ペスタロッチについて

名前は知っているがその人となりを今回改めて学ぼうと本を読んでいます。
○ペスタロッチの少年期
 ペスタロッチは教師からは、厄介者・落ちこぼれと見なされていたようだ。個性的で独創的な子供はややもすると、はみ出しものと見られがちなのは今も変わらないが、ペスタロッチも例外ではなかったようである。
○ペスタロッチの青年期
 1763年、ペスタロッチはコレギウムーカロリヌムに入学(ヨーロッパの中でも卓越した教育機関とされる)。
中でも歴史学及び政治学の教授ヨハン=ヤーコブ=ボートマーは歴史の教科書はもっぱら家庭学習用とし。講義ではもっぱら歴史的事実を学生に討論させるという斬新な方法をとった。ペスタロッチもこの教授に心酔し、その観念的、理想主義的な思想態度に深く影響された。また、1762年に「社会契約論」「エミール」が刊行され、若きペスタロッチの思想形成に大きな影響を与えた。
 ペスタロッチはこの大学を2年で中退している。民衆のために身を捧げるという目的遂行のための近道を選んだとされる。こうした青年の一途さを鼓舞する風潮が当時のチューリッヒにはあった。
処女作「アギス」「希望」の中に見えるペスタロッチの思いは次のように伝えられている。「私は農業を振興したい」と。
当時のチューリッヒの政界や宗教会の腐敗した実態を暴露し。現実的な社会浄化を図ろうとしている。
ペスタロッチは真理についてあれこれとおしゃべりをする仲間、愛国者団の青年運動から距離をおき、地に足を付けた理想主義的改革の方向に歩み始めた。
(今日はここまで)

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?