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『マイ・ブロークン・マリコ』にはなれなかった私の話

去年の年末頃に書いてそのままにしていた記事です。
なんとはなしに公開を躊躇っていたら気づけば3月になってた。お蔵入りにする理由もないので表に出しておきます。

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タイトルから伝わる人もいると思いますが、だいぶセンシティブな話をします。気分が落ちやすい人にはおすすめしません。
自分の感情の整理も兼ねて書いている節is大いにある。


大学時代の親友が死んだらしい。
ちなみにこのアカウントには、つい2日前まで彼女自身の投稿した形跡がまだ残っている。

ちょうどこの頃の私、連日朝から晩までとにかくひたすら取材、取材、取材の山。県内外を問わず文字通り四国中を、朝から晩まで縦横無尽に西へ東へと走り回る日々。
貰っている仕事に穴を開けるわけにはいかなかった。
時期を同じくして、夫が適応障害と診断され仕事を休職し始めていたから。

とは言え、決してそれだけが理由ではない。
元来自分の食い扶持は自分で元気に稼ぎたい女である。
そう書けば聴こえは言いが、諸事情あって死んでも実家のある地元には戻りたくないため、私は常にこの地で背水の陣で生きるしかないのである。

保険も万が一の備えも何も無い。私が職を失っても、収入を失っても、助けてくれる人も養ってくれる人も頼れる人も誰もいない。
結婚した今でも変わらない。その脅迫観念は一人暮らしの頃のまま、私の中にこれからもおそらく埋まり続ける。

そんなこんなの理由を抱えて私は、親友が遠い場所でどうやら死んでしまったらしい今。それでもやっぱり日々の生活費を稼ぐ手を、止める訳にはいかなかった。
私はシイちゃんみたいにすべてを投げ捨てて、彼女の白骨に逢いに行くことは出来ない。
現実は映画でもマンガでもないのである。残念ながら、薄情なことに。


死んだ彼女の事は便宜上、ここではAと呼ぼう。
同じバンドサークルに居た彼女とは、気づけば何かと2人セットで行動する事も多かった。
お互いに同世代女子の「女子らしい」あれやそれやがやや苦手な部類の女だった。
だからこそ私たちはおそらく馬があったのだろう。

酷い時期には、Aは私の家に週5で泊まりに来ていた。
けれどそれは別に全く不快ではなくて、むしろ誰かと夜を明かす事は、当時の私にとってはどちらかと言えばありがたい事だった。寂しさで死にたくならずに済んだから。

大学2年か3年の頃に、先にAに彼氏が出来てしまってからは、一緒に居る時間がだいぶ減った。
それでもおそらく互いの事は、ちゃんと親友と呼べる存在のままだったと思う。
酒癖があまり良くない彼女のセーフネットとして、Aの彼氏とも連絡先を交換した。
そのまま二人が大学卒業後に結婚した時には、式で友人代表のスピーチまで読んだ。
今のところ後にも先にも、誰かの結婚式でスピーチをする経験は、おそらくこれっきりになりそうである。

その後数年間はすっかり疎遠になっていたが、2021年の夏頃にSNSを介してお互いオタクに返り咲き、揃って創作にまで手を出している事を知り、そこから再度連絡を取るようになった。
久々の電話は4時間超に及び、大学時代から繋がっていたTwitterアカウントとはまた別の、オタク活動用のアカウントでも繋がった。
そこで再び、お互いの暮らしを垣間見るような懐かしい関係性が始まった。

2021年の1月には一度久々に顔も合わせている。
私がサークル参加した大阪の同人イベントの売り子を彼女に頼んで、その後そのままUSJへ一緒に遊びに行った。
そこで一緒に泊まったホテルで、いろんな話をした。

お互いの推しジャンルの話、推しキャラの話。
疎遠になっていた間の人生の話、共通の知人の話、それぞれの夫や家族の話。
Aは、夫との関係があまり良くないのだと言った。
数年前に彼が精神を病んで一度仕事を辞め、それ以来少しずつ歯車が噛み合わなくなっているらしい。
彼女自身もかなり精神的に参っていたところ、推しに出会ったことでなんとか日々気持ちが救われている、という旨の話をしていた。

夫婦や恋人同士の関係に、外野が口を出すのはものすごく難しい。
二人の間でしか通用しない価値観や認識がそこには確かにあって、周りがいくらノーと言っても、互いがイエスであるならそれ以上は余計なお世話で、私達がどうこうできる話ではない。
それに対する生半可な発言は、ともすればすでに傷だらけの2人に、塩を塗り込むような真似になることだってある。

Aの事は確かに親友で、彼女の夫も全く知らない赤の他人ではない。
けれど疎遠だった数年間の間に、私が知っていた時の彼女たちからは、おそらく大いにいろんな状況も心境も変わってしまっている。
2人のことは昔から、一緒に居始めた時から知っている。
だからこそ迂闊にその話に手が出せない私は、「夫婦のことは夫婦にしかわからんからなあ」と言葉を濁し、彼女が少しでも楽しい気分になるような別の話題を振ることしか出来なかった。

そんな再会の後も、SNS上では引き続き私たちの関係性は続いた。
たまに通話をして、死にそうになりながら原稿修羅場を一緒に走ったりした。
イベントに人生初のサークル参加をしたい、同人誌を出したい、というAの背中をぐいぐい押した。
同じオタクという趣味で、私はすっかり彼女との交流が昔のように復活したと思っていた。

LINEを遡ると、去年の初夏頃に私たちは夏場にまた大阪で遊ぶ約束をしている。
この頃も何度か通話をしていて、私の記憶が確かであれば、この時期に彼女は結局夫と離婚した、と話していた。
夫婦で猫を飼っていたから、その子の行き先の相談をしなければならない。引越しが必要になるけれど、仕事は変えない。そんな話を聞いた覚えがある。

会う約束の2週間ほど前。コロナになってしまったので、大阪に行くのは今回は止めておくと連絡があった。
諸々キャンセルのやりとりをして、お大事にね~と呑気な言葉とスタンプを送った。

彼女からの既読がついたやりとりはそれが最後だ。

冒頭のツイートを見て軽いショックを受けた私は、ひとまずLINEをAに送ってみた。
当然だがそのメッセージは未読のままである。
既読がついたらそれはそれでホラーだけれど、届かない言葉は今後一生このまま宙ぶらりんになるのだ。私のLINEのデータが飛ばない限りは。


ここからの話はすべて私の想像で、確定要素となる事実は何一つない。
けれどなんとなく、私はたぶん彼女は自分で命を絶ったんだろうな、と思っている。

Aは確かに兄と仲は良かったけれど、その兄も結婚して県外に住んでいたはずで。日頃から密な関わりがそこまであったという話を、直近で聞いた記憶はない。
「自分が万が一不慮の事故や事件で死んだ際、その訃報をSNSの特定のアカウントのみに投稿して欲しい」と、日頃から遠く離れた場所に住む肉親に伝えている人間なんて存在するのだろうか。

急逝をSNSで伝える配慮のある肉親だったとして、その場合はおそらく彼女のアカウント全てで一報を投稿するだろう。
けれど他のどのアカウントを見てもそんな投稿はなかった。訃報は私が知る限り、最近一番活発に動いていたアカウントのみにしかない。

それらの要素が揃った中で作り出される彼女の死の状況は、おそらく私が想像しているもので間違いないだろうと思う。
まだ私のスマホの中には、Aの元夫の連絡先も残っている。
唯一確信を得られる方法ではあるけれど、万が一、億が一彼がAの死を知らない可能性だってある。
ずいぶん薄い繋がりとなってしまった他人のパンドラの箱を開ける勇気は、さすがの私も持ち合わせてはいない。

仮定の話はここまで。


死んだ彼女に対して、後悔があるかと言えばゼロでは無い。
私が気まぐれで通話のひとつでも誘っていれば、SNSでリプライのひとつでも送っていれば。もしかしたら彼女の気は変わっていたかもしれなくて、まだAが生きていた世界線だってあったかもしれない。

でも全部それは今や、意味の無いたらればの話。
加えて万が一彼女が自死を選んでいたとしても、私個人としては彼女が最期に選んだその選択を、決意を否定はしたくないなと思った。
何が最良だったのかは、結局A自身にしかわからないし。

周りが何を言ったって、自分の命を大事にしろと言ったって。
じゃあ貴方が死にたいと思う私のこのいらない人生を救い上げてくれるのか。今後一生私を幸せにしてくれるのか。一切の心配がいらない生活を保証してくれて、私という人間を丸ごと肯定して大事にして愛してくれるか、という話なのだ。
そんなのは到底無理なので、結局自分で幸せになるしかないんだよな人間は。

残念ながら私は死んだ事がないので、Aの気持ちが全て分かるとは思わない。
ただそれでも、本気で死のうと考えた事はある。
人生のタイムリミットをここまでにしよう、と、暗い部屋の中で止まらない涙を流しながら決意した事はある。
この話は今まで誰にもした事がないし、結局その時死に損ねて今の今まで生きてはいる。
でもたぶん自分が長生きしない気はなんとなくしているので、リミットがたった20~40年伸びただけの話なのだ。

だから分かる。
本気で死ぬ事を決意した人間を止められる人間はいないということ。
自分が何かしてやれなかったかと悔いる人がいたとして、「してやれることは何もなかった」という事が答えだということ。
死ぬ人は死ぬし死なない人は死なない。
人間は結局他人に干渉なんて出来ないし、人を変えることなんてできないのである。

なにより、本気で考えて死を選んだ彼女を否定すると、私は昔暗い部屋で本気で死を選んだ自分を否定する事になる。
だから私には、自死を選んだAの決意を否定する事が出来ないのだ。


ちなみに、私が死に損ねた理由にはいろいろあったのだけれど、ひとつは一周まわって「私がもし自殺したら、結局私の事を何一つ理解しなかった人たちが勝手に悲しんで分かったような顔してSNS上で私の事追悼して悲劇の主人公ヅラしたりすんのかな……それはまあまあ腹立つな~~~私の死でオナニーすんじゃねえよ~~~」という謎の怒りに価値観が変化したからです。
これに関しては峰なゆか女史もアラサーちゃんで同じことを言っていた。世の中には一定数、そんな怒りを原動力に生きている人間もいるらしい。

なので私も彼女の分まで生きるとか、気づいてあげられなくてごめんねとか、そんな偽善は一切言わずにこの記事を締めようと思います。
一方でとは言えこうして彼女の死を創作や表現の種にしている時点で、クリエイターは業の深い生き物で居ざるを得ないのだなあとも思う。

仲の良かった親友が自死を選んで、いろいろ精神的にしんどかったり時間がかかった部分はあったけど、私は彼女の決断を結局「そうかあ」とただ単純に受け止めただけの話。
単純に受け止めようとこうして自分に言い聞かせたりしているだけの話。
それだけです。