新しいことを知る楽しみを再び探す必要を感じる

驚きは知ることの始まりである、とはプラトンの言葉である。
人がなぜ学び、遊び、知ろうとするのか。知ることが楽しいからである。
当然興味があることについて知ることが一番楽しい。
今更39歳中年男性の汚い日常などを知って楽しいと感じる人がいないように、自分の興味の埒外のことは知りたいという欲求を喚起しない。

外に出られない日常が続き、3日間家から出ないなどという日々も増えてきた。
新しいことを知るということも少なくなってきた気がする。
かつてはそれが外に出て自転車に乗り、新しい建築物や製品、服、靴、食べ物などに出会うことであったし、時に人と話し、価値観を更新していくことにあった。
しかしながら今はそれができなくなって久しい。

新しいことを知るという楽しみが減った。
これは心にとって致命的な問題であると感じる。

Youtubeにアップされる動画は投稿者の生活を支えるために惰性で作られたものが多くなった。それ見たよ、という内容が増えたということである。
Vtuberもつまらなくなった。ひな壇芸人のように寄せ集まり、同じような内容の配信を繰り返すばかり。雑談はまだいい。新しいことを話すという命題あればこそ雑談が成り立つのであって、そこにはある程度の「知る」がある。
本当につまらないと感じるのは卑俗な人々が集まって志の低いことを話す配信。見ずに嫌うのは良くない、少しだけでもと思い(あるいは思い違いをし)動画を開くと、吐き気がするような醜悪なものを見せられてしまう。まだイスラム原理主義勢力の処刑動画を見るほうが幾分マシだと感じられるくらいである。(どっちも見たくないが。)

そんな中、最近Spotifyを有料プランで使い始めた。
大変良い。
ゲームのサントラが弱いけど、まあ目を瞑ろう。

新しいこと、ものを知るための努力を惜しんではならない。
最近特に強く感じる。

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