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【エッセイと小説の中間を目指して】黄檗希運禅師『伝心法要』について



大阪市淀川区西三国にある自敬寺さんで毎月1回行われる坐禅会に参加している。そこで黄檗希運禅師の『伝心法要』を読んでいる。すでに18回を経て、現在は「宛陵録」に入っているが、毎回見開き2ページの訓読と解説(と称する訳文らしきもの)の入ったテキストが配られる。
坐禅そのものは、20分を二本するが、あい間に法話を聞くようなスタイルなのだ。
この『伝心法要』が面白くて、それを目当てに坐禅会に参加していることもあるが、毎月第一日曜日の午後出かけていくのを楽しみにしている。
地下鉄御堂筋線の東三国で降りて15分ぐらいかけて歩いて行くのだけれど、いつも何度も信号で止められながら西三国をめざしていくが、周りは平屋の住宅やマンションが並んでいる住宅地である。空は空港が近いのでジェット機が低空で通る。暑い夏も辛いが寒い冬も辛い。
何せ、腰痛を持っているものだから、長く歩くのは辛い。でも歩かないことにはこれまた腰にも良くないと医者に言われているので歩くようにしている。それでも1200メートルくらいと思うのだけれど面倒に感じている事はなくはないのだ。
その自敬寺さんの近くの住宅に玄関の前が駐車場になっていて、そのすぐ横あたりにワン公がつながれている。小さな柴犬だ。賢そうな顔をしている。
それがいつも目につくようになった。そして時々心の中で「元気か」と声をかけるようになった。向こうからも「お前もな」と言ってくれるような気がするので、それも楽しみのひとつになった。よくあるような餌を与えたり、実際に声を出したり手をだしたりはしない。飼い主に嫌がられるかもしれないので、直接つながることはない。あくまで心の中だけでやっている。
『伝心法要』は「師曰く、諸佛と一切衆生は唯だ是れ一心にして、更に別法無し」ではじまる。この心というのが、仏でもあり衆生(人間)でもあるということを指していて、特別に外に別物なる仏があるわけではないというのがスタートになっている。そして、その心つまり猥雑で何でも入っているような心こそがやっかいなのだ。そんな心をなくすという「無心」が強調されるが、それは心による外界への見方から、それによって引き起こされる考え方から離れるということだという。そこに仏が顕現するというのが伝心法要(仏の心を伝える要の法)という事なんだと理解している。
希運禅師は、私の見るところ禅の中でもオーソドックスに見える。特に気を衒うわけでもなく、極端な挑発もない。そんな見解から見れば、あの柴犬のワンちゃんは、私の心が作り出したものだ。別にあの柴くんは私に向かって関心のあるわけじゃない。伝心法要にも「境に遇えば即ち有り、境無ければ即ち無なり。浄性の上に於いて転じて解を作すべからず」とある。境つまり外界の対象物=柴くんを見て作すな、勝手な話を作るなと諭している。続けて「尽く是れ境博なり」とあるので、対象に向かっている、執着している心ということになる。
ただし、続けて「一切法において有無の見を作さざれば、即ち法を見るなり」とあるので、有も無もなく突き進めば法を見るのであり、心に映じた柴くんは、私の作り出したものであると同時に、入れ替わって柴くんが私になると「この歩いてくるおっさんは誰やねん」と映じるだろうということだ。
自敬寺和尚は、解説でこんな文言を挟んでいる。
「花を見ている私ではなく私が咲いている。
鐘の音は自分がゴーンと響いている。
星を見てあそこに私が輝いている。
拝んでいる自分と仏が一つになっている。」

“知らんけど”


和尚の音読する伝心法要の訓読ではもう一つ入ってこないのだけれど、解説文で口語訳とともに噛み砕いて解説されるとフト入ってくるものがある。それは伝心法要を理解したというより、以前から疑問に思っていたこと、なぜ、なんだろうという問いを抱いてきたことへの解答が見つかったような気がする時である。そんな瞬間が訪れることがあるのだ。素人参加者としては、むしろそちらの方が重要で、年来の疑問解決へのきっかけを与えられてもらう方が嬉しい。
それが、別のある物と別物がつながった瞬間であるのだが、アイディアといってもいいし着想といってもいいし新たな閃きといってもいい。今時ではクオリアというのか。そんな時は急にうれしくなって小躍りしたくなる。ただ原文の訓読ではその意味を取ることに関しては問題ないが、それによってさらに気づくというまではなかなか難しい。

例えば「黄檗希運禅師の語録18」の解説文にこんな記述があった。

「経典に「阿(あの)褥(く)菩提(ぼだい)」とある。実に少しも得られるものは無い、それが最高の仏の悟りと言う意味だ。般若心経の阿耨多羅三藐三菩提」の略だ。坐禅をしたり念仏を唱えたりしても見返りを求めず、無心に行ずることだ。「何の効果もないよ!」と聞いて「それが最高の悟りだ」と気づけばよい」

これに相当する訓読は「故に経に云く、実に小法の得べき無きを名づけて阿(あの)褥(く)菩提(ぼだい)と」
とこれだけのことだ。この訓読だけでは気づくことはなかっただろう。
般若心経に出てくるあのアノクタラサンミャクサンボダイというのは、サンスクリット語この音をそのまま漢字に置き換えただけで、漢字に意味は無い。サンスクリット語の意味は「最高の悟り」という意味だった。
これがよくわからなかった。最高の悟りっていったい何なのだろうと。悟り以外になにか別の悟りがあるのだろうか?

般若心経というのは、おかしな経典で救いなんてものはないし、かつ仏教の根幹である五蘊十八界も生老病死から悟りまで否定しているという反仏教的というような経典だ。このすべては空だと切って捨て、得られるのはこのアノクタラサンミャクサンボダイであり、そのためには真言を称えなさい。般若波羅蜜(最高の智慧)を得よ、と言っているだけの教典なのだ。
じゃあこのアノクタラサンミャクサンボダイとは何なのかという問があって、ずっとそのことが気になっていた。
希運禅師は、修行しようと修行しまいとそんな事は全く関係ないと言われて、そうか、うんたしかにそうだなと腑に落ちたら、それが最高の悟りだと言っているのだ。
自敬寺の和尚の解説とは若干ニュアンスがずれるかもしれないが、私はそう解釈している。
そのことを聞くとすぐに「じゃあ厳しい修行なんてしなくていいんじゃないか」と言い出す人がいる。それは違うんだな。この言辞が納得できるためにはまずは激しい修行した人にしかわからない。なぜなら修行しない人にとっては、修行するということが、どのようなものであるかわからないからだ。あくまで言語思考の論理だけで言っているのであって、全く実体験が伴っていないのであるから、口先だけの理屈なのだ。

そうだからといって修行を続けている禅僧が今更修行を辞めるなんていうことはなかったのだろうし、そのまま、修行していったのだと思うけれど、私に置き換えてみるなら最高の悟りを得てもそれで終わるわけではなく、もはやこの娑婆世間に戻ってくるしかないのかという考えにさらされている。いやでもこの世界で生きなければならないとしたらどう生きるんだという次の問いが迫ってきたのだった。
柴くんはいいよな、そんなことを考えることもなく、命を全うしていくんだろう。私はそういうわけにはいかない。
仏教には、四苦八苦いう概念があって、四苦は生老病死の苦であって、残る四つは①愛離別苦(あいりべつく)愛するものと別れる苦②怨憎会苦(おんぞうえく)怨んで憎んでいる人と出会う苦③求不得苦(ぐふとく)欲しいものが手に入らない苦④五蘊盛苦(ごうんじょうく)心と体が思うようにならない苦、だとされる。さしずめ先の苦は④に該当するだろうか。人は人から離れることができない。人として生きていかなくてはならないのだから。ヒトからイヌになりたいネコになりたいと願っても、無理な話なのだから。


20分の坐禅で残りもう少しのところで、和尚が立ち上がって警策を持って回りだす。ここではやにわにひっぱたくような助策はしない。受けたい人が合掌してお願いして、いただくことになっている。曹洞宗のように、やにわにひっぱたくような事はしない。曹同宗は禅堂で壁に向かって行うが臨済宗系は壁を背にして行うので前を通ることになる。黄檗も臨済のお師匠さんであったから臨済系と同じなのだろう。
和尚曰く、警覚策励(けいかくさくれい)という言葉の略で覚醒を助けるものだという。抱卵ないし割卵ともいっていて、雛が卵を割って出てくる時に出てくるのを助けてやるようなものだと言っていた。つまりは本来の自己に目覚めることを助けてあげるの意味だった。
けっこう大きな音がし、ピシャ、ピシャ、ピシャと三回して、それも左右の両肩を叩かれている。女性や子供は優しく、大のおとなの男性は、バシッとやっているような音だ。
他人事のようにいっているのは、私は一度も受けたことがないし、かつお願いしたこともない。痛そうだからという事でもなく単なる傲慢で、そんな警策を受けなくても自分で叩き割るよという増上慢よりなっている。なんと生意気で、思い上がったことだろうとさすがに感じるけれど、この姿勢を崩そうとはしない。
私は私であるけれど、思うようにならないのは私自身だろうか。素直じゃないんだな。
何度かにわたって見ていると(目を開いていて良いんかい? 半眼じゃなかったっけ)では警策を受ける人はいつも受けているし、受けない人はいつも受けていないようだ。これはひょっとしたら警策を目当てにやってきているんじゃないかと勘ぐることもある。つまり警策を受けて何か達成感のあるような、それを受けないといけないかのように感じているのかもしれない。
「いやぁ、昨日の日曜日もまた警策を受けてきましたよ」と自慢するかのような気配もあって、それはお前の思い過ごしだといわれるかもしれないが、宗教装置としてはよくできていて、それは一つのパフォーマンスになり得るだろうと思う。
伝心法要では、ひたすら無心になれと、思いを捨てよ、あれこれ考えるなと教えているので、雑念がどんどん湧き上がってくるなら、警策も良いのかもしれない。自分はそんなときは呼吸で口をとがらしてプッ吐き出すことにしている。本当は口呼吸をしてはいけないんだけれど、口から吐き出すことで雑念を捨てて、今ここに集中するようにしている。
しかしながら、「妄念が起きるのも追い払いたいと思うのも妄念の仕業だ」と希運禅師はいうので、これも有り体に言えば愚行であって、本来そんなことに気をつかってもいけないということなのだ。それでも妄念は避けがたく湧き上がってくる。
「知識を駆使しても言語を持って捉えようとしてもだめだ」ともあるので、まずは思考を捨てないといけない。20分間の坐禅は、木魚3つで準備し、1つで坐禅に入る。終わりは鐘の音で終わる。


伝心法要の要諦は、「即心是仏」であり「心即仏」ではない。そこには「無心」という心に取らわれないという一定が入ってくる。ただし、これが一番うまくいかないところであり、無心になるということは難しい。
しかし、それをどうやって可能にするのかというと、それは「以心伝心」なのだという。心でもって心に伝えろと。

その例として、阿難と迦葉の例を挙げている。
釈迦三尊の両脇にいる菩薩は阿難と迦葉であるが、師資相承、つまり法嗣をついだとされているのは迦葉のほうだ。それは阿難がまだ阿羅漢に達していなかったからとされている。その阿難が迦葉に尋ねた問答で「千日間知慧を学ぶよりも、一日道を学ぶ方が優れている」と題されたテキストの解説文には次のようにある。

「黄檗希運禅師が弟子に言われた。
君は阿難と迦葉の問答を知らないのか。
阿難はブッダが亡くなるまでの三十年間、ずっと近くでお仕えしていた。しかしブッダ在世中には悟れなかった。一番釈尊の説法を聞いていたのになぜか?
その阿難が釈尊の法を継いだ迦葉尊者に尋ねた。ブッダ(釈尊)は、あなたに法を伝えた正しい証(あかし)に金襴(きんらん)の袈裟をお与えになりましたが、何か特別な説法がありましたか。
迦葉は阿難を呼んだ。阿難はすぐに「ハイ」と返事した。迦葉は阿難に言った。門前の刹(せつ)竿(かん)(旗竿(はたざお))を倒してみよ。あの旗はブッダが説法しているしるしだ。それを倒せとはどういうことだ。説法を否定しているのか。そうではない。特別な説法など何もない。言葉に頼っていてはだめだ、という事を表している。阿難はハッと気づいた。
阿難は三十年間、お側にいて多聞第一と言われるぐらい知識豊富な博学なのだ。なのになぜだ。長い間教えを学より、一度の体験の方が優れているからだ。」

この読み下し分はこうだ。
「豈(あ)に見ずや、阿難(あなん)迦葉(かしょう)に問うて云く、世(せ)尊(そん)金襴(きんらん)を伝うる外、別に何の法を伝うや。迦葉、阿難と召(よ)ぶ。阿難(あなん)応諾(おうだく)す。
迦葉云く、門前の刹(せつ)竿(かん)を倒(とう)却(きゃく)し著せと。此れ便ち是れ祖師の標(ひょう)旁(ぼう)なり。甚生(いかんぞ)ぞ阿難三十年侍者と為(な)るも、祇(ただ)、多聞智慧の為に仏の哬(か)を被(こう)むるや。
云く、汝千日慧を学ばんよりは、一日道を学せんに如かず。」

これを私流に言い直せば、言語知識を学ぶより、言語を超えた体験を得る方が重要で、これを得ないことには始まらないということを求めている発言に見える。そこでその体験を重視する禅家では「不立文字」の提唱がされることはわからないではない。その言語を越えた直観を体験せよという逸話になっている。
しかし、本当は、言語も言語を超えた直観もともに必要なのだろう。行学というがごときだったのだ。本当に言語による知識が必要ないなら、あの大蔵経と呼ばれる膨大な文献群は何なのだろうか。決して言語をそして文字を軽視していたのではないだろう。禅家だって多量の語録があり、文献群が並んでいる。ただ禅は、この逸話にある実践を起源としているので、大いに取り上げられたのだろう。
しかし、現在の初期仏教教団の研究によると、迦葉(カッサパー)というのは、教団内ではどちらかというと権威は認められていたが、実質的な力はなかったのではないかとされている。また伝承では、二人の中は悪かったというのがある。年齢的にも相当離れているふたりだが、迦葉は頭陀第一といわれ、托鉢をして衆生との接点を持ち、教化したとされている。一方の阿難(アーナンダ)は多聞第一とされ、釈尊につき従って説法をいつも聞いていたとされる。この二人を保守派と進歩に割分けるのは正しくなくて、むしろスタイルの違いではないだろうか。
逸話として残っているのは、釈尊の入滅後、阿難が釈尊の男根を比丘尼に見せたということが、迦葉の逆鱗に触れ、完全に仲違いしたという話が残っている。
阿難は女性を教団内に入れることを進言し、認めさせたとされている人物であり、かつ女性を教団に入れたことによって、法灯が1000年から500年に短くなったと揶揄された人物でもあるので、なぜ比丘尼に見せる必要があったのかは定かではない。考えられるのは、悟りを得た釈尊は、三十二大人相(さんじゅうにたいにんそう)を有していたとされるのでそのひとつである男根が身体に収まっている陰蔵相を有しているかどうかを確認することだったのかもしれない。しかし、それなら別に男性の比丘も混じっていてもいいはずなので、なぜ比丘尼だけだとわざわざ伝えるのかわからない。
迦葉は律を重んじる人でもあったので、そういう性的なものをかき立てるような事は気に入らなかったのかもしれない。比丘尼にとっては釈尊が本当に男だったのかの確認でもあったのかもしれないが、そこはよくわからない。
でもこの逸話は、なぜか俗なものを感じさせる。
しかし、釈迦入滅後、第一結集と呼ばれる集会では阿難はまだ阿羅漢にたっしていないとして参加を許されなかったが、直前に大悟して阿羅漢になったとされている。釈尊の説法を一番聞いていた人であり、かつその言説に習熟していたそうでもあるのでこの結集での阿難の発言がおおきな力になったことは間違いない。経典に出てくる「如是我聞」という(私はこう聞いた)というのはほとんどが阿難の私であったと考えられている。それを聞いてみなは、そんなことを言っていたと同意したのであろう。すべてではないけれど大きな部分を占めていたのだろう。
また、この入滅の伝承においても両者のスタイルに違いがあって、迦葉は自らの入滅を知ると、一人静かな人里離れた山中に入り涅槃を迎え、その身体は人目に触れることなく、五十六億七千万年先に弥勒仏がこの世に出現し、その時まで朽ちることなく土中で眠り続けるという内容のものだった。一方の阿難は人々から惜しまれ、入滅の場面に立ち会うことを望まれ、そしてその中で見守りながら涅槃に至り、荼毘にふされ舎利が分配されるという釈尊と似たような形を立てる内容になっている。
この二つの違いの意味するものが釈尊入滅後の教団が阿難中心のアーナンダ教団化し、初期仏教教団のスタイルを確立していった時期だと考えられている。
師資相承は、釈尊→迦葉→阿難、となっているが、これを疑ってみることもあるだろうか。
二人を比べるとその宗教スタイルはかなり違っていて迦葉の教化のスタイルは、心に訴える伝心的なものとして観念的なスタイルをとっている。それに比べて阿難のほうは実体的にして仏舎利のように実物主義であり、文字言語も対応されて言語思考が前面に出てくる。阿含経という膨大な文献を見ると不立文字どころか立文字、言語思考最優先のものになっている。
これが、のちにいわれているような根本分裂へとつながっていくかどうかわからないが、大乗運動が起こってくることも切り離すことはできないだろう。
じゃぁ迦葉のいう言語を超えた直観、黄檗の「即心是仏」の核心は何なのだろうか?
それこそが坐禅しているそのものであり「日々に努めよ」ということの確信なのだろう。ただしこの直観が神秘的なものではないことは踏まえておかないといけない。けっして神秘的なものではないのだから。
また、黄檗のいう「即心是仏」は如来蔵であるというが、そこは注意しなくてはいけないだろう。なぜなら仏心が如来蔵である保証はどこにもないからだ。


二本目の坐禅が始まった。木魚三つをならせて準備をする。まず、へその下へとタイツをおろして下腹を出す。座蒲を整え尻をおちつかせる。背筋を伸ばして頭を天井むかって引き上げる。手は大きく円を描いて前で法界法印を結ぶ。目は半眼であるけれど、自分に集中するためにはじめは目を閉じてみる。
木魚一つで坐禅に入る。入ると、ともかく動かない。そして、今ここに集中する。集中するには呼吸を見るのがいちばん早いとされているので、鼻から出る息、入る息に注目する。そして、今ここを感じる。
そう、ぐっと入ってくるのを感じる。感じるといつものことだけれども体が微妙に揺らぎだす。揺らぐというよりアットランダムに小刻みに揺れるのだ。どう動くのかわからないが振れている。これは坐禅・瞑想を始めた当初から起こる現象で、自分でも驚いている。なぜ、なんだろうと思うけれど、おそらく一種の「ゆらぎ」なんだろう。ブラウン運動というのがあるけれどそんな風な不規則な運動なのである。それとも心臓の鼓動による動きが全身で伝わっているのだろうか。

あっ、いけない、また雑念が起こっている。今ここに集中しよう。
呼吸を見るとともにこの雑念の数をカウントすることにしている。カウントすると、今ここに戻って来やすいからだ。堂内の雰囲気を感じ、今ここに坐っている自分をイメージしてみる。
自分の坐りスタイルをイメージしてみる。つぎに端的に今ここに目覚めるには閉じた目を半眼にして、坐っている1メートルくらい先を見る。テキストの「坐禅の仕方」には1.5メートル先の床に視線を落とすとある。また目は半眼でつぶらない、キョロキョロ動かさない、顎を引き、軽く舌を上の歯茎に当てると良いとある。
ちなみに調息といって息をゆっくり吐いたり吸ったりして整え心を沈めるというのがあるが、これも丹田呼吸でへそ下3センチの丹田に気持ちを集中させて呼吸をする。それも胸や腹の空気をゆっくり出して、出し切ってからこれも力を入れずに吸う呼吸で1分間に5から6回の呼吸くらいになれば良いとある。5から6回なんて、とても無理で10回以上やっていると思う。この呼吸を数えて行うのが数息観というけれど、呼吸に集中できずに雑念に飛んでいってしまう。意識はじっとしておれないけれど、元に戻ってこないといけない。

おっと、これも雑念。今ここに集中だ。
坐禅では目はつぶらないとされているが、瞑想ではどちらでも良い。つぶった方が自分に注意を向けやすいからそのほうが早いかもしれない。どちらかにこだわる必要はないんじゃないだろうか。
今ここに焦点化すると時折、光が見えてくることがある。その光も、金星のように一点からピカッと光っているだけの時もあれば、キラキラとして輝いている時もあり、火炎のように吹き出してくることもある。また逆に穏やかに光の雲の中にいるようで、まるで光の風呂に入っているような時もあって様々だ。光を見るのは何もおかしなことではなくて、すでにアビダルマ倶舎論にもあるので、不可思議なことではない。だからどうだと言われても、それだけのことなんだけれど、決して驚くほどのものではないのだ。よくあることなのだ。
驚くのは、そこではなくて、「本当の私」または「本来の私」というものに出会うのが一番の驚きだろう。「本当の私」というとべつに違う私があるようで、おかしくなるので、「本来の私」と言った方が正確だろう。禅は仏教だから、「本当の私」を強調するのは、今迷っている心を捨てよ、そして「本当の私」に気づけと強調するので、どうしても「本当の私」になってしまうが、今この世界で生きている私も本当の私だから、これも否定するわけにはいかない。どちらも大切なのだ。しかし、禅はまずはこれに気づかないといけないんだというけれど、これがそう簡単ではない。
伝心法要では無心だった。それは属性のないものであって、空なのだとされている。何の属性が無いかというと名前もないし、誰それの子でもなく、誰それの親でもない。また妻でも夫でもない。そういう属性というものがなくなって、ただ生きている生命体としての「こいつ」のことだという私なのだ。
その私を感じることに苦労してきた。よくわからなかったが言語思考していてもわからないなというのが先の迦葉と阿難の逸話だった。
今ここで実際に足を組んで足が痛いと感じている私であり、呼吸を見るといって呼吸の数えている私のことだ。これに苦労のすえにハッと気づいた時は大変驚いた。これだったのかと感動がこみ上げてきたのを覚えている。多幸感が湧き上がって、やったという気がした。しかし、それは過ぎてみると一度だけの感動で、次にまたその感動を求めても、坐ってみても二度と訪れては来ない。
また、そういうものだという。禅家の語録にはこれを開悟といい、全くぶれることなく安定する悟りを大悟というらしい。
大悟なんて訪れようもないが、ともかく、実在しているのはこの私であって「こいつ」なのだ。自分の言語思考や、教育やしつけによって作られてきた私というのは、本来の私とは何の関係もない。名前だって自分でつけたわけではないし、親ないし他人がつけてそう呼んだだけのことで、これらは成長の過程で教えられ作られてきたものに過ぎないから。
この属性を離れた私が先にあり「こいつ」が感じているし、こいつが世界にむかって行為し行動している。娑婆世間で演技している私はそれに従って、うまく調整しているだけのことだ。
「こいつ」にまずは気づくことなんだ。そして伝心法要はそれを仏性ないし仏心だというのだけれどそんな保証は無い。きづいた私がそんなものではないことはおおいにありうる。
そうじゃないとすれば救われないじゃないかというけれど、それはそれで仕方がないことなんだろう。
般若心経のいうように救いなんてないのかもしれない。
伝心法要の黄檗希運禅師は宗教者だから救いを与えないといけないのだろうが、そういう救いはないという禅家の語録があっても良いように思う。どこか他にそういうものがあるのだろうか。寡聞にして知らない。
救いがないとしたら、それはいったい何だ?
そんなもんが、有るのだろうか。いやそれでは、ニヒリズムに陥らないのか。そんな疑問が渦巻く。
暗い宇宙空間に漂うように、孤独にしてただただ静寂な寂寥の支配した空間。山もなければ森も川もない。風だってふかない。大自然の営みも感じられない。他者がいないのにどうして私が感じられるのか。おかしなことだ。虎が月に向かって咆哮している空間。いやいや、空間もなければ時間もない。大きなあくびと共に息を吐きだす。フッー。
その瞬間、宇宙が揺れる。どこからともなく、やってきた彗星が私をかすめていく。他者とは、やにわにわけもなくやってくる彗星のことか。そしてすぐに元の静寂にもどる。
瞑想の先にあるもの、坐禅の先にあるものに関心がある。これも妄念だと知りつつ知りたい。
宇宙に漂うということは、宇宙を外界と意識しているのだろう。もし、宇宙に溶けこめば、私も雲散霧消する。無になることか。宇宙の中に消えていく。宇宙の自然過程に任せるといことだ。私など存在しない。残念ながら、仏心も仏性も如来蔵ではないらしい。


チーン。

ハッとして我に帰った。妄想していたようだ。鐘の音が鳴って、中途で坐禅が終わってしまった。あともう少しだったのにという口惜しさを残して終了してしまった。和尚の警策にも全く気づかなかった。
この後「大慧禅師発願文」読経して「四弘誓願文」を三回唱え、「普回向」で終了となった。

終わると皆さんは帰り仕度を、始める。私は柱の影に隠れてジーンズに履き替え、お布施ではないけれどお賽銭箱にいくらか入れて、ご本尊に手を合わせて帰ることにした。
すでに日はとっぷり暮れており、柴くんはすでに犬小屋に入っているようで姿は見えなかった。
なんだか晴れやかで足取りが軽くなったようなスッキリした気分で駅へと急いだ。


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