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今年の桜はいつもと違って

少し前に書き留めていた話。
桜の季節のうちに放出しないとあんまり意味が無い気がしたので表に出す。
重い話をします。死の話です。
自分の今の思想や感情の吐き出しとして、日記的にただ文章を書き殴っているだけ。


暖かくて天気がいいと明らかに自分のメンタルの調子が良くてもはや面白いまである。
人間のメカニズムは思ってるよりずっと単純だし、自分のことをすごく素直な生物(せいぶつ)だなあと感じました。

毎年この時期になるといっつも仕事をすべて投げ出して、近所の公園の芝生に寝っ転がって日向ぼっこしたくなる。
去年までは激・花粉症でこれさえなければ…と思ってたけど、夏頃に舌下免疫療法を始めたおかげで今年はなんとほぼ諸症状ゼロ。すっごい。めちゃくちゃ快適。ティッシュも鼻セレブ使わずに済んでる。
花粉症に悩む人類は全員やった方がいい。

そんなかんじで原則春は好きです。
けど今年は如何せんその喜びを素直に受け止められない節もある。
うちの近所でも桜が咲き始めました。
考えるのは、この桜を見られなかった人たちのことばかりで。

未だにほぼ毎日、昨年末亡くなったチバユウスケのことを考える。音楽と人の追悼号めちゃくちゃいい表紙ですね。
重ねて、つい先日そこそこ近しい知人が亡くなった。40歳でした。
告別式がラジオの生放送とダダ被りしたので、急遽その前日の夜お通夜へ出席するため、車で片道1時間の道のりを会いに行った。

最後に会ったのは確か数か月前。バンド練習の時にスタジオで入れ違った。
かれこれ付き合い自体は10年近くあって、顔合わせると絶対気さくに声をかけてくれる良きお兄さんでした。
わたしと同じくドラムや打楽器をやっていた人。色黒い肌と、笑った時に細くなる目、いつも手巻きで煙草を巻いていた姿ばかりが印象に残っている。

音楽関係の知人友人がそこそこ居るわりに、そういう人たちの通夜葬式に出る経験は初めてで。
一人暮らしの自宅での急死だったそうで、本当は会うのが少し怖かったんだけど。彼の寝顔はびっくりするぐらいに、わたしの記憶に残ってる顔のまま。
寝てるみたいとはよく聞く言い回しだけど、本当に寝てるみたいだった。
とてもこの人が、この人の身体が、魂が抜けたモノになってしまっている気がしなかった。お母様のご厚意で死に水まで取らせて頂いたけれど。
布団の中で目を閉じた表情が忘れられない。未だにはっきりと思い出せてしまう。

どうしても意識が引きずられてしまうもので。
チバユウスケもあれになってしまったのか、というのが簡単に想像できてしまい、本当にちょっとだけど精神が参った。
毎日チバユウスケのことを考えると、必然的にミッシェルガンエレファントというバンドのことも考える。
亡くなった時の年が近いせいもある。
42歳のアベフトシのことも頭をよぎって、益々気が重くなったりもした。

生身の死が近いとダメですね。
ダメっつーかなんつーか、意識がどぷん、と真っ黒で重たい重油みたいな泥沼にじりじり沈んでいくかんじ。
とはいえメンタルの調子を崩すとか、別にそれで鬱になるとかではない。
ふと思考が沈んでなにかと死について考え込んでしまう時間が増える。そんなかんじ。
まあでもいつぞやの友人の時みたいに、仕事がクソ忙しくてまともに向き合えないままよりは、よっぽど己の精神や思考が健全に動いている気はする。精神状態そのものが健全かどうかは知らんけど。

(余談だけど先述の友人の時と同じく、現在進行形で家庭にもややのっぴきならない事情を抱えNOWです。ナッハッハ。なんでこんなに不運って重なるんでしょうね。
なるようにしかならんしわたしはどうにもできないし、わたしより大変な人がいるので詳細は控えるけど。またほとぼりが冷めたら話のネタにするかもしれない)

昔からなにかと、生身の死に向き合うと自分の思考がやたらめったら回るなあという体感はある。
変な言い回しだけど、「死」というテーマで考え事をするのがわりと好きなのかもしれない。もしくは適性があるというか。昔こんな文章も書いてるしさ。

当然だけど知人友人、好きなひとが死んじゃうのはすごく悲しい。辛い。気持ちも落ち込む。
でもだからといって、そこから目を背けたり無理やりに意識を逸らそうとしたり、忘れようとしたりはしないというかんじ。
何やってても頭の隅にずっとじっとりソレが居座っているので、居座らせたままわりと放置して好きにさせている。たまにでっかくなったりちっさくなったりするので、それに合わせて気分の浮き沈みは当然あるけれど。

むしろ避けるとは逆かもしれない。
誰かの死で沈む自分の意識に、とことん真正面から向き合って自問自答を繰り返している、というか。
ほっといても脳味噌は勝手に独りで回る。止める気はあんまりない。だって止まんないし。おかげで数日ぐらい寝不足だったし。

その人の死を目の前にして、わたしは何を思ったか。何を感じたか。
この悲しみは、辛さは、自分のいつどの感情や思考に由来してるのか。
何が苦しい?何が痛い?何が寂しい?
どうにもならないものを前にして何を思う?
あるいは、自分がいつかアレになることをどう思う?

魂が抜けた人の身体を自分の目で直接見て、死ぬ時はどんな気分だったんだろう、とも考えた。
第三者視点では見た時は眠るように、なんてよく言う。けど、己の体感としてもやっぱり入眠は死の仮想体験に近いんだろうか。
仕事みたいに話を訊きたいけどこればっかりは誰も教えてくれん。
死ぬのが怖いかと尋ねられると返答に困る。怖いか怖くないかというか、わかんね~~~~全然想像つかね~~~~ってかんじ。

わたしが今いろんなことをぐるぐると無駄に考えている、この自意識が完全に止まってシャットダウンする。
その感覚がもうまったくわからん。どういうこと?どういう仕組み?
例えば今、末端冷え性ですっかり冷え切っている自分のこの手がただの物理になる。
それもわからん。ていうかほんとにアレになるのか、わたしの手は。
亡くなった方の肌に直接触れたら違いは感じるんだろうか。
人間の身体がモノになる。その感覚は多少わかったりするんだろうか。

当たり前だけど、自分の身体に対して「ああ今血が血管流れてんな」みたいな実感はないし、内臓ほか各器官が体内で適切に働いている実感も大概ない。
動いてんのすら感知できないんだから止まる感覚なんてわかるはずもなく。
ていうかそもそも心臓の筋肉がちょっと止まったら人間って死ぬんですよね。
それってわりと簡単な気がするし結構怖くない?文字通り数十年間休みなく動いてる心臓の筋肉、地味にすごくない?

死ぬのが怖いか怖くないか。
二者択一で答えろと言われたら怖くはない、かもしれない。少なくとも今は。

たとえば仮に半年後死ぬと言われたとして。
やりたいことはまだまだたくさんある。でも後悔はあんまりないかもしれない。今でもそこそこやりたいようにやりたいことやって生きてるからねえ。
親姉妹や夫より先に死んで、悲しませちゃってごめんねえ、とは思うけど。
だからと言って死にたいというわけでも断じてないけど。

例えばやりたいことを制御したら寿命が延びるとしても、それは選ばないかもしれないな。
やりたいことをやれないイライラで逆に寿命が縮む気するし。むしろ憤死するかもしれない。最近本当に気が短いしますます猪突猛進に磨きがかかってるので。
やりたいことをやりたいと思った時にやる。
それが我慢できない性分だから、こんな不安定な身分を選んででも毎日ドタバタ生きてんだよな。たぶんわたしは。

(あの人もそういうタイプだったのかもなあ、ともちょっと思ったりする。
休養発表からたった7ヶ月だったし。当時すでにかなり深刻な状況だったのかも、と考えざるを得ない。正直。多少の不調を感じながらもやりたいことひたすらやってたのかもしれない、なんて。
もしそうだったとしたらわたしは何も言えないなあ。
だってその気持ちわかるもんな。ほんのちょっと掠る程度かもしれないけどさ)

唯一ちょっと惜しいな、と思うかもしれないのは、子どもを産んで育てる経験をしてないことぐらい。
出産子育てをやってみたいから子どもを持つ、という動機が親になる人間として正しいかはわからない。
むしろたぶんおそらく適切ではないと思うので、結局そこには至ってないんだけど。今。

というか自分より、横で寝てる夫の身体がいつのまにかアレになってたらどうしよう、と不安になる方が大きい。
22時就寝5時起床、起きたら朝は1時間散歩。老人みたいな生活サイクルになってる夫の方が当然自分より先に就寝する。それもあって最近はとても頻繁に生存確認してしまう。
元々、稀に寝てるとき無呼吸症候群みたいになってるのでちょっとヒヤッとする時もある。
日が経って、ようやく少しずつその不安や恐怖も薄まってきたところ。

とはいえ当然、動けなくなったり寿命が縮むことは本望ではない。まだまだやりたいことあるし。
なのでとりあえず、不安要素のある身体のことについては近々各病院に掛かっとこうと思います。
あと健康診断も受けようね。ていうか結局独立してから1回も受けてないね。本当によくないよそういうとこ。


ここまでが「生身の死と対峙してから数日間かけてわたしの思考回路がこういう軌跡を辿ったよ」という備忘録です。
本当に考え事を目に見える形で文章化しただけ。メモでしかないのでオチとか〆は一切ない。

そんなことを考えてすべてこうして書き留めていたら今もう朝5時過ぎてます。
これを書き始めたのは確か深夜1時半頃だった。それがそもそもの間違い。(公開タイミングの時間はズレてるかもしれないけど。その場合はこいつ一回下書きに放り込んだんだな、と思ってください)

日が経てば着実に、少しずつ沈んでた意識も軽くなって考え事の重さも薄れてきて。
とはいえ、有耶無耶になって逃げてしまう前に自分の思考のしっぽを掴んでおきたかった。なので今日書くしかなかったと言えばなかった。まあいいでしょう。

ここ最近はなんだかんだずっとこれぐらいの時間まで起きてる気がする。
嘘。ここまで遅い事はあんまりない。
でも4時寝とかわりとザラ。自律神経もぶっ壊れるし、だからずっと肌荒れが治んねえんだよ、とは思う。
で~も気づいたら夜更かししちゃうんだよね~。なんでだろうね~。さすがにそろそろ寝ます。


そうこうしているうちにゆらゆら帝国のちよちよまで亡くなってしまった。
自我の形成に関わった人たちがどんどん居なくなっていくの、さすがに早すぎません?
あと10年ぐらい先の年齢になってから始まるイベントだと思ってたんですけど、こういうの。

悲しくて寂しいし、できれば立て続けにこういう事が起こって欲しくないなあとは思う。
わたしが大好きなバンドマンのおじさん達はみんななるべく元気に長生きしてください……。