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【こころが治るとはどういうことか】「理論対立から統合へ」(『心理療法の精神史』第8章)

創元社は、2023年5月8日に、山竹伸二著『叢書パルマコン・ミクロス04 心理療法の精神史』を刊行いたしました。
古代の呪術的治療から、精神分析、認知行動療法、ナラティヴ・セラピー、オープンダイアローグなど。最前線の心理療法までを俯瞰し、背景にある哲学・思想との関連から鮮やかに描き出した〈心の治療が持つ意味を再考する心理療法史〉です。
今回のnoteでは、本書の中から第8章の冒頭を公開いたします。心理療法をめぐる諸理論はなぜ対立するのか、心理療法にとって「エヴィデンス」とは何かなど、俯瞰的な視野からの議論が展開されています。
ご高覧いただけますと幸いです。
(*実際の書籍とは、ルビや注の表記に一部違いがあります。)

『心理療法の精神史』書影


理論対立の歴史

 現代における心理療法の代表的な潮流、学派の歴史について、深層心理学、実証科学、実存主義、関係論と構成主義など、背景にある思想、理論的枠組みを念頭において、それぞれの技法の誕生と展開を追ってきた。しかし、学派間の関係や相互の影響関係については、まだ不明瞭な点が少なくない。そこで本章では、思想や理論の異なった心理療法同士の関係、その違いと共通点を検討しつつ、心理療法の対立から統合へと向かう展開に迫ってみることにしよう。

 現代心理療法の発展期である二〇世紀後半は、それぞれの心理療法が批判し合いながら分裂を繰り返し、新しい心理療法が次々と生まれていた。その種類は膨大な数に増えながらも、長い間、共通原理が見出されることも、発展的な統合がなされることもなかった。

 自然科学の理論であれば、理論仮説は実験や観察によって検証され、証明できなかった仮説、あるいは証明不可能な仮説は洵汰され、正しいと証明された理論だけが生き残る。そうして、着実に発展の道を歩むのが普通である。近代の心理療法も科学的な証明を通して理論が精緻化され、より優れた心理療法が開発されていく、と信じられていたはずだ。やがて科学の力によって心理療法の理論対立も解消され、統一的な見解が生まれ、体系化されていくのだ、と。

 しかし、二〇世紀の心理療法の歴史を見る限り、そのように進展することはなかった。それも当然のことかもしれない。心理療法における理論対立の多くは、科学的な仮説の真偽を競う対立ではなく、思想や人間観の対立であったからだ。

 心理療法が患者の内面的な苦悩を対象としている以上、患者の主観的な価値観、意味の受け取り方を無視するわけにはいかない。そこには人間の存在様式に関わる実存的な問題が深く関わっている。ところが意味や価値の問題は、主観的なものだという理由から、科学では敬遠されてきた。少なくとも、自然科学では基本的に対象外となってきた領域であり、それゆえ心の治療を自然科学の観点から考えようとする人々は、心理療法に対して懐疑的な目を向けてきた。心理療法が人間の主観的な意味や価値の問題に関わる以上、その理論を科学的に実証するのは難しいように思えたからだ。

 一方、心理療法家たちの多くは、こうした批判に対して十分な答えを出せないまま、心理療法は科学に基づくべきだと考えている。精神分析を創始したフロイトも例外ではなく、自らの治療論、技法を科学の成果として捉えており、やがて科学的に実証される日がやって来るものだと信じていた。ところが二〇世紀の後半になると、一向に実証されない精神分析理論を批判し、より科学的な枠組みの重要性を主張する心理療法が登場した。それが実証科学を基盤とした行動療法である。

 行動療法の提唱者の一人であるアイゼンクは、精神分析を評して、「フロイトの科学的態度の完全欠如、ほとんど仮説にすぎない解釈への素朴な信仰、観察された事実の無視と黙殺、他の理論の可能性を考慮しないこと、批判者への軽蔑、自分に誤りがないというメシア的信仰(*1)」などと言いたい放題で、精神分析の非科学性を徹底的に批判している。

 また、行動療法の登場とほぼ同時期に誕生した来談者中心療法に対しても、行動療法家の批判は厳しいものであった。クライエントの主観性を重視する実存主義的な心理療法は、科学的客観性を重視する行動療法の立場からすれば、きわめて非科学的な理論のように見えたからだ。特に行動主義者のスキナーは、行動主義の考えを応用すれば、あらゆる行動の予測と制御が可能になると主張し、クライエントの主観を考える必要などない、という立場をとっていた。

 来談者中心療法のロジャーズはスキナーを批判し、そのような制御は恐るべき管理社会に行き着くと主張。「責任ある個人的選択は人間として存在するときに最も本質的な要素であり、それがサイコセラピィにおける核心的経験であり、科学的努力に先行しているものでもあるし、われわれの生活の中で科学と等しく重要な事実である(*2)」と述べている。実存主義的な立場に立つロジャーズにしてみれば、人間にとって最も重要であるはずの「自由な選択」が行動療法では無視され、すべての行動はコントロールが可能だというのだから、納得できないのも当然である。

 これに対してスキナーは、「私は科学の実践に、目標あるいはさきに価値の選択をする必要があるという考えにあまり賛成できない(*3)」と反論している。これはロジャーズ・スキナー論争と呼ばれた有名な議論だが、心理療法の理論対立を典型的に示したものだと言える。また、この議論は心理療法が自由を重視するのか社会適応を優先するのか、という問題を示している点で、近代の心理療法が徐々に自由に軸足を置くようになったことを示す議論としても象徴的なものであった。

 また、構成主義のセラビーも自由を重視しているが、この考え方も行動療法が依拠する実証科学とは相容れない。実証科学は客観的な現実を実験・観察を介して解明するものなので 客観的現実など存在しない、現実は構成されたものにすぎない、という構成主義の考えが受け容れられるはずはない(*4)。したがって 構成主義が広まりつつあると言っても、科学的な根拠(エヴィデンス)を重視する今日の心理臨床の世界において、認知行動療法ほどの影響力を持つことは難しいだろう。

 このように、多様な心理療法の学派は互いに自らの正当性を主張し、批判し合ってきた歴史がある。近代心理療法の歴史は、理論対立の歴史でもあったのだ。

『心理療法の精神史』第8章より


心理療法のエヴィデンス

 心理療法の理論対立を解消するにはどうすればよいのだろうか?

 この問いに答えるには、どの心理療法の理論が正しいのか、また、どの心理療法が最も効果があるのかを調べてみる必要がある。近代以前の心理療法であれば、宗教の教えや儀式と密接に結びつき、誰もがその効果を信じていれば、そこに問題が生じることはなかったかもしれない。しかし現代のように宗教への信仰が薄れ、価値観が多様化した社会では、また科学的な合理性が重視される時代にあっては、心理療法の理論や効果についてもまた、合理性という ふるいにかけられざるを得ない。

 だが、どの心理療法の理論が正しいのかを科学的に検証しようにも、その多くが反証不可能な仮説であるため、科学的な検証をすることが困難である。多くの心理療法の理論は科学的な理論とは言いがたいからこそ、理論対立はいつまでも決着がつかず、各々の心理療法は自らの正しさを主張し続けることができたのだ。

 ただし、心理療法の理論については検証できなくとも、治療効果についてはそうではない。ある心理療法を実施した場合に患者の状態がとれだけよくなったのか、他の心理療法を行った場合や何もしなかった場合と比較すれば、治療効果がどの程度あるのかを検証できるからだ。これは心理療法の「効果研究」と呼ばれており、近年、特に心理療法のエヴィデンスが重視される傾向にともなって、頻繁に行われるようになってきた。理論の科学的根拠は示せないが、効果の根拠は示すことができるため、もっぱらこれを心理療法のエヴィデンスと見なすようになったのである(*5)。

 この研究に先鞭をつけたのはアイゼンクである。彼が一九五二年に調査したところでは、なんと神経症者の三分の二は二年以内に自然治癒していた。また、精神分析を受けた患者は44%改善し、折衷的治療を受けた患者は64%が改善したのに比べ、自然治癒率は72%であった。つまり、精神分析その他の心理療法を受けた場合よりも、心理療法を受けなかった場合のほうが、治癒率が高いという結果が得られたことになる(*6)。心理療法など受けなくても、自然とよくなるのだとすれば、もはや心理療法に存在価値はない。これは心理療法家にとってはショッキングな結果と言えるだろう。

 しかし、この研究は調査の条件面で問題があり、その後、各方面から批判を受けている。そのため、アイゼンクは一九六〇年代に心理療法の効果を再度検証しているが、結果はやはり心理療法の効果に懐疑的なものであった。ただし、行動療法に関しては、精神分析や折衷的な心理療法より効果があったという結果が得られており、結局、行動療法以外の心理療法にはほとんど効果がない、という主張なのである。

 もっとも、彼は行動療法を世に広めた一人であり、その意味で先入観がないとは言えない。それに、当時、心理療法といえば精神分析が主流であったため、彼の批判はもっぱら精神分析に向けられていた。それだけ、当時の精神分析は大きな影響力を持っていたし、二〇世紀の後半、何百種類もの心理療法が生まれ、発展していったのも、精神分析の継承、批判を介してであった。

 ともあれ、アイゼンクの研究をきっかけに、心理療法家や精神科医、カンセラーたちの間で、「心理療法は本当に効果があるのか?」という議論、研究が行われるようになった。その際、セラピーを受けていない集団(統制群)についての比較も慎重になされたが、それは心理的問題が時間と共に軽減されていく傾向があるからだ。問題の改善(治癒)がセラピーとは無関係ではないことを確認する上で、この比較研究(ランダム化比較試験)は不可欠であった。

 こうして、心理療法の治療効果についての本格的な研究(「効果研究」)が開始され、過去半世紀にわたって数多の実証的研究が積み上げられてきた。しかもそれらの研究はアイゼンクとは異なり、心理療法には確かに治療効果がある、実際に役に立っている、という結果を示している。セラピーを受けた患者のほうが、受けなかった患者よりも明らかに効果が見られたのである。

 また、過去三〇年以上にわたり、何百ものメタ分析(複数の研究を多角的に比較、検討する分析)を行った結果、心理療法を受けた人の八割が、受けなかった人よりもよくなっており、カウンセリングやセラピーの効果は、内科的・外科的処置の平均的な効果よりも大きいこと、治療後に効果が持続する可能性は薬物療法よりも高いことがわかっている。

 無論、すべての心理療法に効果があるわけではないし、中には治療効果がないだけでなく、むしろ害悪をもたらすような心理療法もあるかもしれない。しかし、行動療法や認知療法、来談者中心療法、精神分析など、長年にわたって数多くの治療者が実践し、一定の信頼を得てきている心理療法に関しては、いずれも治療効果があるという結果が得られている。


【注】

1 H・J・アイゼンク『精神分析に別れを告げよう』宮内勝・中野明德・藤山直樹他訳、批評社、一九八八年、125頁
2 C・R・ロージァズ『人間論(ロージァズ全集12)』村山正治編訳、岩崎学術出版社、一九六七年、236頁
3 同前
4 理論的には相容れないはずだが、心理療法の実践という現場では許容されている面もある。すでに述べたように、実証科学を重視する認知行動療法家であってもマホーニーやマイケンバウムのように、構成主義の考え方が有効だと主張する者もいる。
5 心理療法のエヴィデンスと言えば、「効果のエヴィデンス」を意味するようになっているが、効果が実証されても理論の正当性が実証されたことにはならない。それは「理論のエヴィデンス」にはならないし、心理療法の理論に科学的な横拠があることにはならないのだ。この区別は大変重要であるはずだが、現在の心理臨床の世界では、理論のエヴィデンスが論じられることはほとんどない。
6 アイゼンクはこう述べている。「神経症患者の約三分の二が、たとえ心理療法的治療を受けようと受けまいと、発病後二年以内に回復、あるいは著しく改善することが示された。この成績は、治療された患者の種類,使用された治癒の判定基準、用いられた治療法とは無関係で、いくつかの研究を互いに比較してもおよそ差がないかのように見える」(H・J・アイゼンク『心理療法の効果』大原健士郎・清水信訳・誠信書房、一九六九年、77頁)


【目次】
はじめに
■第1部 心理療法史の全体像
◆第1章  古代から近代までの心理療法史
古代の呪術とシャーマニズム/原始的心理治療の共通性/儀式の生み出す象徴効果/寺院の医学と民間医学/哲学と精神修養技術/中世ヨーロッパの宗教的治療/悪魔祓いから催眠術へ/無意識の発見/ジャネの治療論
◆第2章 精神医学と臨床心理学の歴史
近代精神医学の夜明け/自由か、それとも社会への適応か?/身体論と心理論の対立/記述精神医学と現象学的精神病理学/身体療法の展開――インスリン療法、電気痙攣療法、ロボトミー手術/薬物療法と力動精神医学/臨床心理学の挑戦/心理療法の開発と新展開/理論対立の歴史/統合の時代へ向かうのか?

■第2部 現代心理療法の多様な展開
◆第3章 無意識へのアプローチ――精神分析の歴史
精神分析の誕生/フロイトの自己分析/無意識と不安の防衛/終わりある分析と終わりなき分析/精神分析の発展と晩年のフロイト/アドラーと個人心理学/ユングと分析心理学/新フロイト派――ホーナイ、サリヴァン
◆第4章 フロイト以後の精神分析
アンナ・フロイトとメラニー・クライン/対象関係論の展開――ビオン、ウィニコット/理論的統合と自己心理学――カーンバーグとコフート/間主観的アプローチと構成主義/関係精神分析の登場――広まる治療関係の重視/ラカン派の精神分析/精神分析はどこへ向かうのか?/「無意識の自覚」に治療効果はあるのか?
◆第5章 実証科学からの挑戦――認知行動療法の展開
二〇世紀後半の動向/認知行動的アプローチ/行動主義と学習理論/行動療法の誕生――アイゼンクとウォルピ/スキナーと強化の理論/心理学における認知革命/認知療法と行動療法の統合/新世代の認知行動療法――マインドフルネスの導入/変化か、それとも受容(アクセプタンス)か?/なぜ同じ思考と行動が繰り返されるのか?/構成主義と関係論の視点/認知行動療法は自由をもたらすのか?
◆第6章 実存を問う心理療法
実存主義的セラピーの登場/実存哲学の影響/カウンターカルチャーと人間性心理学/東洋思想とトランスパーソナル心理学/ロジャーズと来談者中心療法/フォーカシングと体験過程/パーソンセンタード・アプローチから感情焦点化療法へ/フランクルとロゴセラピー/人間性心理学の問題点/実存主義的セラピーの可能性――ハイデガー哲学からの再考
◆第7章 心理療法の最前線――家族療法から構成主義のセラピーへ
対人関係に焦点を当てた第四の潮流/家族療法とシステム論/コミュニケーション派の家族療法/広まる構成主義の影響/オープンダイアローグ/ナラティヴ・セラピー/家族関係か、治療関係か/ポストモダンの影響/構成主義的セラピーの問題点

■第3部 心理療法はどこへ向かうのか?
◆第8章 理論対立から統合へ
理論対立の歴史/心理療法のエヴィデンス/どの技法でも効果は同じなのか?/心理療法の共通要因/心理療法の統合への動向/人間像の違いがもたらすもの/人間性の本質とは?――現象学の視点から考える
◆第9章 心理療法とは何か?
なぜ「無意識」を解釈するのか?/精神分析の本質/「本当の自分」を発見するセラピー/認知行動療法に「気づき」は必要か?/なぜ関係論、構成主義が広まりつつあるのか?/自由に生きるための心理療法
◆第10章 現代社会と心理療法の未来
心理療法の歴史的な意味/パラダイムシフトを起こした精神分析/セラピストに権威は必要か?/近代社会に生じた「自由と承認の葛藤」/自由とは何か?――ヘーゲルの自由論/よい「治療関係」とは何か?/自由と承認の得られるセラピーへ/心理療法の未来

おわりに
人名索引


【著】山竹伸二(やまたけ・しんじ)
1965年、広島県生まれ。学術系出版社の編集者を経て、心理学、哲学の分野で批評活動を展開。評論家。同志社大学赤ちゃん学研究センター嘱託研究員、桜美林大学非常勤講師。現代社会における心の病と、心理療法の原理、および看護や保育、介護などのケアの原理について、現象学的な視点から捉え直す作業を続けている。おもな著書に『「認められたい」の正体』(講談社現代新書)、『「本当の自分」の現象学』(NHKブックス)、『不安時代を生きる哲学』(朝日新聞出版)、『本当にわかる哲学』(日本実業出版社)、『子育ての哲学』(ちくま新書)、『心理療法という謎』(河出ブックス)、『こころの病に挑んだ知の巨人』(ちくま新書)、『ひとはなぜ「認められたい」のか』(ちくま新書)、『共感の正体』(河出書房新社)など。
※著者紹介は書籍刊行時のものです。