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蓮根の家 文フリ 回顧録

お疲れ様でした。


人生初めての文フリということで、よく分からないことだらけでしたが、無事に終了することができました。
本当にありがとうございます。

処女作らしい作品を書けた気がします。

生き方すら全く分からない子供達が、道に迷いながらもようやく飛行機の音で見あげた建物にはTRCの文字が!
まず入口がわかんない。間違えて、別のイベントに入りかけたし、第1次展示場につれてかれたし。

どうすりゃええねん。困ったなぁ。
けどまぁ、どうにかなるか。どうにかなるんだな。
ようやく着いた場所には、人!テーブル!ダンボール!こりゃ、驚いた。想像以上に数が多い。

しかもなんだ、周りの人間はテーブルの上にマットを敷いて、さらにはのぼりまで立てて、お手製や看板やパンフレットまで作っているじゃないか!

一方、我々、蓮根の家。
何も無し。
強いて言うなら、本が納品された時のダンボールとメモ用のノートが残っておる。
これは使わなければ勿体ないと、急遽、即席の看板を作った。これが、今回のサムネイル画像の左の看板になります。
そして、ノートを切り取って、急いで商品情報が書きこみ、掲示、したが。
何となくインパクトが足りない。

そして、値段設定が高すぎる。
700円はおかしくないか?
周りを見てみろ、700円なんて場所はせいぜい商業か、編集社しかない!それか、ノンフィクションインタビュー。
だからといって、700から500円に下げることは、できない。見本誌には700円と書き、さらには700円で買ってくださった人もいるのだ。私としては申し訳ない。
そこで中島が、ルーレットで決めれば?と。
700円、500円、300円、100円のルーレット。
彼は天才だ、何かの情報を与えてやって、そこからアイデアを生み出すことに関しては恐らく、どんな学者が束になっても敵わない。しかも、ギャンブル大好きだから、確率の配分はお手の物。サッと、スマートフォンのアプリでルーレットを作ってしまった。

そして出来上がったのがこちら。

このアプリ優れものだ。目視だけだと、100円がそこそこあるように思えるが実際は5%しかない。
彼のような人間こそが、お金を動かせるのだと確信した。勿論、私にはこんな芸当不可能だ。

そして、とうとう始まった、文学フリマ、初めての、我々童貞の文学フリマ。

私は恐れていた。
事前情報によると、文学フリマは最初一冊でも売れれば良い方と記載されていた。
しかし、私は自由にやりすぎた。
しかも、謎のプライドが、これは怪奇小説だと言い張っている。本当は別物なのに!

売れるはずがない、友人と共に私は沈んでいた。
目の前には編集社と作家先生らしき人が大量に本を捌いていく。こんな気持ちは中学生のテスト以来だ。
一方、我々、蓮根の家は、一冊も売れない。
お客さんだと思えば、道を聞かれただけ。
と思えば、また帰ってきた。
何かの縁と思ってと、一冊!買ってくれたのだ!ありがとうございます!
私は舞い上がった。しかし友人は冷静だ。
そう、こんなものは売れたことにはならないのだ。
私たちは気がついていた。本当に内容を見ていただいて、その中で買ってもらわなければ、タイトル詐欺のパケ買いハズレレコードと何ら変わりがないのだ。
それでも喜んでもらえれば嬉しいのだが。

それから2時頃になる。残り時間はあと3時間。余裕は無い。もはや、もはやそこには何も無い。トウトウ、私の耳は周囲の雑音を聞くためだけに機能を果たし始めた。蓄音機になってしまった耳と頭は私は世界で孤独なのだと錯覚させる。

と、別の友人がやってきた。
売れた、が、もはや恥ずかしい。
私たちの作品は売れることがない、しかも、表紙から読み始めると私の作品が現れる。そこで、手が止まり、帰っていく。私の自尊心はとっくに崩れていた。私がもし作品を書かなければ、友人のみの作品ならば、誰もが手に取り、誰もが唸りながら、これは本だ、と評価するのではないか。
もう、読まないでくれ、わたしはいなかったんだ。次回は、無難なものを書いて済ますか、もしくは参加する必要は無いかと思った。

私は逃げ出すように、留守を頼んで、他のブースを回ることにした。
すると、世界の解像度が一気に上がる。
売れているもの、売れている傾向、広告、フリーペーパー、売れるにはやはり理由があるのだと考えた。そうかそうか、このようにすれば売れるのだ、私もやってやろうと、悪魔にでもなったかのように私はスッカリ得意げになって、人の心を分かった気になっていた。

帰ってくると、なにやら一冊売れたらしい。
ハハ、どうせお前の友人さ、互いに馴れ合う集団に未来は無い!

お客さんが買っていってくれたよ。

まさか、そんな、いや。
私は、歓喜に打ち震えた。周囲の雑音はスタンディングオベーションの歓声に変わっている。
友人は言った、どうやらその人には5冊好きな本があったけど、そのひとつだったらしい。

なんてこった、これは大変なことになってしまった。
私はあまりにも喜びすぎて感極まり、泣く寸前まで到達してしまった。
喜びすぎてウザったいだろ、喜びすぎてめんどくさいだろ、だけどな、本当に嬉しい時、人は、喜ぶという体に変わる。

私が二度目に席を立った時、今までの世界とは違う景色が見えた。もはや、数時間前の私は私では無い。
思考は思考らしく内省的に、気分は気分らしく将来的に、私にはやるべきことが見える。

私は自由に書いた。しかも、一人前のふりをして自分の書きたいことをたただただ書いた。これに関して私の理性は、お前の手元に残るだけだから大丈夫だとOKサインを出した。
私はお金のことを考えていなかった。むしろ、売れないのが当たり前だと思っていた。でも、本当の気持ちは売れないことは寂しい、悲しい。

それでも、世界市民億人の中に、たった1人だけでも、私の作品を好きだと言ってくれたのなら、私はそれで満足なのではないだろうか。
自分が書きたいことを書いて、それを喜んでくれる人がいるのなら、私が人生を削る以上の価値があるのではないか。
私は私の書きたい作品を書いていいのだ。
私自身が認められる感覚、人生で初めての報われた感覚は、私の生き方をまるごと変えてしまった。

私は、この時、文学としての真の価値をようやく導き出した。導かれた。

それから、それぞれのお客さんが計5冊買ってくださった。
5冊もだ、5冊も。なんと5冊も。私の予想の5倍だ。

文フリを売る中で、表紙を褒められたことやジャンルを問われたりした。


徹底的に反省と分析を繰り返し、そして、私が書く文学の方向性が定まった。
まず、私は最低限、価値を感じるものを書きたい。
自己完結してしまうような叫びだけではなく、誰かに叫ばせたい。

さらには、私の価値を誰かの価値の中で作り出したい。
誰かの価値と私の価値の両方を担えるような作品を作り出したい。決して、媚は売らない、ほんの一部だけ売れる傑作を書きたい。

この自己満足の自己研鑽こそが、今の私にとって、やるべき使命のように思えてならないのだ。

毎度毎度命を使って書いておりますが、そんな作品に方向性を持たせて、より私らしい作品を作りたいと考えています。

前作からの進化をご期待ください。
蓮根の家は、どんな形であれ、次回も参加しますので、お楽しみにしていてください。

時々ですが、書き込むことがあると思います。お暇な時に読んでください。

今回は本当に本当にありがとうございました、
私は貴方のおかげで私の小説を書くことができます、書き続けることができます。
見てくださった方々、読んでくださった方々、そして買ってくださった方々。すなわち、私たちに価値を見つけ出してくださった方々。
また、お会いしましょう。

情けないほど、喜んでおります。






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