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18. 11月16日「国際寛容デー」


 熱さを閉じ込めてしまった陽が街を覗きに来る頃合いに、人工小鳥の囀りはより勇んで喉を鳴らす。
 淑女と紳士は足と白線、そして時折に熟練の指しの様な所へと目の焦点を移す。
 人の隙に見つけた私は、それを横にして私の足を止めた。
 良く、こうして足を止めてしまうのだ。厳密に追求していくと、黒い静電気が胸で滞留する感覚にそうせざるを得ない、そこに漸く天秤が等しさを見出す位の、まずまずの重さではある。
 その重たいと判明する胸の現象を、しかし取っ払いたいとは思わない。もしくは、寄生虫に頭を取られた蝸牛の様に、私は私で何かを宿しているのかもしれない。あまつさえの黒い静電気に治りを見て、私はそう合点するのだ。
 
 囀りが淑女達のものでは無いというその次第を告げる頃、白線は手伝う事無しに、ただ在るだけ。
 淑女の手は紳士の手を確かに辿る運命の糸となり、その撓みに重積された命達による張りは無く、それは紳士の心得だと私には見えた。
 
 細く心細い白線だけが頼りの紳士達に、行けない車達は容赦の目を向ける。
 そして時劫を終わらせる為の白線を私は跨ぎ、淑女の背を保つ。
 礼は何者へとも無く現れ、清風が攫って行った。
 
 何の事は無い、横断歩道を渡る老人達の話。
 至極、事態は寛容だ、というだけの話。

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