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推し、現る。✿第19回|実咲

胃がねじ切れそうにつらいです。
すべての平安オタクは、この展開をもちろん知っていました。
それでも、なおつらいのです。

「光る君へ」第20話では一条朝の大事件、長徳ちょうとくの変がついに幕を開けました。
いったい何が起こったのか、改めてお話をしてみたいと思います。

伊周これちかが通っていた斉信ただのぶの妹(作中では光子)は、伊周にとって関白になれなかった腹立ちを癒してくれていた存在でした。
ある夜も会いに行ったのですが、そこには一台の牛車が。
光子には自分以外にも通ってくる男がいたのだと、伊周は意気消沈し弟の隆家たかいえに話します。
威勢のいいやんちゃ小僧でもある隆家は、伊周をけしかけてその相手の男を確かめてやろうと再び光子の屋敷へ。

やがて、屋敷から一人の男が出てきます。
あれが兄の恋敵か、とちょっと脅かしてやろうと隆家は弓矢を手に取ります。
その一本の矢は、あわや恋敵の男の袖をかすめました。
まさか、それがあの出家したざん法皇だったとは……。
花山法皇が通っていたのは、光子ではなくその妹儼子たけこのところだったのです。
ちなみに、この儼子と光子は、斉信の妹であり、かつて花山天皇の出家のきっかけになった寵姫女御忯子よしこの妹にあたります 。

いや、花山法皇、亡くなった忯子のことはどうした?(それはそう)
出家して僧になったんじゃなかったのか?(それもそう)
安心してください。(できないが)
花山法皇、わりとずっとこんな感じです。※第9回参照

そんな相変わらずのお騒がせっぷりの花山法皇であっても、先の天皇です。
いくら勘違いだったとはいえ、弓をひくというのは大罪です。
「光る君へ」では伊周と花山法皇の従者の間では乱闘が起こって、死者が二人出たとしか言及されませんでした。
しかし実際は、伊周の従者が花山法皇の従者を殺し、その首を持ち帰ったと『小右記しょうゆうき』の逸文いつぶん(断片的に伝わっている部分)に記載があります。
いや、ドラマよりひどい史実って何。

藤原伊周(『石山寺縁起絵巻』第3巻第1段より:ウィキメディア・コモンズ

謹慎を言い渡され、処遇が決まるのを待つ間に、伊周はさらに道長やその姉で一条天皇の母詮子あきこじゅしたと疑いをかけられます。
当時「呪詛をした」という疑いをかけられるのは、一巻の終わりを意味します。
呪詛というのは、誰がやったのか証拠がないのです。そのため、一度疑いをかけられたら最後、たとえ冤罪えんざいであっても無罪を証明することはできません。
また、当時は呪詛の効力が今よりもずっと強く信じられていたため、効果があったかどうかはともかくとして、とても重い罪が課せられました。
呪詛を計画しただけでも罪に問われますが、実行したと発覚すれば死刑。死刑の中でも絞首刑より重い斬首ざんしゅ刑になるのです。

奈良時代にさかのぼりますが、東大寺の大仏を造った聖武しょうむ天皇の頃にも、長屋王ながやおうという人物が呪詛を行ったという疑いをかけられ、結局追い詰められて一家全員で自害するという悲惨な事件が起こっています(長屋王の変)。
さらに伊周は、臣下が決して実行してはいけないとされる、大元帥法たいげんすいほうという呪術を行ったという疑いまでかけられていたのです。
これは、外国の軍勢が攻め入って来た時など、国家クラスの危機に対して宮中で行われるもので、当時の最強最大最高クラスの秘法なので、臣下が行ってはいけないものでした。
伊周は道長に必死で呪詛などしていないと訴えましたが、一条天皇の怒りを抑えることはできませんでした。

ただ第10回でもお話したように、当時は死刑の執行を避ける傾向にありました。
そのため、死罪を減じて流罪となり、伊周は大宰権帥だざいのごんのそち、隆家は出雲権守いずものごんのかみに左遷されることになります。

しかし伊周は納得していません。
本来であれば、流罪が下されれば、すぐにでも旅立たなくてはいけませんが、屋敷から出てきません。
それどころか、兄弟の不祥事を聞いて、実家に戻ってきていた、妹定子さだこの居所に立てこもりました。
一条天皇の寵姫のもとであれば、検非違使けびいし(警察官)も踏み込んで来ることはないだろうと踏んでいたのです。
しかし、あまりの往生際の悪さにしびれを切らし、検非違使たちは許可を得て屋敷に踏み込みます。
隆家は覚悟を決めて早々に投降するのですが、伊周はまたしても姿をくらまします。

居所に踏み込まれ、心乱れた定子は自ら短刀を手に取り髪を切り落とします。
これは、出家をして尼になるという意思表示。
当時出家をするということは、社会的な死を選んだということに等しいのです。
定子の悲痛な表情、追い詰められている状況があまりに辛すぎる第20話。
何も悪くないはずの定子は、今後ますます立場が弱くなってしまうのです。
辛く厳しい行く末が待っていることを知っている側からすれば、あまりに苦しすぎる展開でした。

それにつけても、そもそも僧の身で女のところに通うんじゃない、花山法皇。

この長徳の変は、行成ゆきなり蔵人頭くろうどのとうになった直後の事件でした。
行成は宮中では第17回でもお話しした制服姿で勤務しているので、多くの貴族がいる中でもとても探しやすいです。オタク、助かる!
また、行成は伊周が大宰権帥、隆家が出雲権守になったのと同時期に権左中弁ごんのさちゅうべんに任じられています。
この回以降行成は「頭弁」となったということです。

行成はこの後、『枕草子』の中に「頭弁」として登場することになります。
長徳の変以降、苦境に立たされてしまった、定子の元でつとめる清少納言の筆によって描かれる最後の公達です。
後に一条天皇の忠臣となる行成と、その寵姫定子の腹心の部下である清少納言。
この二人のつながりは、この後「光る君へ」ではどう描かれるのでしょうか。

もう少しだけ先の未来で、行成はこの定子についてとても大事なことを『権記ごんき』に書き記すことになります。

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。