ペスタロッチについて④

貧民学校をつくる。当時の救貧施設はただパンを与えるのみだった。しかし人々の慈善の意志に反し、貧民はその心をいっそう堕落させることになった。
ペスタロッチは、貧民自身が自らを助け、自立して人間らしい生活をするのに必要な能力や手段を身に付けられるように援助してやる時初めて貧民を救うことになると考えた。1776年、ペスタロッチの施設には22名の子供たちがおり、農業にもつかせながら、知的あるいは道徳的教育も行おうとした。同時に子供一人一人を観察している。その記録からペスタロッチが子供の性格や素質まで、鋭く観察していたようだ。
 この施設も残念ながら1780年に経営難のため閉鎖せざるを得なかった。この閉鎖からペスタロッチの人生における最大の危機の長い期間が始まった。その期間は20年に及ぶ。彼はわずかに残った農地で生計を立てながら、多岐にわたる執筆活動に取り組んだ。
(ここまでの読後感)
ペスタロッチは自分の夢を確実に叶えている。しかし、現実は甘くはなかった。夢は叶えたが、ことはそこで終わらない。維持することが必要となる。物事は、成し遂げて終わりではなく、成就してから先のことまで考えなくてはならないのだ。それが後に続く人たちのことまで考えるということだ。
 それにしても20年は長い。長すぎる。よくぞ志を持ち続けられたのもだ。大抵は途中で方針変更という道を辿る。ペスタロッチは違った。この意志の強さに敬服するばかりでなく、人間は諦めさえしなければきっと叶う。歩むべき道はきっと近くにあるのだろう。
(今日はここまで)

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