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推し、思案す。✿第9回|実咲

第10話の行成ゆきなりは、道長の行動にも携わるものでしたね。
道長がまひろへ和歌の恋文を贈ったところ、漢詩で返事がありました。
意図をはかりかねる道長から助言を求められた行成は以下のように言葉を選びながら回答します。

「そもそも和歌は、人の心を見るもの聞くものに託して言葉に表しています。ひるがえって、漢詩は志を言葉にして表しています。つまり、漢詩を送るということは、送り手は何らかのこころざしを詩に託しているのではないでしょうか」

「光る君へ」第10回「月夜の陰謀」より

これは恐らく日本最初の勅撰ちょくせん和歌集(天皇が命じて作らせた和歌集)である、『古今和歌集こきんわかしゅう』に「じょ」として撰者の中心人物であった紀貫之きのつらゆきが書いた一文からの引用です。
古典の教科書にも出てくるものですが、覚えている方はいらっしゃるでしょうか。

やまとうたは、人の心を種として、よろづの言の葉とぞなれりける
世の中にある人、こと、わざ、繁きものなれば、心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり
花に鳴くうぐいす、水に住む蛙の声を聞けば、生きとし生けるもの、いづれか歌をよまざりける
力をも入れずして天地あめつちを動かし、目に見えぬ鬼神おにがみをもあはれと思はせ、男女おとこおんなのなかをもやはらげ、猛き武士の心をもなぐさむるは、歌なり

紀貫之「仮名序」(『古今和歌集』序文)より

和歌とは何なのか、という歌論ともいえる最初のものとされています。
「心に思ふ事を、見るもの聞くものにつけて、言ひ出せるなり」というところから、行成のセリフは生まれたのだと推測されます。

また、漢詩についてのくだりは現存する中国最古の詩編である『きょう』の中に出てくる一文からきています。
つまり行成は、和歌(を詠むのは苦手)でも漢詩(は得意)でも様々なテキストを読みこなし、すぐに内容に合った言葉を口にすることができる教養の持ち主ということです。
平安貴族にもとめられる教養は底なしで大変ですね……。

さて、第10話の「光る君へ」は「かんの変」と後世呼ばれる大事件が描かれていました。
これは、今後の行成の運命も大きく変わる一夜の話です。

愛する妃、忯子の死を嘆くざん天皇。
ここで信頼する道兼みちかね(道長の兄)がささやきます。
よし様を出家(僧になること/俗世からのドロップアウト)して弔いましょう。私もお供いたします」
花山天皇は、道兼がお供をしてくれるなら、と出家をひそかに心に決めます。

もちろんこれは、皇太子の祖父である兼家かねいえの企みでした。
孫である皇太子が天皇になれば、兼家は摂政として政治をぎゅうることができるのです。
そのため、兼家は花山天皇が一刻も早く退位することを狙っていました。
まだ若い花山天皇は、すっかり忯子の死に落ち込んでいます。
こんなチャンスを見逃すわけにはいきません。
息子の道兼を使い、出家をそそのかしました。もちろん、花山天皇の後ろ盾である義懐よしちかには秘密です。

決行は、寛和2年6月23日(西暦986年7月31日)のことでした。
道兼が女の着物を被せた花山天皇をひそかに連れ出し、女車おんなぐるまに乗せて現在の京都府京都市山科区にある元慶寺がんけいじ(現在もあります)へ。
花山天皇が出家し坊主頭になったのを見計らい、道兼はこれが謀略だと種明かしをするのです。

花山天皇がだまされたと悟っても時すでに遅し。
出家もしてしまっている上に、天皇のあかしである三種の神器はすでに、皇太子のところへ運ばれていました。
花山天皇の叔父である義懐が知ったのは、全てが終わった後でした。

秘密裏に行われた、この花山天皇の退位劇。
つまり、無血のクーデターといったところでしょうか。
時流が変わったことを悟り、藤原頼忠よりただは関白を辞することになります。
そして、孫を天皇にすることができた兼家は、目論見通り摂政の座につきます。

上記は今回の「光る君へ」で描かれていたストーリーです。
ドラマのために一部脚色がされているので、道兼の種明かしのシーンなどに文献とは違いが見られます。
いや、違いどころか、さらにえげつない話になっていました。
中世に成立した、この時代について記されている歴史物語『大鏡おおかがみ』の記述では、一応道兼も「父に出家の事を言っていないので、出家前の姿を見せに戻ります」と取りつくろっています。
(ただし花山天皇にはバレて「私を騙したのか」と泣かれますが……)
この『大鏡』の花山天皇の出家については、高校の古典の時間に習う場合もあるようです。

寛和の変は、まさに兼家の家系が権力を一手に握る、大きな転換点でありました。
こちらは結果を知っている身でしたが、手に汗握るハラハラした展開でした。

それでは、おとしいれられた側である花山天皇に近しい人たちはどうなったのでしょうか。

花山天皇はその後世をはかなんだりはせず、意外と身軽な身分を謳歌おうかしています。
出家しているにもかかわらず、母親と娘両方に手を出して妊娠させるなどの色恋沙汰の問題を起こしたり(この時産まれた皇子は、父冷泉れいぜい天皇の子として扱われます)、はたまた参詣の旅に出ていたり。
41歳で亡くなるまで、割とパワフルにアグレッシブに余生を過ごしていました。

花山天皇(月岡芳年「花山寺の月」、出典:ウィキメディア・コモンズ

花山天皇の叔父で、権力をほしいままにしていた義懐は、花山天皇が出家したと聞いて、自分の権勢はこれまでとこちらも出家。
しかし、俗世の欲が尽きない花山天皇とは違ったのが、案外僧としての修行の道が合っていたことです。
のちに比叡山にのぼり、残りの人生は仏道にまい進します。

花山天皇の乳母子めのとご(乳母の子供。兄弟のように育つ)として権勢を誇った藤原惟成これしげも、花山天皇の退位にともない出家をします。
そしてこちらも、仏道に目覚めて修行の道を歩むことになります。

さて、今回の中心人物である花山天皇。彼は行成の従兄弟でもあるのです。
つまり、義懐も叔父にあたる人物です。従兄弟の花山天皇、そして叔父の義懐。
この時数え15歳の行成は、この寛和2年6月23日をもって父方の頼れる親戚が全て政界を去ってしまったのです。
父・祖父がいないだけでも大変だというのに、さらなる平安出世街道ハードモードの幕開けです……!!
ここから先、頼ることができるのは己の才覚だけ。
がんばれ行成!!ここからしばらく不遇の時代が続くけど、めげずにがんばれ!!

今回の寛和の変で即位したのが、当時数え7歳の一条天皇。
この若き天皇は、行成にとって後に生涯心を込めて仕える主君になるのですが、それはもう少しあとのお話です。
私はこの主従が個人的にとっても好きなので、今からワクワクが止まりません!!

なお、今回父頼忠が関白の位を降りたため、同世代では出世レースの先頭を走っていたF4の一人藤原公任きんとうも脱落決定。
ここから先、どんどん道長に出世を抜かれていくことになります。

(つづく)

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。