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推し、記す。✿第6回|実咲

第7話にも引き続き行成が登場していますね!
こんなに毎回登場してくれるとは放送前には思ってもみなかったので、毎週とっても楽しく視聴しています。

今回の行成は、すっかりおなじみになったF4(道長、斉信ただのぶ公任きんとう行成ゆきなり)の4人で一緒にとうに興じるシーンに登場しました。
投壺とは今でいうところのダーツのような遊びです。
壺に矢を投げ入れ、入り方などで点数を競います。
正倉院にも道具が収蔵されており、毎年奈良国立博物館で開催される正倉院展でも時折見ることができます。
行成はこのシーンでは少し後ろで紙に何やら書いています。
ここは点数などの書記係でもしているのでしょうか。

投壺とは違いますが、後の時代に宮中で殿上賭弓てんじょうのりゆみという儀式が行われた際に、行成が点数等を書き留める「筆録ひつろく」という役目を担っています。書記係行成、というのはもしかして当時によくある事だったのかもしれません。

その後のシーンで他のメンバーとのきゅう(現在のポロのような遊び)の集まりに誘われた際は、行成は腹痛を理由にドタキャン。
文化系男子な行成としては、もしかしてあまり行きたくなかったのでしょうか……。
道長は『おおかがみ』の中で弓矢が得意なような話もあり、第6話で盗賊を弓で射抜くシーンが描かれるなど、武芸に心得があるというのが作中の密かな設定かもしれません。

第7話では実資さねすけが、義懐の昇進に愚痴をこぼしていると、妻に「日記に書けばいいじゃない」と相手にされないシーンがあります。
ここで実資が口にしている日記とは、『しょうゆう』と言います。
当時のことを知る貴重な史料として現代に写本が伝わっていますが、実資は日記にとにかく何でも書く人として有名で、特に長期にわたり細かな記述をしていることで知られています。
『小右記』とは、実資の邸宅が「小野宮おののみや」と呼ばれていたことと、彼が後に右大臣になったことから来ています。

ドラマの中では義懐の異例な出世について、「日記に書くまでもない」などと言っていますが、実はしっかり書いています。
寛和元年(985年)九月十四日の記事に、「奇しむべし、奇しむべし。(ありえんありえん:意訳)」「如何、如何。(なぜだなぜだ:意訳)」とほとんどブチ切れしているような愚痴を書き連ねているのです。
この記事は、国際日本文化研究センターの摂関期古記録データベースで公開されています。

行成の『ごん』や道長の『御堂関白記』も同様に読むことができます。

「光る君へ」には、このように日記を書く人たちが沢山たくさん出てきます。
ただ、一口に日記と言っても平安時代にはおもに二種類の日記があります。

一つ目は、古典の時間に出てくる『蜻蛉かげろう日記』に『紫式部日記』、『和泉式部日記』や『更級さらしな日記』といった女性の作品。
二つ目は、『御堂関白記』や『小右記』、『権記』といった男性貴族たちの日記です。

前者は彼女たちが各々目に映ったことや思ったことを、かな文字で綴ったもので、後世日記文学と言われるジャンルになる作品です 。
藤原兼家との日々を綴った『蜻蛉日記』の作者は藤原道綱みちつなの母ですが、彼女は大河ドラマでは藤原やすとして登場しています。
どちらかといえば、この女性たちの書いた日記文学が、現代の私たちがイメージする日記に近いものになるでしょう。

後者の男性貴族の日記は「古記録こきろく」と呼ばれています。こちらは、全て漢文で書かれています。
平安時代、男性貴族たちは陰陽寮で作成された具注暦ぐちゅうれきというカレンダーを使用していました。
日付の他に、日々の吉凶などが記されていて、各日付の欄には広い余白がありました。
ここに毎日、覚書のように仕事や行事のことなどを書き入れていました。
余白の大きい手帳に日記を書くような人は現代でもいますが、同じようなものです。

『御堂関白記』一部 (パブリック・ドメイン

この男性貴族が書く日記というものは、完全なプライベートなものではありません。
その家の先祖が行事や政治の状況でどのような立ち居振る舞いをしただとか、「家の先例」として記録保管し、子孫が手引きとするものでした。

「光る君へ」に描かれる時代では、この男性貴族の日記がかなり長期にわたって三人分ものこされています。
最高権力者藤原道長の『御堂関白記』、ライバル関係にあった藤原実資の『小右記』、実務派官僚藤原行成の『権記』。
立場の違う三者から同じ日に何が起こったかなどを読み取ることができる貴重な史料となっています(*注1)。
それぞれが何を書いて、何を書かなかったのかまでわかってしまう時代なのです。

(続く)

【注】
*1:『小右記』と『権記』は写本の形でしか現代に受け継がれていません。『御堂関白記』は直筆のものが現存しています。
現存する世界最古の直筆の日記とされており、平成25年(2013年)6月18日にユネスコの記憶遺産に登録されています。

書いた人:実咲
某大学文学部史学科で日本史を専攻したアラサー社会人。
平安時代が人生最長の推しジャンル。
推しが千年前に亡くなっており誕生日も不明なため、命日を記念日とするしかないタイプのオタク。