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オダサク探訪③「それでも私は行く」の木屋町と三条河原町

森鴎外の小説タイトルにもなっている高瀬川

 さて、先斗町から薄暗い辻子を抜ければ、高瀬川の水音も耳にやさしい木屋町通りです。
 ここも道の両側に飲食店が立ち並ぶ繁華街ながら、高瀬川を挟んでいるためか、先斗町よりゆったり、しっとりした雰囲気を感じます。

立誠小学校前の端から。高瀬川沿いの通りが木屋町通り

 高瀬川沿いに二条通りから七条通を超えたところまで続く木屋町通りは、先斗町通りのすぐ西隣の通りとして、『それでも私は行く』作中でもひんぱんに登場します。
 とくに「高瀬川の架った紅屋橋の袂」のおしるこ屋「べにや」は、先斗町の芸者に人気の甘味処で、作中の人物もよく「べにや」で待ち合わせをしています。

作中に出てくる「紅屋橋」はこの「南車屋橋」のことだそう

 作中で「紅屋橋」と呼ばれているのは「南車屋橋」のこと。写真2枚目の立誠小学校跡からもう少し北に歩いたところにあります。

位置的にいうと河原町通りにあるBALの裏手です

「袂」というからには、左側の京うどん屋さんあたりでしょうか。小説には「この店のまわりは疎開跡の空地になっている」とありますが、このうどん屋さんの周囲も隣の建物が少し離れていて、空きスペースは小さな駐輪場になっているため、そうかもしれないと感じさせます。

 橋を渡ってまっすぐ抜けていくと河原町通りに出ます。ここを三条方面へ北上していくと、河原町通りと寺町通りを結ぶ六角通りが見えてきます。
この角の、現在Loftなどが入っている商業ビル minaが、元京宝劇場、敗戦後は進駐軍用映画館「KYOTO THEATER」だったところと思われます。

もと京宝劇場、進駐軍用映画館「KYOTO THEATER」は現在のmina

 この映画館の「電飾文字の灯りが、ピンク、ブルー、レモンイエローの三色に点滅して、河原町の夜空に瞬きはじめる」頃、小郷が君勇・鈴子・弓子をともなって出かけた「キャバレー歌舞伎」にも提灯が灯ります。
 キャバレー歌舞伎があったのは、当時の新聞広告に「旧京洛劇場」の文言があるため、六角通りに入ってもう少し歩いたところ、現在のホテルビスタあたりのようです。
 しかし、戦前に「もとアイススケート場だった」のは「京都劇場」という、河原町通りの東側(現在のクロスホテル京都のあたり)の映画館だったようで、このあたりが少しかみ合いません。

* * * 


 小説を片手に街歩きもできますよ、というアピールのために始めた企画ですが、現在の場所を確かめようと調べ始めると、おもいのほか没頭してしまいます。四条・三条河原町の周辺は比較的よく知っているつもりでしたが、70年以上前の記述と照らし合わせると、まだまだ未知のことばかり。
 次回は六角通りを抜けて、寺町通りに行ってみたいと思います。

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