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満員電車内で口論してた二人を仲裁したら、ムンディ先生に謝りたくなった

あー、はじまっちゃったよ…。

乗っていた電車内でおじさんと爺さんが口論している。
ただでさえ暑い日で、満員電車。せっかくの休日の午前中なのに全然ハッピーじゃない。

でも、でも、でも…。

終点の駅に着いた時には『なにが正しかったのかなぁ…』と、頭の中をグルグル回るような出来事に出会っていた。

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満員電車内でオジサンと爺さんの口論の現場に遭遇


午前10時。
都心に向かう電車は休日でも満員状態で、つり革に捕まりながら立っていた。

隣の人と完全に密着しているわけではないけど、左右も後ろも人で一杯。

僕はYoutubeでお馴染みのムンディ先生著「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」をふむふむと読みながら、これで世界史は絶対に忘れないはずだとほくそ笑んで、都心までの電車に揺られていたところだったが、二人の口論が気になって、全然頭に入ってこない。


二人の口論の前に、どうして世界史の教科書なんて満員電車の中で読んでるのかをどうしても書きたくなったから書いちゃうよ。

今から10年以上前に、高校で必修科目のはずの「日本史」を履修せずに卒業させた学校があるといってYahooニュースのトップになった問題があった。
ここで話題に出すということはもちろん僕が卒業した学校だった…と言いたいところだけど、それは隣の学校で、3月に卒業したはずの現役の学生たちを春休みに学校に登校させて授業をするとんでもない愚策をして話題になった。

ちなみに僕の高校はというと、同じように日本史を履修していなかったにも関わらず、知らないふりをして逃げ切っていた。


ここで世界史の教科書を読んでいるということは、もちろん僕は日本史のみならず世界史も履修していなくて、高校卒業までに習った社会科は「政治経済」と「倫理」と「地理A・B」だけ。


僕は歴史に疎いことに隠れたコンプレックスがあって、本屋で目にした「一度読んだら絶対に忘れない」という魔法の言葉にまんまと引っかかって、満員電車の車内でわざわざ十字軍の遠征について学習していたわけだ。

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「押すなよ」「混んでるから詰めてください」の口論へ

話がそれた。
口論だ、口論。

現実世界に話を戻すと、僕の頭の中が十字軍の遠征が失敗に終わったタイミングで、「押すなよ」という年老いた男性の野太い声が右後ろから聞こえてきた。

混んでいるから詰めてくださいよ

オジサンっぽい年齢の男性が言い返している声が聞こえたタイミングで、僕は視線を右後ろに向けると、声の予想通りのビジュアルのオジサンと爺さんが言い合っていた。



爺:「押すなよ

オジサン:「混んでるんだから詰めてくださいよ

爺:「あ?触るなよ


爺さん、随分と強気。

どうやら満員電車の車内で爺さんが広いスペースを独り占めしているところに、オジサンが満員の人に押されて爺さんにぶつかってしまったようだ。

それに対して爺さんが「押すなよ」と言ったもんだから、オジサンが「あなただけ場所じゃないから詰めてくださいよ!」という主張をして、口論に発展したっぽい。

二人の口論は止まるどころか、どんどんと熱を帯びていく。

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今にも掴みかかりそうな緊張状態に発展

オジサン「皆さん狭い中で立ってるんだから考えてください

爺「あ?ここに俺が立ってんだから押すなって

オジサン「どうして自分のことしか考えないんですか。皆さん狭い中で立ってるんですよ

爺「…(プンプンしながら黙る)」

オジサン「聞いてるんですか?おかしいでしょ!

爺「あぁ?」⇒今にも掴みかかりそうな緊張状態に。



その瞬間。
口論を仲裁しようと一人のスターが現れた。もちろん、僕である。



僕「はい、もうここで終わりましょう。はい、終わりです。こっちに移動してください

そうです、ここで僕が登場しちゃったわけです。

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救世主現る(ぼく)

オジサンが「聞いてるんですか?おかしいでしょ!」と言ったことを合図に、僕はオジサンの前に腕を伸ばして、「はい、もうここで終わりましょう。はい、終わりです。こっちに移動してください」とオジサンを引き離して、爺さんとオジサンの間に自分が入り、オジサンを僕の左側に移動させて立ってもらった。


左から順番に爺さん(後ろ向き)⇒他の客⇒僕⇒オジサンという形だから、距離は充分。


オジサンは僕に「ありがとうございます」と小声でお礼を言って、僕の左側でつり革に捕まりながら立った。

救世主の僕は「いえいえ」とだけ伝えて、「一度読んだら絶対に忘れない世界史の教科書」に目を移した。
本のページではイギリスとフランスの百年戦争へ移っているが、現実世界ではオジサンと爺さんの3分戦争が起こっていて、全く頭に入ってこない。


僕は平静を装いながらも、さすがにムンディ先生の教えが頭に入ってこなかったので、チラっと横目でオジサンの顔を見てみると、つり革に掴まっているオジサンの手がプルプル震えているのが目に入った。

オジサンの震える手を見て、本当にこれで良かったのかなぁと僕は考えた。

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満員電車口論事件|5つのポイント

・オジサンの主張は基本的には正しい
・爺さんは話が通じていない
・電車内には恐怖感をもっていた人もいた
・「聞いてるんですか?」で本題がすり替わった
・正しい主張をしたけど問題要因になる生きづらさ

ポイント1:オジサンの主張は基本的に正しい

オジサンは「満員電車だから一人で広々とスペースを確保せずに詰めてください」ということを主張した。その主張は正しい。

それに加えて、オジサンの口調は多少強かったけど、爺さんに対しても終始敬語で、正しい主張を述べ、口論の途中で引き離した僕にも「ありがとうございました」とお礼を言っていた。降りる時もお辞儀をしてお礼を伝えてくれた。

つまり、一方的に自分の主張を伝えるだけのワガママなオジサンというわけではなく、こういう状況なんだから自分勝手な行動ばっかりせずに、協力してくれよ!と爺さんに伝えた結果、電車内でのトラブルに発展した状況になったということ。


ポイント2:爺さんはけっこう話が通じていない

反対に爺さんはけっこう話が通じない印象を受けた。

満員電車だけど自分のスペースだけは広く確保しようとして行動が自分勝手だし、オジサンの主張に対しても「あ?」とか「押すなよ」とか、そういった言葉しかでなかった。


ポイント3:車内には恐怖を感じていた女性も

もう1点重要なポイントがあって、途中の停車駅で一気に乗客が降りた際に、僕の肩をトントンと叩く人がいた。
振り返ると女性が立っていて、『さっきは止めてくれてありがとうございました』と言って、電車を降りていった。


そう、僕は本当にその女性にとっては救世主だったのだ。

僕のすぐ左隣にはオジサンが立っていたので、あんまり何か言うとオジサンを刺激するかと思い、「ああ、どうも」とカッコつけてクールに挨拶だけを言って、お辞儀をした。


まあ、なにが言いたいかというと、電車内で口論になったことで乗客の中には恐怖感をもっている方がいて、なんとか平和に終わればいいなと願っていた人がいたということ。

昨今では電車内で刃物で暴れたり、不適切な行動を注意した結果ボコボコにされたり、いろいろな事件がある。
そういった事件にならずに安堵した方がいたということは重要なポイント。


ポイント4:「聞いてるんですか?」で話題が逸れた

オジサンと爺さんの口論が始まったときに、僕自身も最初は黙って聞いていた。

じゃあ、僕自身がどこで仲裁に入ろうと思ったかというと、オジサンが黙っている爺さんに対して「聞いてるんですか?」と伝え、爺さんが「あぁ?」と睨み合ったところ。

つまりこれは、オジサンの「狭いんで詰めてください」という本題から外れて、自分の気持ちのもっていき場をぶつけたから。

オジサンは正しいことを言っているので、引くに引けなくなったところがここだったと思っていて、この場面で止めたことは個人的には正解だったと思っている。


ポイント5:正しい主張をしたけど問題要因になる

オジサンの主張は正しかったということはポイント1で書いたけど、電車内で口論に発展し、あわや取っ組み合いになりそうな様相だった。

もちろん満員電車の車内は緊張感が張り詰めていて、一触即発。
恐怖感を感じている女性もいた。

オジサンと爺さんを引き離した後に、吊り革に掴まっているオジサンの右手が怒りからか興奮からか、プルプルと震えていたのを見て、僕はなんとなく胸がキューとなった。

理由は、「自分勝手なことをせずに協力してくれよ」と正しいことを主張して、後から乗ってくる人のスペースを生み出してくれたオジサンが、他の客から見たらトラブルを生んだ問題要因になっていたこと。


じゃあ、そんな自分勝手な行動をしている爺さんを見逃せばよかったのだろうか?

きっと答えは見逃せばいいんだけど、そうやって敬語を使いながら「自分勝手な行動せずにみんなのことを考えて協力してくださいよ」という主張をすることは、そんなにいけないことなんだろうか?

オジサンの震える手を見て、胸がキューっとなったのは、オジサン視点に立ったときに、なんとも生きにくい世の中だなあ、理不尽だなあと思ったから

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満員電車口論事件から僕自身が引っかかったこと


満員電車口論事件から、オジサンと爺さんの仲裁に入って、二人を引き離し、お姉さんにお礼を言われて、おじさんの震える手を見て、オジサンにお礼を言われて思ったことをまとめると…。


二人を引き離したタイミングはよかった

まず、二人を引き離したタイミングはよかったと思う。

オジサンは正しいことを言ってるから引くに引けない状況になっていて、あのままヒートアップして殴り合いとかになる前に引き離したことはよかったとは思う。

仕事や会議でも強い言葉を発して引くに引けない状況になっている人っていて、そういう状況からはなにも生まれずただただ傷つける言葉を発してしまうことは少なくない。

「聞いてるんですか?」のタイミングはまさにそこで、そこからは何も生まれないのでそこでカットインしたことは良かったはず。



言いたいことも言えないこんな世の中はポイズン


個人的に最も気になった点は、オジサンが正しいことを言ってるにも関わらず、消化不良のままみんなから厄介者みたいな存在になって、言いたいことも中途半端なまま引き離されたと感じてるんじゃないかなーと僕自身が感じたこと。


つまり、この時に自分が一番感情移入をしたのがオジサンだったわけだ。

オジサンが吊り革に掴まりながらプルプル震えてる腕を見て申し訳なく思ったんですよね。

オジサン目線で考えると、正しいことを主張して、爺さんとの絡みで嫌な思いをして、周囲からシラけたような視線を浴びて、「なんでこんな目にあうんだ」「正しいことを主張することも言えないのか」とか思うのかなーと思ったり。

まさに言いたいことも言えないこんな世の中はポイズン状態。
正しいことを言ってるのに。


とはいえ、お姉さんがお礼を言ってくれたように、こんな電車内でモメ事を起こさないでくれよと思う人の気持ちもよくわかる(実際に僕もそう思う)。当たった相手(爺さん)が話が通じなかった。


とはいえ、オジサンが自宅に帰って冷静になって一日を振り返った時に、僕に止めてもらえてよかったと思うのか、正しいことを主張できない社会だと思うのか…。

オジサン視点で考えると、果たして止めたことは良かったのかなとか、なんて言って止めればよかったのかなとかを考えると、不思議と少しだけ申し訳ない気持ちになったんですよね。



全体視点で考えると仕方ないか

とは言え、全体視点で考えると、お礼を言ってくれたお姉さんもいたので、「怖い」や「迷惑」と思う人もいた(むしろ、そっちが大半)んだろう。

お姉さんはが僕にお礼を言ってくれたことで、僕自身は自分がやったことは良かったのかなと思えたけど、僕の左隣りにはオジサンがいて、その御礼の言葉を聞いて、また後ろめたい気持ちになったとは思うけど…。

満員電車の中だったので、口論を止めた行為は自体は間違いじゃなかったとは思うけど、どう声掛けをして止めればよかったのかなーと考える。

なにが良かったんだろうな…?


満員電車口論事件 まとめ

オジサンと爺さんの満員電車口論事件から、正しいことを主張することの難しさを感じたとともに、世の中には何を言っても伝わらない人もいるんで、そこに当たってしまったのはオジサンも不運だったかな。

オジサンは言ってることは悪くないし、言葉の調子は強いけど爺さんにも敬語を使って伝えてるし、引き離した僕にもお礼を言うような人。

そういう人が、「いやいや、そりゃおかしいでしょ!」と伝えると、みんなが迷惑みたいな状況になってしまうのは、ちょっとかわいそうだなあと。
満員電車で自分のことしか考えない人に対して「いやいや、ここは詰めようよ」って言いたいよね。とはいえ、言いたいことも言えないこんな世の中はポイズン状態。なかなか難しい。

ちなみに、この記事を書いている現在、十字軍のことは何一つ覚えていない。
ムンディ先生、すみません。


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