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星の味 │ 徳井いつこ

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日常のふとした隙間、 ほっとため息をつくとき、 眠る前のぼんやりするひととき。 ひと粒、ふた粒、 コンペイトウみたいにいただく。 それは、星の味。 惑星的な視座、 宇宙感覚を…
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#言葉

星の味 ☆21 “ふしぎなことです!”|徳井いつこ

 ハンス・クリスチャン・アンデルセン。 「雪の女王」や「マッチ売りの少女」「赤いくつ」「人魚姫」といったお話をつくった人。  子どものころからあまりに親しんでいたせいで、ずっと昔の時代の人のように感じていた。  たった2世紀足らず前に生きていた人だった、と気づいたのは、フィレンツェの新市場のロッジア(開廊)に立っている青銅の猪を見た時だった。 「ポルチェリーノ」(幸運の子豚ちゃん)と呼ばれるその像は、アンデルセンのお話「青銅のイノシシ」のモデルで、彼はイタリアを訪れた際、じっ

星の味 ☆16 “星々にとり残されて”|徳井いつこ

 「夏なら冬のことを書くのだ。イプセンがしたように、イタリアの一室からノルウェーのことを書くのだ。ジョイスがしたように、パリの机からダブリンのことを書くのだ。ウィラ・キャザーはニューヨークからプレイリーのことを書いた。マーク・トウェインは……」  と、さまざまな作家を引き合いにだして、「書く」ことにおける「遠さ」の効用を説いたのは、アニー・ディラードだった。  遠いこと、遠いものが、創造的に作用するのは、どういうわけだろう?   「遠い」という語を辞書で引くと、「二つのものが

星の味 ☆15 “壺のような日”|徳井いつこ

 海が近づいてくると、すぐにわかる。大気中の光の量が増えてくる。あたりいちめん眩しくなる。  山が近づいてくると、すぐにわかる。雲が頭上をゆく。焚火の煙のようにすばやく流れる。  神戸で育った私は、海と山が近接している土地の特性を、からだで覚えた。雨が降る前は、海の匂いが濃厚になり、船の汽笛が大きく響いた。 六甲おろしと呼ばれる山風は、海から吹く風と違っていた。冬の颪は、子どもが手を広げて立つと、本当にもたれられるくらい強かった。  八木重吉のこんな詩を読むと、ああ懐かしい、

星の味 ☆13 “自分以上の生命”|徳井いつこ

 エミリー・ブロンテの詩を初めて読んだのは、片山敏彦さんのエッセイだった。キーツやヴァージニア・ウルフにふれ、イギリスの詩文学のなかでプラトン的特質がさまざまに蘇っているのは面白いと語り、片山さんはこう書いていた。 「私はヨーロッパの旅の宿で、自分の心をはげますためにこの詩を訳してみたことがあった。   ……たとえ 地球と人間とが亡び   太陽たちと宇宙たちとが無くなって   後に残るのは ただあなただけになっても   すべてのものは あなたの中で存在するだろう。   

星の味 ☆1 ”誕生日の気分”|徳井いつこ

 年があらたまると、一つ歳をとる。  お正月生まれの私は、わかりやすい。  子どものころはケーキ屋もレストランも閉まっていた。ラジオは春の海ばかり流している。焦った私は親に尋ねた。「今日は何の日でしょう?」  全国民がお祝いしているので、一個人の誕生日は忘れ去られる運命にある。なにしろ新年なのだ。  家の中も、そして街の風景も奇妙にさっぱりしていた。通りはきれいに片づけられ、人一人、犬一匹歩いていない。  世界を覆っている「日常」という蓋が取り外され、どこまでも続くからっぽの