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「可愛い」「美味しい」「わかんない」


 この3つは、私が幼いころから両親に使用を禁止されていた言葉たちだ。

「○○しろ」「○○するな」と全くと言っていいほど、言わないうちの両親だが、この3つは、なんで?って聞いてもあんまり理由のわからないまま ただ使うたびに「それ禁止~」とやんわり突っ込まれてきた。

今考えれば、自分はなんで素直にその禁止令に従っていたのか わからないけれど、まあそれらを使う習慣が見事になくなった私は、今になって、地味~~にそのありがたみを感じさせられることが度々ある

 なんでうちの両親(主に父)はこの3つを禁止していたのか、ちょっと考えるところがつながってきたのでここに記録したい


 まず、「かわいい」「おいしい」「わかんない」に共通することは、「なんも考えなくても発せる言葉」であることだ。

たとえば、ペットや子供やキャラクターや雑貨、何を目にした時でもたいてい「かわいい~~」と言えば辻褄があう。ごはんを食べたとき、とりあえず「おいしい~~」と言っておけば、食べさせる側も一緒に食べる側も悪い気はしない。何か問いかけられても「わかんない~~」と言ってしまえばそこで会話は終了、それ以上聞かれることはない


確かに、感情がそれらの言葉にぴったり当てはまることもあるけれど、たいていは誰でも条件反射的に言うとこのできる、薄っぺらな言い方にもなりうることばだ。たぶん、娘がてきとー喋る人になることが父は許せなかったらしい


なんてったって子供が小学生だろうと「この白くてキノコみたいな建物、何のためにあると思う?」「なんでこの前あの国はああいう法律を作ったんだと思う?」「これこれをなになにしたの誰だおともう?」などなど、わかんねえ!!!!と言ってやりたくなる、決して小学生に聞くべきでない質問をどんどん投げてきて、どんなにわからなくとも何かしら答えるまで正解を言ってくれない父であった(ある)ので。。。。


おかげさまで、聞かれたことに対してどんなにとんちかんだろうと自分で考えた答えを出せる人間にはなったし、かわいい!っていおうとしたとき(ん。。。?これは本当にかわいいのか。。。??)と謎の内省をするようにもなった。あと、”考えることへの抵抗感”みたいなものも、相対的に薄く育ったんじゃないかと思う

今の自分が「かわいい」っていうものたちは、ほんとにカワイイものたちだけな自信があるし、カワイイのレア度が高い人って、我ながらけっこういいなとおもう


だんだんどこに結論を持ってくればいいのかわからなくなってきた。。。。どうしよう。。。。この先のことについて、また考えが進んだら、書き足そうとおもう


さらば


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