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特攻文学としての《ゴジラ-1.0》|第17回|井上義和・坂元希美

(構成:坂元希美)

⑰ビミョーに特攻文学? 《ディープ・インパクト》


なぜか内容をよく覚えていない「彗星の地球衝突を回避する物語」

坂元 「まだまだある特攻文学映画」のラストとなる紹介映画は、《ディープ・インパクト》(1998年5月)です。監督はミミ・レダー、スティーヴン・スピルバーグが製作総指揮の大作で、なんと《アルマゲドン》(1998年7月)とテーマがド重なりしている上に公開されたのがほぼ同時期。本作の方がやや先でした。

 私は公開当時に映画館で観て、当時の理解では、「彗星が地球に衝突するという大災害パニックの中で、さまざまな立場の人たちが未来のために何かを為していく物語」だと認識していたので、特攻文学映画の候補として提案しました。地球滅亡が《アルマゲドン》よりも差し迫った状況で、人類全員が命懸けという壮絶な映画なのですが……。


井上 ぼくも昔、観たはずなのに内容がまったく記憶に残っていなかったんです。それで、今回坂元さんの提案を受けて、改めて観直してみたのですが、やっぱり記憶に残りにくい(笑)。同じ地球滅亡モノの《インデペンデンス・デイ》や《アルマゲドン》と混同しやすいというのはさておき、おそらく物語の軸がいくつもあって、全体の印象が薄れてしまうのでしょうね。それから、衝突に向けたカウントダウンとともに物語の情報量が多くなるので、前半の話を忘れてしまう。

坂元 そうなのですよね。地球滅亡がかかった大変シリアスな映画にもかかわらず、内容が覚えられないのはなぜか、という謎も解明できればと思います。

 そもそも主人公が誰なのかもよくわからない。誰を主人公と考えるかは、観る人によって違うかもしれません。重要人物をピックアップすると、以下の3人です。

  • 彗星を最初に発見した高校生、リオ・ビーダーマン(イライジャ・ウッド)

  • テレビ局の報道部でアンカー(キャスター)を目指しているジェニー・ラーナー

  • (ティア・リオニ)宇宙船メサイア号に搭乗するベテラン宇宙飛行士、スパージョン・“フィッシュ”・タナー(ロバート・デュヴァル)

 同じ状況下の3人それぞれのストーリーを重層的に盛り込んでいる感じです。物語の時制は「何年何月」という形では明示されないのですが、断片的な情報から推測すると、以下のような時系列になります。

  • 1998年5月、高校生のリオが彗星を発見。連絡を受けた天文台のウルフ博士は彗星が地球に向かっていることに気づくが、事故死によりその事実は1年間伏せられた。

  • 1999年夏(衝突まであと1年)、テレビ局勤務のジェニーがつかんだ「エリー(E.L.E.)」のスクープをきっかけに、彗星の地球衝突の可能性と衝突を回避するための「メサイア計画」を大統領が発表。2か月後に、宇宙船メサイア号発進(彗星へのアプローチまで9カ月近く宇宙空間に滞在したことになる)。

  • 2000年7月頃(衝突まで1か月)、宇宙船メサイア号による彗星爆破任務が失敗に終わり、巨大地下シェルター「ノアの方舟」への避難計画と戒厳令を大統領が発表。避難者の選抜が始まる。リオとサラ、結婚。
    2000年7~8月、「ノアの方舟」への避難者の選抜と移動。ジェニーの母親、自殺。

  • 2000年8月(衝突当日)、米ロの核ミサイルによる迎撃作戦が失敗に終わり、12時間後に小彗星(ビーダーマン)が大西洋ハッテラス岬沖に衝突、その3時間後に大彗星(ウルフ)がカナダ西部に衝突して地上の生物は全滅するだろうと大統領が発表。

  • (衝突まで10時間)メサイア号、大彗星に特攻することを決断。ジェニーは避難の権利を同僚母子に譲り父親のもとへ。リオはサラと赤ちゃん(サラの妹)を連れてバイクで逃げる。

  • 小彗星が大西洋に落下、アメリカ東部を大津波が襲う。ジェニーは父親と最期を迎え、リオとサラと赤ちゃんは生き残る。

  • メサイア号は地球と最後の交信の後、大彗星に特攻、核爆破に成功し、地球は滅亡をまぬがれる。

地球を救うミッションの失敗から始まる〈ベテラン宇宙飛行士のストーリー〉


坂元 やはり、特攻文学映画としては、まずはベテラン宇宙飛行士のフィッシュを軸とした、宇宙船メサイア号でのストーリーに注目するべきでしょう。アメリカとロシアの合同作戦「メサイア計画」は、宇宙船で彗星に着陸して核弾頭を埋め込んで爆発させ、地球に向かう彗星の軌道を逸らすというものです。

井上 《アルマゲドン》とよく似たミッションです。しかし、《アルマゲドン》と違い、《ディープ・インパクト》では彗星地表の掘削作業は十分な深度まで到達できませんでした。遠隔操作で核爆発は起こせたけれど、彗星は大小2つに割れただけで、地球に向かう軌道を変えることはできなかった。作戦は失敗です。さらにこの作戦中、医療担当1人が死亡、指揮官のオーレン(ロン・エルダード)も失明しました。地球との交信が途絶える中、ギリギリの燃料で「家(地球)に帰ろう」と地球を目指します。

坂元 仮に帰還できたとしても2つに分かれた彗星が衝突するので、地球が壊滅的な被害を受けることは避けられません。なので、クルーたちの空気はどんよりと沈んでいます。

 そういえば、観直したところ、忘れていたシーンがいくつもあるのに気づきました。たとえば、「メサイア計画」が始まる記念パーティーのシーンです。

井上 出発前、指揮官オーレンを中心に、若いクルーたちは意気軒高でした。クルーの身内を招待しての屋外パーティーでは、誰にどんな家族や恋人がいて、大切な人たちとどんな未来を思い描いているのかがわかるのですよね。臨月の妻がいるオーレンをはじめ、恋人に帰還したら結婚式を挙げようと約束する者、幼い娘と夫がいる者など、メサイア号特攻前の地球との最終交信への伏線となっています。

坂元 フィッシュの息子2人は父親と同じ海軍軍人で、そろってパーティーに来ていました。7度も宇宙へ行き、月面着陸の経験もあるフィッシュは、「毎回無事に帰還できたが、今度こそ帰還できないと思っても、お互い口にしない」と今は亡き妻と約束していたのだと息子たちに語ります。長い人生経験で宇宙での任務は常に死と隣り合わせあることを知っているのです。

 でも、他の若いクルーたちは自信満々。帰還できないとか、死ぬかもしれないということはまったく考えていない。「少しは怖がってくれればいいんだが」と、フィッシュは旧知のNASA職員にこぼしています。

井上 若いクルーは、フィッシュのことを「宣伝のために押し付けられたお飾り」と軽く扱っていましたね。ただ、フィッシュも「経験のない若い奴らには負けない」という気持ちが抑えられません。たぶん我が子にも上から目線で接していたんじゃないかな。パーティーではフィッシュばかりしゃべって、息子たちは押し黙っていました。

 こうしてフィッシュと若いクルーたちは、ギクシャクした関係のまま出発します。彼らのあいだに信頼関係ができてくるのは、皮肉なことに、メサイア計画の任務に失敗してからでした。もしも任務に成功していたら、両者の関係はギクシャクしたままだったでしょうね。

 とくに失敗の責任を誰よりも感じている指揮官オーレンの気持ちを、誰よりも理解して受け止めたのはフィッシュでした。つねに一番(the best)だった者の孤独は、同じように生きてきた者にしかわからないからです。こうして、失敗後にできた信頼関係が、最後、地球を救うためのフィッシュの提案に対して、全員が前向きに同意することにつながります。

 と、このメサイア計画の失敗までが映画の前半なんですよ。時間的にもちょうど半分です。

地球滅亡をスクープする〈バリキャリ独身女性のストーリー〉


坂元 次にテレビ局勤務のジェニーのストーリーを見ていきましょう。何年も取材やレポーターの下積みをしているにもかかわらず、目指すアンカー(メインキャスター)になかなかなれません。ですが、ある政府高官のスキャンダルを追ううちに、人類が滅亡の危機にあり、政府がその事実を隠したまま極秘裏に対策を進めていることを知る(と当局から思われてしまう)。

 大統領から直々に、「スクープ」を伏せておく代わりに、48時間後のホワイトハウスでの記者会見で最初の質問者に指名することを約束されて、急にキャリア上の夢が叶うことに。内容を誤解したまま追っていたスクープですが、報道人としてのプロ意識と上昇志向が、結果として、大統領会見を実現させました。
 プライベートでは、離婚した両親の板挟みになって苦労しています。大好きだった父親は自分と変わらぬ年頃の女と再婚するし、傷ついた母親の愚痴も聞かなければならないおひとり様。これは、仕事に打ち込むしかないだろうなあと思いますねえ。

井上 ジェニーには恋人もいないし、できる気配すらありません。要するに心の支えになってくれる人がいない。それで、仕事に打ち込むしかないのだけれど、なかなかキャリアアップにつながらない。すでにアンカーとして活躍している報道部の先輩ベス(ローラ・イネス)にキャリアについて相談するも、「あなたにはまだ早い」と軽く扱われていますね。

坂元 ベスは意地悪そうに描かれている部分もありますが、幼い娘を局の託児所に預けているので、シングルマザーのようです。両親が離婚しているジェニーは自分の生い立ちと重ね合わせてしまうのか、ベスに対して強い態度に出られないような感じがします。

井上 そこに人類の危機をスクープするという、大出世のチャンスが到来! ホワイトハウスの記者会見で特別待遇のジェニーを見て、テレビ局の同僚はみな驚き、両親はそれぞれ誇らしげにテレビの中の娘を見つめる。その後、局ではメサイア計画の報道番組のアンカーにジェニーを抜擢しました。

坂元 番組中、スタジオの後方に娘を抱いたベスがずっと映っているんですよ。2人の立場はすっかり逆転しました。


井上 メサイア計画の失敗がわかると、大統領はすぐに次なる2つの計画を発表します。ひとつは、地上から米ロの核ミサイルで迎撃して軌道を変えるタイタン計画。もうひとつが、衝突した場合に備える「ノアの方舟」計画で、大規模な地下シェルターに100万人を収容して2年間の避難生活を送り、「新世界再建」を目指すというもの。これは、希望であり絶望でもあります。なぜなら、命の選別によって国民に大きな分断をもたらすからです。

 他の国もそれぞれに生き残り策を講じることになります。日本の場合、「ノアの方舟」のような超法規的かつ大胆冷酷な政治判断は、たぶんできないのではないかと……。

坂元 コロナ禍初期のことを考えると、そんな気がしますよね。シェルターに避難できるのは、社会保障番号からコンピューターで無作為抽出した80万人と、「新世界再建」で必要となる専門家20万人。98年当時のアメリカは人口約2.7億人ですから、0.4%弱しか入れない。しかも、専門家集団以外の50歳以上の人は、原則として入れない。

井上 いやもうびっくり仰天ですよ。何しろ、唐突に「こういうこともあろうかと、実はシェルターを建設していました」「入れない人たちは、自分でなんとかしてね」という展開ですから。この重大すぎる事実が、2時間映画の1時間が経過した、「衝突まで1か月」の時点ではじめて明らかになるとは(笑)。

 メサイア計画までは《アルマゲドン》や《インデペンデンス・デイ》のように全人類が運命共同体でしたが、「ノアの方舟」計画以降は、いきなり命の選別によって人類は分断され、生き残りの権利をみんなが奪い合うパニック映画に転換しました。そういう映画だった!? と驚いてしまって、前半までの宇宙船ミッションのことが霞んでしまいました。

サイモン・ド・マイルによる『アララト山に到着したノアの方舟』

 でもポリティカル・フィクションとしては、非常に面白い設定です。政治的な駆け引きとか政策決定の過程とか、第4の主人公としての大統領(モーガン・フリーマン)を、もうちょっと丁寧に描いてほしかったですね。
 最初のほうでジェニーが不倫スキャンダルで辞めたと勘違いした政府高官も、じつは「ノアの方舟」計画をめぐる意見の相違が背景にあったことが理解できます。元政府高官への突撃取材のシーンを観返してみると、クルーザーに大量の荷物を積み込んで「私は家族といたかったのだ」と深刻な表情で言っているのですよね。国民を分断するシェルターではなく、家族とともに自主避難する道を選んだということです。

坂元 ジェニーは、その後FBIに連行された施設にも、元高官のクルーザーで見たのと同じ「完全バランス栄養食」の缶詰がどっさり備蓄されていたことに気付いて、並々ならぬ非常事態が発生していることに気付いたのでした。

 私、初めてこの映画を見た当時は30歳くらいだったから何も思わなかったのですが、今はもうシェルターに入れないんですよねえ。

井上 社会学者もダメでしょうねえ(笑)。いや、「ノアの方舟」の設計思想でいえば、「役に立つ」研究者だけではなく、新世界再建のために「多様な分野」を保存するために幅広い分野から少数ずつ集めるのかな。……などと、専門家枠に入れる研究者がどんな分野でそれを誰が決めるのか、ついつい考えてしまいますね。

 定員制シェルターというのはSFではありがちな設定だと思いますが、それなら最初からそういう世界観を見せてほしかったです。そうすれば個々のドラマもわかりやすくなるし、心の準備もできるから安心して映画を観ていられたのに。

坂元 ジェニーの母親は60代で生き残れないことが確定。家にあった18世紀の絵画や銀細工といった美術品を未来の人類のためにシェルターへ寄付して「私も何かを守った気になった」「あなたが助かれば私は嬉しいの」とジェニーに言います。そして、美しく着飾って、自殺した。このあたり、2022年に公開された日本の映画《PLAN 75》を思い浮かべてしまいます。

井上 高齢者の自殺が続出していることが仄めかされますが、無理もないでしょう。アメリカ全土に戒厳令が敷かれて軍や州兵や警察が治安維持に当たるものの、暴動や略奪、放火が多発して、まさに大パニックです。

坂元 人生の残り時間を突きつけられたときの人間の絶望、恐怖って大変なものなのですからね……。

井上 はい。人心が荒廃していく様子を見るのは、非常につらい気持ちになります。

 連載の読者は、生き残りの負い目(サバイバーズ・ギルト)という言葉を覚えておられると思います。仮に「ノアの方舟」で100万人が生き延びたとして、この命の選別と混乱の記憶は深刻なトラウマとして残り続けるでしょう。(連載第5回参照)

 新世界の再建には、物理的な復興はもちろんですが、それだけでなく、精神的な意味での「祖国立ち上げのやり直し」が必要になるはずです。そのときのために、やはり専門家枠には何とかして入っておきたい……(笑)。

祭り上げられてしまった〈少年のストーリー〉


坂元 この映画は、高校生のリオ・ビーダーマンが偶然、彗星を見つけたところから始まります。ガールフレンドのサラ(リーリー・ソビエスキー)とイチャイチャしながら天体観測をしていたときに見つけた謎の天体を天文台のウルフ博士に確認したところ、未知の彗星であること、軌道上に地球があることがわかる。が、博士は事故死して世間に知られることはなく、パニックを恐れる政府は彗星のことを隠蔽しました。ジェニーのスクープによって存在が明らかになったとき、発見者2人の名を冠して〈ウルフ=ビーダーマン彗星〉と名付けられます。

井上 大統領会見のあと、リオは彗星の第一発見者として、一躍有名人になります。でも、彼の主人公らしい活躍は、後半のノアの方舟計画からです。リオは専門家枠でシェルターに入る権利を得て、家族である両親と妹も入れることになります。でも、サラとその家族は抽選次第。そこでサラと急いで結婚して家族になり、一緒に避難できることになる。

 彼らの住むバージニア州では、1998年当時、親の同意があれば中学生の年齢から結婚できたのです(その後18歳に引き上げられる)。

坂元 専門家枠といっても、リオの場合は、たまたま彗星の発見者というだけで他に何の学問的業績もなく、まだ大学にすら進学していない。ラッキーで手に入れた特権で、本人も有名人になったくらいの認識しかない。

 だからシェルターに避難する際も、「僕は有名人だから何とか頼み込むよ」と無邪気に言っていましたが、実際に入れるのは配偶者のサラだけで、サラの家族までは無理です。いざ、シェルター行きのバスが迎えにきたとき、サラは「自分の家族と離れたくない」と残り、バスに乗ったリオとは離れ離れになります。

井上 高校生とはいえ、まだ子どもだからね。サラの両親はお前だけでも生きのびてくれとバスに押し込もうとするのですが。

坂元 リオの家族は一家全員が助かることが確定していたので、安泰な雰囲気です。父親が「なんとかするよ」とサラたちに言うんだけど、そんな保証はまったくない。シェルターには入れる特権がある側の安心感というか、優越感がかすかに感じられるような……。あの2つの家族の間に起こった分断はまさに悲劇ですし、あらゆるところで発生していたでしょう。

井上 もし、リオが一般人としてクジに外れてサラと赤ちゃんと一緒に逃げたとしても、結論は一緒だったでしょう。もしかしたら、より遠くに逃げられたかもしれない。

坂元 運よく特権枠が与えられてしまったがゆえに、サラの両親に希望を抱かせてしまったり、別離を味わわせたりという悲劇が生まれたとも考えられますね。

 ちなみにですが、たとえば、井上家で井上さんか奥さんが専門家として選ばれたら全員がシェルターに避難できますけれど、そうでなかったら両親は年齢制限で入れない、子どもたちはIDで抽出されたら生き残れる。外れたら、家族全員が一緒にいられるけれど死ぬ可能性が高い――かなりのディストピアじゃないですか、これ。

井上 ディストピアだよー! ……って、いやちょっと待って下さい。

 われわれは、特攻文学でいったい何を学んできたのですか。命の選別を前にしたら、もう腹を括った方がいいですね。生き残る人たちに命のタスキをつなぐ方法、つまり未来の地球を託すための命の使い方を考えましょう。

 さきほどは、ついつい専門家枠にしがみついてしまいましたが、もし生き残る権利を手にしたとしても、自分より若くて優秀な研究者に譲って、未来の祖国再建を託す。それが命のタスキをつなぐということでしょう。そして、「あとは頼んだぞ」と笑顔で「ノアの方舟」に送り出す——というのが特攻文学的には理想です。
 現実は、せめて子どもだけでも……となりふり構わずジタバタすると思いますが(笑)。

 後半のパニックと選別の世界は、《タイタニック》(1997年、ジェームズ・キャメロン監督)を思わせます。豪華客船の世界は階級社会の縮図で、救命ボートの定員が乗客の数に足りていなかったので、命が助かる確率も階級に比例している。特権階級のローズ(ケイト・ウィンスレット)は救命ボートに乗ることができたのに、貧しい青年ジャック(リオナルド・ディカプリオ)と一緒にいることを選んでタイタニック号に残る。

 《タイタニック》では、パニック状態の中で、さまざまな人たちの「命の使い方」が垣間見られました。あえて船に残る人たちもいたし、沈みながら最後まで演奏する楽団もいました。

坂元 そうでしたね。《ディープ・インパクト》でもシェルターの入口は選ばれなかった人で溢れ、まるで芥川龍之介の『蜘蛛の糸』状態でした。リオは「やっぱりサラのところに行く」と引き返しますが、それは特権を手放してでも、本当に大事な人と一緒にいようとした《タイタニック》のローズと同じ感情だったのかもしれません。

 街に戻ったリオがサラの家に駆けつけると、一家は車で去った後。彼らを追って、オフロードバイクで走り出し、ようやくサラと再会できたのは、小惑星が地球に衝突する直前でした。2人はサラの両親から赤ちゃん(妹)を託され、大津波が迫るなか必死に高台を目指して駆け上がります。

その頃、メサイア号では「特攻作戦」が!


井上 その頃、メサイア号ではフィッシュが残りの核弾頭を起動させ、大彗星にあいた穴に宇宙船ごと突っ込んで爆破する「特攻」を提案します。たとえわずかでも、地球の未来を守る可能性に賭けてみないか、と。当初の任務に失敗した後も、フィッシュは地球を救う手立てや自分たちの命の使い方をずっと考えていて、ギリギリのタイミングでみんなに提案するのですよね。

坂元 それを考えていたのは、フィッシュだけではないのかもしれません。先ほど井上さんが、任務に失敗する前と後で、フィッシュと若いクルーたちの関係性が変化したとおっしゃいましたよね。それに付け加えると、失敗する前はみな「与えられた任務を誰がどれだけ上手く実行できるか」を意識して競い合う関係にあった。与えられた任務に失敗した後は、任務より大きな使命(地球を救う)のために何ができるかをともに考える関係になった、つまりワンチームになった、ということではないですか。

 ということは、宇宙船のなかの空気は沈んでいるように見えるけれど、「任務を超えた自由意志としてのbrave」が静かにみなぎってきた、ということではないかと……。

井上 あーなるほど! うまくbraveにつなげていただきました。任務に失敗したからこそ、任務を超えた使命に目覚めた、と。これまで検討してきた他の特攻文学映画では、braveを発揮するのはたいてい一人でしたが、《ディープ・インパクト》の場合、チームとしてbraveを発揮するという意味で珍しい作品といえるかもしれません。(連載第11回参照)

坂元 はい。そして、死を覚悟したときは、未来が見えたときでもある。メサイア号が特攻する前に、地球との最後の交信で、画面越しに家族に別れを告げるシーンは感動的です。とくに失明したオーレンに息子が誕生していて、でも自分の目が見えないことは妻に伝えず、同僚に画面の様子を教えてもらいながら幼い息子に向って「かっこいいロケットだな」とか「お母さんを頼むぞ」と言うところは、ぐっときましたよ。

井上 失明の事実はもちろん、悲しみや恐怖といった本音も押し隠して、妻子の記憶には「笑顔の頼もしい夫、父親」としての自分を残したい。その気持ちが泣かせますね。

 さらに、オーレンの妻は、息子にはあなたと同じ名前(オーレン)をつけた、と言っていました。あなたの命のタスキはしっかり受け取った、というメッセージです。まさに死を覚悟したときは、未来が見えたときであり、そして「父になる」とき、ですね。

坂元 命のタスキで思い出しましたが、《タイタニック》では、タイタニック号が沈没して海に投げ出されて、ジャックはローズを生かすために自分が冷たい海に入って死んでしまいます。その前に「子どもをたくさん産めよ」とローズに言って、未来を託しました。ローズはジャックの姓「ドーソン」を名乗ってアメリカに根を張り、たくさんの子孫に囲まれて長生きをした。

井上 もちろん、その筆頭には、氷山に衝突する直前の船内でジャックと結ばれたときの子がいたはずです。ローズは、ジャックから命のタスキを受け取り、しっかりと未来につないだのですね。その意味で、ジャックは父になっている。

 それで思い出しましたが、山崎貴監督の《SPACE BATTLESHIP ヤマト》で、最後に特攻を決意した古代進が森雪を生かして未来を託したのと同じで、古代も死んだ後に父になった。だから、《タイタニック》も特攻文学映画に共通の感動の構造をもっている!

坂元 《ディープ・インパクト》のメサイア号が特攻直前に地球と交信するシーンに話を戻します。他のクルーがそれぞれ家族に別れを告げる中、フィッシュは息子たちが軍人で治安維持の任務中だから最後の別れができません。伏線としては、「今度こそ帰還できないと思っても、それは口にしない」という妻との約束通りですけれど。

 結局、お互いの状態を知らないまま、任務中の息子たちに会えないことを誇りに思いつつ、「もうじき会いに行くよ」と妻に言って彗星に突っ込んでいく……。

井上 フィッシュだけ家族とお別れができなかったのですが、船長=指揮官としての役割を冷静に果たしました。まず、地球上でメサイア計画を担当する旧知の職員に大彗星への特攻作戦を伝えました。核弾頭を起爆させるために必要というだけでなく、作戦が成功した暁にはクルーたちの名誉とその家族の生活を確実に保障するうえでも、重要な伝達です。それから若いクルーたちが家族とお別れする機会をつくりました。自分の息子たちには、これまでも宇宙での任務のたびに未帰還の可能性を言って聞かせていたから、きっとわかってくれるだろうという信頼もあったでしょう。

 若いクルーを率いるフィッシュの貫禄は、1960年代の特攻隊映画のスター・鶴田浩二を思い起こさせます。鶴田浩二の役どころは、若い特攻隊員たちを率いる歴戦の隊長です。鶴田隊長も、自分の妻子との別れもそこそこに、迷い悩む部下たちの心の拠り所となり、最後まで彼らを守りながら、死出の旅を先導するという任侠ぶりを発揮します(『特攻文学論』第4章)。

 だから、宇宙船メサイア号を軸にすれば、《ディープ・インパクト》は特攻文学映画として立派に成立しています。冒頭で《アルマゲドン》と似ている、などと失礼なことを言いましたが、クルー一人ひとりのドラマを重ねた厚みはこちらのほうがあります。

 ただ、だから余計に、限られた時間に多くを詰め込みすぎたために、一人ひとりのドラマが薄まってしまい、もったいないなあと思ってしまうわけです。最初に映画を観たときは、おそらく個別の重要な設定やエピソードが消化できないまま、終わってしまう。ぼくは、三度くらい観て、ようやくわかってきました(笑)。

感動に浸ることが許されない、この設定!


坂元 さて、リオたちは、小彗星衝突による大津波からなんとか逃げ延びることができました。メサイア号の特攻によって粉々になった大彗星のカケラが空一面に降り注ぐのを3人で仰ぎ見て、ああ助かったんだ……と思うけれど、私としてはぜんぜんホッとできないんですよ。リオは、否応なく父親としての人生が始まってしまうとか思っちゃって。

 赤ちゃんを託されたら、もうそのカップルは離れられなくなりますよね。子どもを育てる運命共同体になってしまうのに、まだ高校生だと苦労する未来しか浮かばない。

井上 確かに、家族を守る父親の覚悟を決めるには、ちょっと若すぎますよね。これから過酷な復興期を生き延びていくときに、高校生とはいえ2人だけだったら何とかなるかもしれない。でも、赤ちゃんがいたらどうか。津波で破壊された街には保育所なんてないだろうから、共働きは難しいかなとか、学校も通えなくなるんだろうなとか、いろいろ心配しちゃうんですよね。

坂元 保護者目線で見てしまいます。まあ、シェルターで助かったリオの家族と合流できれば、何とかなるのかもしれませんが。サラの両親は大津波で亡くなったでしょうから、みな、サバイバーズ・ギルトを抱えながら「災後」を生き抜かねばなりません。

 なんとも後味が悪いのですけれど、戦争での焼け野原や、大災害の後はそういうものかなあと思っちゃいます。《ゴジラ-1.0》のように、そこから始まる物語もあるのでしょうけれども(連載第6回参照)

井上 後味が悪いといえば、先ほど第4の主人公になりうると言った大統領です。映画の最後は、復興に向けた大統領演説なのですよね。あの大統領は「ノアの方舟」に避難したのでしょう。

 しかし、国民の0.4%弱を救う「ノアの方舟」計画の最高責任者は、彗星衝突時には99.6%の国民とともにあるべきだと思うのですが、どうでしょう。仮に「ノアの方舟」で助かったとしても、99.6%を犠牲にする政策の責任をとって辞任し、復興は次の大統領(が決まるまでの大統領代行)に委ねるべきではないかと……。

坂元 第二次世界大戦中に、空爆に晒されるロンドンに留まったジョージ6世夫妻のように、国民と苦難を共にするリーダーは絶大な信頼を得るものですよね。

英空軍兵士を激励するジョージ6世国王夫妻とエリザベス王女
(1942年から1945年頃)

 ウルフ=ビーダーマン彗星の発見当時から、アメリカ政府は国民がパニックを起こさないようにかなりの情報統制をしていました。そのぶん、対策についてはお金も時間もかけてしっかりやったけれど、ほぼ全てにおいて失敗した。失敗は仕方ないとしても、その場合はどうするということを国民に伝えておらず、大事な情報を小出しに発表していくのだから、かえってパニックが大きくなったのではないか。そんな政府がどうやって復興を担っていくのかと感じますけれど、大統領は「私たちの惑星は、私たちの故郷(home)なのです」と、やってやりました的なスピーチをしている。

井上 やはり、ここは素直に感動するわけにはいかないですね(笑)。

特攻文学要素はありつつ、実は「試される親子関係」の物語


坂元 衝突の当日、ジェニーはどうしていたかというと、すでに専門家枠でシェルターに入る権利があり、同僚たちがヘリに乗るためのクジを引いている間、いても立ってもいられないという様子でした。ベス親子がハズレを引いて職場の託児所に留まるのを見て、娘を奪って屋上へ向かい、2人をヘリに押し込んで生き残る権利を親子に譲ります。これはジェニーの自発的な行動で、特攻文学的なものではないでしょうか。

13世紀ビザンチン式モザイク画より、大洪水で溺れる人類。

井上 確かに、生き残れたのに、あえて身代わりとなって死地に赴くジェニーの行動は《アルマゲドン》のハリー、《永遠の0》の宮部久蔵と重なります。そして、ベス親子を生かす代わりに、自分は父親と和解して、親子で最期を迎える覚悟を決めました。

 ただ、ここに「未来のため」という要素がどれだけあったのかについては、議論の余地があります。ハリーも宮部も、「大切な人(の未来)を守るためにこそ身代わりになる」という逆説がありました。しかし、ジェニーにとって、ベス親子とはそこまで思い入れのある関係ではなかったはずです。

坂元 母親が自殺した後、父親に向かって「私はもう孤児になったのよ!」と言い放ちましたよね。ベスの娘はジェニーが連れて行ってもよかったのかもしれませんが、そうすると彼女は本当の孤児になってしまう。そのことに耐えられなかったからこそ、ベスを押し込んだのだろうし、父と和解して親子として最期を迎えることを選んだのでしょう。

 だとすれば、未来のために命を捧げたというよりは、2組の親子の絆を守ることを自分の生き方として選び取ったということかもしれません。

井上 そうですね。ベス親子に、自分と父親の関係をやり直したい願望を投影していたとしたら、あの身代わり行動は、「未来のため」というよりは「自分のため」になります。特攻文学というには、ちょっと自己救済的な意味合いが強くなるような気がします。

坂元 命の選別が始まる映画の後半からは、親子関係が試されている――そう考えると、《ディープ・インパクト》は、親子/家族のドラマが主軸なのかもしれませんね。日本人的な感覚だと、「子どもだけでも助かるなら自分はどうなってもいい」と思いがちなんですが、実は葛藤と悲劇が渦巻くドラマになる。

 だから、それぞれのストーリーで親子関係のあり方を考えたくなったりするんでしょうね。よく言えば、考えさせる映画ということでしょうか。観客が感動したり、泣けたりしたとして、それは何に対する感動の涙でしたか? という感じがします。

井上 逆にいえば、観客の多様な感動のツボに合わせて、泣き所もたくさん用意しました、ということでしょう。それにしても、「試される親子関係」が何組も登場するのは、さすがに欲張りすぎです。それなら、2時間映画ではなくて、連続ドラマシリーズでやってほしいですね。そういうリメイクなら全然アリだと思います。

『白鯨』はアメリカ的特攻文学の象徴だった!?


坂元 今回、《タイタニック》が特攻映画ではないかという説が偶然出てきましたが、《グラン・トリノ》(2008年、監督・プロデューサー・主演はクリント・イーストウッド)や、《007/ノー・タイム・トゥ・ダイ》(2021年、キャリー・ジョージ・フクナガ監督)などもバッチリはまりそうです。そう思うと、何気なく感動しているエンターテインメント作品にも、特攻文学的な感動の構造があるのだなと実感します。

2011年『J・エドガー』プレミア上映でのクリント・イーストウッド

 まあ、《ディープ・インパクト》の中で失明したオーレンにフィッシュが『白鯨』を読み聞かせるとき、オーレンは「僕らは映画で育ったから」と言っているんですけどねえ。

井上 むしろ、限られた時間で確実にカタルシスに持っていく大衆娯楽映画においてこそ、特攻文学的な感動の構造を反復しやすいというべきでしょうね。

 おっしゃるように、そういう映画作品は他にもたくさんあって、読者のみなさんも「これも当てはまるのでは」という作品があろうかと思いますが、連載としてはここで一区切りとしたいと思います。ちなみにクリント・イースウッド主演・監督作品といえば、《スペース・カウボーイ》(2000年)が、やはり宇宙を舞台にした作品です。大学なら、授業で扱わなかった作品をひとつ取り上げて、特攻文学の観点から分析しなさいと期末レポート課題に出したいところです。

 ついでながら、あの『白鯨』は、オーレンとフィッシュの距離を縮める――そしてメサイア号特攻の伏線となる――重要なアイテムだったと思います。

『白鯨』原書(1892年刊)のイラスト。Augustus Burnham Shute (1851–1906)

 メルヴィルの長編小説『白鯨(Moby-Dick; or, The Whale)』は19世紀半ばに書かれたアメリカの有名な古典文学なので、映画世代のオーレンも、あらすじぐらいは知っているはず。白鯨と、それに片足を食いちぎられ復讐心に燃える捕鯨船の老船長との壮絶な戦いの物語です。まさかフィッシュがこんな古臭い小説を最新鋭の宇宙船に持ち込んでいたとは、とオーレンはあきれていましたが、おそらく後から、自分たちにとってこの古臭い小説がもつ意味がわかってくる。

 老船長は最後、白鯨の腹に銛を突き刺して、自分も海に引きずり込まれて消えるのですよ。なぜかアメリカ人はこの物語が大好きなのです。フィッシュも愛読書だったから、たまたま持ち込み、オーレンを慰めるために、たまたま読み聞かせたのかもしれない。でも、オーレンとフィッシュは、地球に向かう大彗星こそが自分たちの白鯨であることに気づき、思いを同じくしていくことになります。とくに任務中に視力を奪われたオーレンにとって、白鯨に片足を奪われた老船長は自らを重ねやすかったでしょうね。

坂元 確かに! 『白鯨』は老船長が白鯨との相討ちで復讐を果たす物語なので、ジェニーのような自己救済的な意味合いも感じられます。けれど、アメリカ文化では特攻文学的な「未来のため、死を前提とした自発的な行動で命のタスキをつなぐ」ことと、自己救済はイコールになるのかもしれません。《ハクソー・リッジ》を論じたときにも出てきましたが、やはりキリスト教的な世界観と、日本人の持つ特攻文学的な感覚では異なる部分があるでしょう。

 そう考えると、フィッシュは序盤からずっと「今でも妻と共に生きている」ことを語っていますね。キリスト教においては、死してもその個人は在り続ける。フィッシュは折に触れて、若者たちにそのことを教え続けていたのではないでしょうか。

 特攻文学的には、人類の未来のために命を投げ出すので、死者が祖国の時間軸に中継者という「点」として存在することになりますが、キリスト教的な死生観では、死んでも命を保ったままなので、この世から消え去ることはなく、「線」として共に在る。だから、フィッシュとしては特攻を怖がることはないと、若者たちに言えた。

 《ディープ・インパクト》で描かれたのは、「試される親子関係」と同時に「キリスト教に根ざした死生観」かもしれません。こうした世界観を祖国の想像力とする「全米が泣く(であろう)」大作映画を目指したのではないでしょうか。にしても、詰め込みすぎてもったいない作品です。

井上 特攻文学の文法とキリスト教的世界観の関係……これまた大きなテーマですね(笑)。死後の霊魂はどこにいるのか、と考えると難しいですが、特攻の前に神に祈るかどうかなら、検証可能です。

 《ディープ・インパクト》の大統領はメサイア計画発表会見では「我々は勝つ(We will prevail)」と宣言しましたが、事態が深刻さを増した「ノアの方舟」計画のときは「私は神を信じる(I believe in God)」と言いました。人間にできるのはここまで、あとは神に祈るしかない(人事を尽くして天命を待つ)ということでしょう。

 けれども、メサイア号のクルーたちは最後、神に祈っていないのですよ。《インデペンデンス・デイ》のラッセル・ケイスも、《アルマゲドン》のハリーも、たしか神には祈っていない。なぜでしょうか。みなさんも考えてみてほしいと思います。


 《ゴジラ-1.0》の読み解きから始まった本連載も、いよいよ次回が最終回です。総まとめとして、これまで取り上げてきた映画の【特攻文学度】を発表します。

 どうぞお楽しみに!


◎著者プロフィール

井上義和:1973年長野県松本市生まれ。帝京大学共通教育センター教授。京都大学大学院教育学研究科博士後期課程退学。京都大学助手、関西国際大学を経て、現職。専門は教育社会学、歴史社会学。

坂元希美:1972年京都府京都市生まれ。甲南大学文学部英文科卒、関西大学社会学部社会学研究科修士課程修了、京都大学大学院教育学研究科中退。作家アシスタントや業界専門誌、紙を経て、現在はフリーのライターとしてウェブメディアを中心に活動中。がんサバイバー。


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