コト消費は近年始まった現象ではありません。昔から人はコトを消費していました。カラーテレビも全自動洗濯機もウォークマンもファミコンも、人は機能的価値だけを求めて買っていたわけではなく、そのモノによってもたらされる体験に価値を感じて買っていたはずです。

ただ、それら製品が登場した大量消費時代と現在で大きく違うのは、モノの成熟度です。モノが未熟だと機能的な革新だけでも良い体験に繋がります。例えばテレビは、白黒からカラーに進化するだけで驚きの体験を提供することができました。しかし画質が4Kから8Kに進化しても、多くの人は体験の違いを感じ取ることができません。

これはモノの成熟度の問題なので、現在でも機能的革新だけで良い体験に繋がることは起こりえます。例えば対話型AIは、自然言語を完全にマスターするという機能的進化だけで、今までとは全く違う体験を与えることができるようになるはずです。

とはいえ、全体的には、機能的進化だけで良質な体験に結びつけられる未成熟分野が減り、コト消費的な市場ニーズが高まっている傾向が確かあります。

つまり、成熟分野が増えて競合との機能競争の中で製品を進化されているだけではユーザーに喜ばれにくくなり、ユーザーの体験や感情に寄り添った製品(というよりもサービス)が求められるようになり、UXという考え方が注目されるに至った、という解釈は一理あると言えます。

理由2:技術の変化

前述のように、Google Trendsにおいては「UX Design」という検索キーワードは明らかに2010年ごろから伸びを見せていますが、その直前に起こったテック系の大きなトピックスといえば、多くの人がiPhoneの登場を思い出すことでしょう。

スマートフォン市場は2000年頃には既に勃興しており、BlackBerry等が市場を席巻していましたが、2007年に登場したiPhoneは製品コンセプト、アプリを入手するためのエコシステムを含めてそれまでのスマートフォンとは一線を画しており、爆発的に普及しました。iPhoneおよびそれに追随した競合製品によって人々の情報行動は大きく変わり、製品やサービスにおけるデザインの考え方も変わらざるを得なくなりました。

iPhoneタイプのスマートフォンがなかった時代、デスクトップPC上で起動するソフトウェアやアプリケーションは、当然ながら「PCを利用しているシーン」が前提としてデザインされていました。モバイルPCが登場して利用シーンはやや拡がりましたが、それでも、PCは椅子と机がある屋内で座りながら使うもの、という制約は変わりませんでした。

ところがスマートフォンにはこのような利用シーンの制約がありません。家族と会話しながら、歯を磨きながら、ベッドで横になりながら使うことができます。屋内である必要もありません。駅のホームでも、混雑した電車の中でも、雨の日に傘を差しながらでも使えます。このようにデバイスが利用シーンを特定しなくなったことで、そこに載るアプリケーションは機能だけでなく、使われる状況や前後の体験の流れを考えて設計しなくてはならなくなりました。

この影響を受けたのはソフトウェアやアプリケーションだけではありません。情報の接触機会が飛躍的に増えるということは、ブランド体験や広告の設計方法が大きく変わることを意味します。限られたチャネルの限られた接点でしか情報に触れることができなかったスマートフォン以前の単純な世界と、睡眠時間以外のすべての時間で情報と接触することができるようになったスマートフォン以後の複雑な世界では、マーケティング手法が大きく変わりました。

このようなスマートフォンを起爆剤とする人々の情報行動の変化によって、プロダクトやサービスを成功させるためにはUXをきちんと考えて戦略を練る必要がある、という認識に繋がったというのは、容易に想像できる理由です。

理由3:失敗の反省

最後の理由は、時代性とはあまり関係ないことかもしれません。単に、以前からずっと繰り返されてきたよくある失敗に対する解決策としてUXが注目を集めたという考え方です。

新たな製品やサービスを打ち出すとき、誰もが顧客に選択され、愛用され、多くの利益を生み出す姿を思い描くはずです。

にも関わらず、顧客の手元に届く紆余曲折の中で、顧客に愛されない製品やサービスに行きつく事態が発生します。押しつけがましい広告やタイミングを逸した出会いにより利用に至らないことも起こります。それというのも、企業は以下のような理由でユーザー不在の思考に陥りやすいためです。

・社内政治:経営層や事業部間のパワーバランスで歪められる
・技術的制約:DB構造などの技術的制約を優先し魅力を失う
・利益重視:短期的な利益に囚われてユーザーに不利益を押し付ける
・御用聞き:上司や顧客など力がある人物の意見がユーザーより優先される
・前例主義:状況の変化に気づかず、今までのやり方を安易に踏襲する

UXがこれらの企業内の本質的な問題を一掃するわけではありません。しかしUXというキャッチーな言葉だからこそ、経営者、事業責任者、営業、開発者など、非デザイナーが「ユーザーファースト」という価値観を共有するための錦の御旗になりえたのです。このような効果は「顧客体験」「ユーザー体験」といった以前から存在する言葉では難しかったでしょう。

確かに「UX」は辞書的な意味だけ見れば「ユーザー体験」とイコールです。これが「UXなんて昔からある言葉を大げさに言い換えただけの形骸だ」という批判に繋がります。しかし「ユーザー体験」という一般用語が「UX」という専門用語に言い換えられたからこそ、市場の中で新たな機能や役割が与えられ、広まったともいえるのではないでしょうか。

まとめ

まとめると、UXが浸透した裏側には、スマートフォンなどの影響もあっていかに高機能でも企業都合ではモノが売れない時代という背景があり、そんな時代における課題解決策・失敗回避策としてUXが期待されて広まった、というのが私なりの解釈です。

UXが普及した背景をこのように理解すると、例えばUIレベルの話をUXと言ってしまうことの問題点にも気が付くはずです。

UXがトレンドワードのようになってしまったことで、近年、特に「使いやすさ」のことをUXと言っている人をよく見かけます。自称UI/UXデザイナーでさえ、処理の高速化や画面レイアウトの変更といったUIのユーザビリティに関する話をUXと言っていることがあります。しかしながらUXをユーザビリティに置き換えても通じる話は、総じてUXではなくUIの話です。

UIをUXと捉えることがどうして問題なのでしょうか?

それはここまで説明した「プロダクトの内側のUIのことだけでなく、プロダクトの外側にあるUXのことも考えないとユーザーに使われない時代になっている」といった、UXが必要とされる前提を無視することになるからです。UIの話をUXと捉えて検討を進めることは、モノ消費時代、スマートフォン登場以前の時代の考え方に戻ることを意味します。

UXはUIの最上級ではありません。「体験」「インターフェース」と言い換えればそれぞれまったく別の概念とすぐにわかるでしょう。しかし同じように頭に「U」が付くアルファベット2文字で、デザインの文脈として使われるために、多くの人が混同してしまっています。これはユーザー体験がUXと言い換えられてしまったことの最大の弊害かもしれません。

このあたりの話を突き詰めていくと記事が長くなってしまうので、これは次回まとめたいと思います。

ひとまず本稿では、UXが広く使われるようになった理由について、私なりに解釈していることをまとめてみました。

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